第8話

第八回

三人の馬鹿たちが肩から下げた布かばんをぶらぶらさせながら、龍中からの帰り道、猿恵比寿神社の横を通り過ぎようとすると、神社の神殿の階段のところで腰掛けて鯛焼きをほおばっている女がいる。それはKK子だった。この神社は猿であり七福神の一人である恵比寿を同時に敬っている。つまり、猿の顔をした恵比寿が神体として飾られているという、ある意味では非常に罰当たりな神社なのだが、そのことのために少し有名である。その神社の横に戦後まもなく始まったという鯛焼き屋がある。KK子はそこの鯛焼き屋で鯛焼きを買って食べていたのだ。

その鯛焼き屋も少しだけ有名である。

三人の馬鹿たちは階段に座っているKK子の両隣に座った。

「お前、また、御熊屋の鯛焼きを食べているの。あきもせずによく、ここの鯛焼き屋でしか、鯛焼きを食べないんだな。商店街の方にも鯛焼き屋があるじゃないか」

「鯛焼きはここで買うことに決めているんだもん」

KK子がその店で鯛焼きを買いだしたのは小学校の頃からだから、だいぶ年月が経っている。

KK子は本当に少し変わっていた。

階段の中段にKK子を真ん中に挟んで、右側に仲村トオルが左側に別所哲也とルー大柴が座っている。

「お前、あんまり、熱くなるなよ」

右隣に座っている仲村トオルが隣に座っているKK子に向かって話しかけた。

「そう、そう、相手は大人なんだし、先生なんだからな」

「議論したって、勝ち目はないよ」

左隣に座っている別所哲也もルー大柴もKK子の方を見て、繰り返した。

「何で、勝ち目がないのよ」

KK子は今度はルーたちの方を見て睨んだ。

「ほらほら、熱くなってるじゃねぇか。熱くなってるよ。お前」

仲村トオルはKK子の方を見て、目を細めた。

「熱くなっていないって」

ぷりぷりしてKK子は仲村トオルの方を睨みつけた。

それは社会の女教師とKK子のあいだで起こった出来事だった。

それは思想闘争というものだろうか。理論的なものではなかったが、やはり、思想闘争と言ってもいいだろう。むずかしい理屈があるのではなかったが、社会的な側面があった。しかし、話しのきっかけは、全く、事務的な事柄から始まっていた。

職員室に何かのことで生徒たちが大量に同時に訪問した、と言うよりも抗議に行ったという話しから始まった。

社会の女教師はそのことから話しを始めて、社会一般の時弊に話しが及び、最終的には社会のあり方について話しが及んでいた。

馬鹿三人たちには何の話しかわからず、要するにある教師が抜き打ちテストをおこなったということなのだが、馬鹿三人には何の通弊もなかった。どんなひどい点数をとっても馬鹿三人たちは何も感じなかったからだ。

その女教師の話は右の耳から入って、左の耳に抜けて行った。

しかし、突然にKK子は立ち上がると、その女教師に論戦を挑んだのである。

「ぎょぎょ」

仲村トオルはKK子の顔を見上げた。

教室の中ではKK子ひとりが立ち上がっている。

別所哲也もルー大柴もKK子、何を血迷ったのか、という顔してKK子の顔を見ていた。

「先生の意見は間違っていると思います」

ルー大柴は立ち上がったKK子のスカートの裾を引っ張っている。

「何が間違っているのですか」

その女教師は受けてやろうじゃないの、という顔をしてKK子の方を見ていた。

「あちゃー」

仲村トオルは自分の眼を両手で覆った。

ときどきKK子は訳のわからないことをする。

「何、興奮しているんだよ、馬鹿が」

仲村トオルはどうしていいかわからない気持ちがした。

別所哲也は口を押さえ、ルー大柴は耳を押さえ、仲村トオルは眼を押さえている。本当に見猿、聞か猿、言わ猿だった。

しかしながら内心では、仲村トオルはKK子が勝てばいいと思った。

しかし、三馬鹿たちには彼女を応援する方法も手段も思いつかなかった。彼らは論旨を展開して行くことも、相手をやりこめるような少しもむずかしい言葉が思いつかなかったからである。

だから、いつも違って少し、むずかしい顔をしてその教室の中でだんまりを決めているしかなかった。

そして、はたと思ったのだが、もしかしたら、KK子はこの女教師のことが好きなのかも知れないと思った。

そして、授業の終わり頃になって、女教師は

「KK子ちゃん、あなたはまだ若い、きっと大人になったら、あのとき、あんなことを言ったけど、振り返って見ると、恥ずかしいと思う日が来ると思うわ。でも、純粋だったと懐かしいと思う気持ちと一緒にね」

と言って教室を出て行った。

だから三人はKK子をほって置けないのである。ダイヤは地球上で一番固いが衝撃には弱いからすぐ傷つく、だから宝物なのである。

考えて見れば、KK子の後ろにはいつも馬鹿三人がついていた。

ルーが三人の会なんて言う勝手な思いつきなんかを考え出す前からである。そして、それがどういう意味があるかなんて事も馬鹿三人組は意識していなかった。

「お前、ときどき、意味もなく熱くなるからなぁ」

仲村トオルは笹の葉の枝のところを噛み噛みしながら、神社の杜の木々のあいだから漏れ広がる空を見上げながら言った。

「本当、本当、おかしいよ」

「おかしくない」

「お前、***先生のことが本当は好きなんじゃないの」

「好きじゃな~~~い」

「好きだから、つっかかっていたんじゃねぇのか」

「うるさいわね。あんた達」

「KK子には平井堅もいるし、いいなぁ」

「平井堅のことを言ったら、殺すからね」

「殺すって言っちゃだめだって先生が言ったからな」

KK子はちょっと気が変わったのか、かばんの中からチケットを四枚取りだした。

「これから、お台場に遊びに行かない。チケットを四枚、貰ったのよ」

それはプラネタリゥムの入場券だった。

四人はお台場に遊びに行くことにした。そこに行くにはちょっと変わった鉄道が走っていた。

すっかり中学校での出来事も忘れて四人はモノレールにも似た電車の車窓から見える一風変わった景色の変化を楽しんでいた。

プラネタリゥムは大きなアミューズメントセンターの中にあり、電車の中からその丸い天蓋の姿は見えていた。

中に入ると、受付のところで受付の女が、女性の方が一人で入るときは隣に変な人が座ることがあるから気をつけるようにと言った。

「大丈夫、俺達三人でガードしているから」

と三人の馬鹿たちが言うと受付の女は変な顔をした。

四人がKK子を中に挟んで座ると、客席はじょじょに暗くなった。

そして天井に星がまたたきはじめ、地平線に地上の姿が切り絵として映っていた。

最初に神話が語られ、カシオペアやアルタイや、大きな赤いサソリが星たちを結んでその形がイラストで現れた。

「この声、何か」

ルー大柴が小声でつぶやくと、しわぶきが起こり、また、ルー大柴は黙った。

それから織り姫、彦星の話しになり、明らかに創作だろうと思われる恋愛話が語られ始めた。

別所哲也はその声を聞いたことがあるような気がして、その創作話しもどこかで聞いたことがあるような気がした。

仲村トオルも何となく、そんな感想を抱いていたが、それよりも関心のあるのはKK子の星を見つめる横顔だった。

KK子の瞳は潤んでいる。明らかに湿り気を浴びている。

そのとき、KK子が急に顔を横にして仲村トオルの方を見たので、仲村トオルは見てはいけないものを見た気分がして、ふたたび、天井の方を眺めた。

やがてあたりが明るくなり、座席も通路もはっきりと見えた。

四人は帰るために通路の方に出た。

「おい、あの声に、あの話し、聞いたことないか」

ルー大柴がそう言うと通路の前の方から身を隠すようにして出て来た男がいる。

明らかに四人の目を避けているようだった。それは小柄な男で、タイガー・ジェット・シンのように何者か見えないものを怖れて両手で覆った頭を制御不能なうなぎでもつかまえたように動かしている。

「おい、あれ」

別所哲也がその男を指さした。男はやはり、見えない天上の神を怖れるようにして、両手で顔と言わず、身体中を隠そうとしている。「猫ひろし先生じゃありませんか」

四人は隠れようとしているその男のそばに行った。

「先生、ここで何してるんですか」

「君たちかニャー」

猫ひろしは彼らに会いたくないようだった。

「先生がナレーションをやっていたんですか」

猫ひろしは四人の姿を正視しようとしなかったが、とくにKK子と仲村トオルの姿を見ようとしなかった。

「やっぱり、先生だったんですね。あのナレーションの声も恋い話も聞いたことあるよ」

「でも、何で、ここでそれをやっているんですか」

「小学校をやめて、ここに勤めることにしたんだよニャー」

猫ひろしは四人の小学校時代の担任であった。

天文クラブの顧問を勤めていて、教室の中を真っ暗にして星を天井に映したり、神話を語ったりした。

その中で自分の創作した恋愛話なんかもした。

ルー大柴も別所哲也もその話しを覚えていた。

しかし、猫ひろしは明らかに四人を避けていた。

特に、仲村トオルとKK子を。

「済まないことをしたニャー。済まないことをしたニャー」

猫ひろしはやはり申し訳なさそうに頭を手で隠している。

そして、ときどきその手の透き間からかつての教え子たちを自分を罰するゼウスの神のごとくに盗み見ているのだった。

「ごめんね。帰らせてくれニャー。帰らせてくれニャー」

猫ひろしは四人を振り切って非常口の方に走った。

「猫ひろし、どうしたんだろう。あんなに済まながって」

猫ひろしの顔には明らかに慚愧の念が現れていた。

顔をハンケチで拭いながら、非常口をかけおりると、牧師のかたちをした中学生が待ちかまえていた。

「あなたは猫ひろしかニダ」

「そうだけどニャー」

「心に何か、重いものを背負っているようニダ。告白するニダ。告白するニダ」

「何でニャー」

「何ででもニダ」

猫ひろしは顔の汗をぬぐった」

「心のとげを刺激する人に会ったニダ。だからあなたは苦しんでいるニダ。告白するニダ。そうすれば心は軽くなるニダ」

「あなたに告白すれば本当に心が軽くなるかニャー」

韓国人と猫の闘いだった。

「本当ニダ。中学生に四人、会って来ただろうニダ。その中のふたりに顔を合わせられないくらい、慚愧の念を抱いているだろうニダ」

すると猫ひろしはその場に崩れ落ちた。

「あなたがどなたかは知りませんが、何事もお見通しですニャー。その話しをすれば、心が軽くなるなら、話しますニャー」

「話すニダ。話すニダ」

「わたしは以前、小学校に勤めていました。そして担任も務めていて、さっきの四人の中学生もわたしの教え子なんですニャー。そして、天文クラブもやっていて、あの四人もそのクラブに入っていましたニャー。私設のプラネタリゥムなんかもやっていました。その中で生徒たちにとくに受けたのが恋愛話でしたニャー。そこでわたしは罪を犯しましたニャー。恋愛絶対占い、というのもやっていました。それはある金属片に光を当ててある人物の名前が浮かび上がったら、その人が運命の人でその金属片を金時山の頂上に生えている一本杉の根本にタイムカプセルに入れて埋めたら、その恋いは成就するだろうと言いました。そして、金属片をあの中学生になったKK子がまだ小学生のときに与えたのです。しかし、わたしはあの娘をからかってやろうと思って、仲村トオルの名前が浮き出るようにした金属片を与えたのです。その作り方は昔の古代の鏡を作るやり方と同じです。KK子はすっかりと信じているようでタイムカプセルにそれを入れて木の根本に埋めました。それから、小学生にはわからなかったでしょうが、大人のわたしから見ると、明らかにKK子は仲村トオルに心を奪われていることがわかりました。あの娘はそれを真に受けていたんですニャー。大変なことをしてしいまったニャー。しかし、中学になればそんなことは忘れるだろうと思っていたのですが。KK子と仲村トオルがここに来た驚き、ああ、わたしはどうしたらいいのだろう。KK子が仲村トオルを一生の伴侶に選んだりしたら、私はおろかだったニャー。でも、あなたに告白して、わたしの心は軽くなりましたニャー。よろしければ、あなたのお名前をお聞かせくださいニャー」

すると中学生は答えた。

「ヨン様ニダ」

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