第22話
第二十二回
「あれは」
別所哲也が声をあげた。
仲村トオルもルー大柴も同じ言葉を発した。
それは武田鉄也自転車屋にいた風船拳老師の孫娘だった。
彼らが自転車の修理でその店に行ったとき、その孫娘を見た。
じじいとお医者さんごっこの遊び道具のことでけんかしていた。
「鉄也、何で、こんなところで遊んでんだ。わたしのおじいちゃんだからって、承知しないからね」
「くははははは、相変わらず口の減らないわが孫だな。今は説明している暇はないわ。ミカちゃん、突け、突け、その女を突け」
武田鉄也が叫んだ。
孫娘は隠し持っていた長剣を山田優の方に向けたので山田優はバランスをくずした。さかんにミカちゃんの剣の攻撃をよけている。
「ふはははははは、わが孫娘、またの名を無境界童女、このわっぱの行く手をさまたげるものはない」
山田優はまたにやりと笑った。
「そうなら、七海十六結の大きさを変えるだけ」
山田優がそう言うと光の球の大きさがどんどん小さくなって行き、
ミカちゃんは外に出て来た。
「何で、七海十六結の外に出て来るのだ」
「うるさい、じじい、あそこ、せまいんだよ。じじいの馬鹿」
山田優を包んでいた球は山田優をそのままにして空中に上がり、山田優の身体は反転して、山田優は長剣をかまえて、風船拳老師を急襲するかまえをとっている。
それを予想した風船拳老師武田鉄也は神脈風船指を山田優の刀の切っ先の方に向けて、その準備をしている。
そのとき、空中に浮遊している山田優の表情が急に変わった。
チェ・ジュウたちもその方を向くと、ひとりの少年が立っていた。
「あんたは、あんたは」
山田優は絶句した。そして、静かに地上に降り立った。
地上に降り立った山田優は十六結界を解いていた。
馬鹿三人がうしろを振り返ると、小学生が立っている。
その小学生を馬鹿三人たちは知っていた。
それは上戸彩の弟だった。
「ここで写真の撮影がおこなわれるんでしょう。見せて貰おうと思って来たんだ」
さっきまでの死闘のことを知らないのか、この場所にいるのが山田優だということも知らないのか、上戸彩の弟は無邪気に言った。
「わたしは用事を思い出したんで、おさらばするよ」
すると、また山田優は手で印を組んで、何かを唱えると、窓から空中を飛んで行った。山田優が飛んで行くとき、ちらりと上戸彩の弟の顔を盗み見たが、それは魔女のそれではなかった。
「あいつ、一体、何者なんだよ。チェ・ジュウも怖かったでしょう」
所ジョージはそばに立っているチェ・ジュウの方を向いて、愛想を振り向いたが、なぜかチェ・ジュウは三人組のそばにいて、ルー大柴の腕にすがっている。
「あいつ、何、読んでいたんだ」
ルー大柴が山田優が読んでいた詩集を取り上げて見ると、それは名もない詩人の詩集だった。
この図書館のあまりない蔵書のひとつだった。本の裏の方に判子が押してある。
別所哲也もその中をのぞき込んだ。
ルー大柴がそのページをくくっていくうちに、そのページの中のはしの方にハートマークが落書きされていて、ユウさんとか、ケンくんとか、書かれている。なかには相合傘が描かれていて、その中にその名前が書き込まれているものもある。
上戸彩の弟もそれに興味を持っているのか、のぞき込んでいる。
「七海十六結の使い手、山田優、ここで平井堅と連絡を取り合っていたのか、それにしても、詩集をその連絡のために使うとは、随分、乙女チックな方法を使ったものだな」
その声の聞こえた方を見ると、ひげをさすりながら風船神脈指の使い手、武田鉄也が自分でそんなことを言って自分で納得していた。
その横には、下の自動販売機で今さっき、アイスクリームを買って来たらしい孫娘のミカちゃんがソフトクリームの渦巻きのところをなめなめしている。
その姿を途中でもみ消したたばこを口にくわえながら市川崑がうさんくさそうに眺めていた。
「先生、それはどういうことなのでしょうか」
命を助けて貰ったものだから、すっかりと武田鉄也を尊敬していた。長兄の所ジョージは神仙武田鉄也を仰ぎ見た。
風船神脈指武田鉄也は図書室の窓際のところに行くと外に広がる悠々たる雲の流れに視線を落とした。
「この市には、常軌を逸した三人の大番長が覇を競っていることは、みんな、ご存知のことと思う。彼らが肉体的能力が常人を越えていることは確かだが、彼らはまた、内力を鍛錬したことにより、絶技の持ち主であるのだ。たとえば、チェ・ホンマンなら度量無限量、假屋崎 省吾なら、火焔火狼星だ、そして平井堅、彼は七海十六結を使う。まだ不完全ではあるが」
「それ、聞いた、聞いた。さっきの女が言っていたよな」
ルー大柴が口を挟んだ。
「そうだろう、七海十六結を平井堅に伝授をしたのは山田優なのだからな」
ざわざわとしたざわめきが起こった。
馬鹿三人とチェ・ジュウは椅子に腰をおろした。所ジョージは武田鉄也の顔を見上げた。
市川崑はしけたたばこに火をつけた。ミカちゃんはソフトクリームをなめなめしているし、上戸彩の弟は自分の身体よりも大きな椅子に腰掛けて足をぶらぶらしている。
「そもそも、山田優って何者なんですか」
所ジョージは武田鉄也の顔をのぞき込んだ。
すると、武田鉄也は窓際から外に見える山並みのひとつに指をさした。
「あそこにも、拳法の聖地がある。霞雲天下閣という武林の聖地が。山田優はそこの姫君でもあるのだ。霞雲天下閣には男子の赤子が生まれない、そこで姫君は婿をとるために身分を隠して、この市に降りてくるのだ」
「この市にどうやって降りて来たのですか」
同じぐらいの年頃の女として、熱心な興味を持っているらしく、チェ・ジュウが問いただした。
「そう、七海十六結の使い手、山田優は中学の教育実習生としてこの市に降りて来た。選んだのは鳳凰中だった」
「鳳凰中って、平井堅のいる鳳凰中」
仲村トオルが素っ頓狂な声をあげた。
「そうなのだ。誰にも知られず、美術学部出身の教育実習生としてこの市の、鳳凰中にやって来たのだ」
ここで武田鉄也は深いため息をついた。不思議な縁に思い当たって深い感銘を受けていたのかもしれない。
「それは、平井堅が中学一年のときのことだった、あの日本人離れした容貌のためにとても中学一年生には見えなかったがな。くくくくくく。まだ、山田優の方は女子大生のあどけなさも残っていたが、中学生から見れば、立派な大人だった。少し地味めな紺色のスカートと少し浅黒い肌を白いブラウスのリクルートスタイルで包んだ山田優が教室に入って来たときには中学生たちはすっかりと心を奪われていたのだ。山田優の素っ気ない、冷たいといえる態度にも、みんな、中学生たちは山田優に恋心をいだいてしまったのだ。校庭で生徒たちが植物のスケッチをしているときも、そのかたくなな態度はくずれなかった。山田優と親しくなりたいと思った生徒が自分の描いたスケッチの批評を求めても、その批評は素っ気ないものだし、血の通わないものだった。しかし、蝶が飛んで来たり、空をひばりが飛んできたりすると彼女の態度は変わった。それらの生き物が山田優を同類であるようにそのまわりをまわり、会話しているようだった。その一方で生徒たちはその冷ややかな横顔に想像力をたくましくしたものだ。この魅力的な女性がどこから来たのだろうかと。武林の聖地の姫君、山田優の本当の隠された真意も知らずに。もちろん平井堅も他の中学生たちと一緒だった。しかし、平井堅はそのことを認めたくなかった。心の奥底に閉じこめていたのだ。平井堅は中学一年にして、すでに大番長だった。不良グループの代表だった。授業中は山田優にことさら反抗的な態度をとった。実は好きだったからだ。平井堅は山田優の言うことをきかなかった。平井堅くん、答えてください。冷たい口調でたずねた山田優に対して、平井堅は、先生、どこから来たんですか、恋人はいないんですか、などと、山田優を馬鹿にしたような、おどけた調子で答えたものだ。それに対して山田優はこの生徒を度し難いものと、いらいらを募らせているようだった。しかし、本当のことを知らなかったのだ、山田優は男女のかけひきを。
なにしろ、拳法の聖地で男を知らずに育った彼女は恋の微妙なからくりも知らなかった。山田優は平井堅のことを中学一年生にしては大人っぽい、少し、格好いい、でも、生意気で反抗的な子供だとしてしか見ていなかった。わしは山田優が地上に降りて来たことに危惧していた。山田優が何かをすることに対してではない。山田優は確かに絶技を身につけているが、それで何かをなすということはないだろう。あの女の目的は花婿を見つけることにあるのだからな。しかし、あの女の七海十六結の奥義を盗もうとしている人間はいる。その筆頭が假屋崎 省吾だった。案の定、龍中大番長假屋崎 省吾が子分を使って、山田優が地上に降りて来て、鳳凰中に教育実習生として来ていることを知っていた。そこで同じ武林に住むものとして山田優に知られずに彼女のそばを離れなかったのだ。山田優が言うことを聞かない平井堅に腹をたてていることはわかった。わしは平井堅がおぬしに惚れているからのことだともわからないのか、うぶな女だと苦笑いをしていたのだが、平井堅に対して、絶技を使うことだけは危惧していた。七海十六結が新聞種になってしまったら大変だからな。しかし、その危険性はあった。
そして事件が起こった。
こともあろうに山田優は人のいない体育館に平井堅を呼び出すという愚をおかしたのだ。きっと、絶技の初歩のところで言うことをきかない平井堅に脅しをかけるつもりだったのだろう。体育館に平井堅はひとりで待っていた。わしにあとをつけられているとも知らずに山田優は入って行った。わしはふたりの会話をこっそり聞いていた。
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