第18話
第十八回
俺はお前らのことが嫌いだ。嫌いで嫌いで仕方ない。どのくらい嫌いかというと、ティスプーンぐらいだと思っているだろう。そうじゃない。そうじゃなかったらコーヒーカップぐらいかと思っているだろう。そんなもんじゃない。そしたら幼児の入るビニール製の簡易プールぐらいだと思っているだろう。そんなもんでたまるか。それもはずれだ。そしたら龍中のプールぐらいかと思っているかも知れない。そんなものでたまるものか。お前らを嫌っていることにかけてはゴビ砂漠よりも大きいんだ。憎んでいることにかけてはマリアナ海峡よりも深い。世界中で一番嫌いなもの、それはお前たちだ。いや、宇宙一と言ってもいいかも知れない。おれはお前らが大嫌いだ。世界中で一番、お前らを嫌っているのは誰あろう、龍中、国語担当の、この仲代達矢なのだ。あー、すっきりした」
そう言うと国語の担当の狂ったベートーベンは教卓の上のチョーク箱に入っているチョークを一本取り出すと、くるりと、身体を反転させて、黒板の方を向いて、黒板に三十センチくらいの白い線を一本ひいた。
途中まで線をひいて、止めてしまったのは、仲代達矢の頭の中に何かがひらめいたに違いない。
「きみたち」
急に振り向いた仲代達也の声は猫撫で声に変わっていた。
「きみたち、死んだ人間と一晩、一緒に過ごしたことがあるか。俺の父親は俺が中学二年のときに死んだんだけどな、この話しは前にしたことがあるか。居間に死体を一晩置いて、俺とおふくろは隣の部屋で寝ていたんだ。そしたら、夜中にスリッパのぺたぺたとする音がして、トイレにいくと水道の蛇口がしめたはずなのに開いていたのだ。そして、死んだ親父を翌日、見ると白くなったひげが三ミリほどのびていたんだ」
仲村トオルも別所哲也もいつもの話しが始まったと思った。横を見るとルー大柴もあくびをしているし、KK子はシャープペンの芯を出したり引っ込めたりしている。倖田來未は爪のさきをやすりで削っている。
いつも、そのあとで、有名劇団に入団した話しにつながり、経済的な問題から、道なかばでそこを退団した話しにつながっている。
いつもと変わっているのは、ふたたび黒板の方に向くと、黒板に頭を三四度たたきつけて、何か自問自答していることだった。
すべての生徒たちが無視しているのにもかかわらず
ひとりの声が聞こえた。
「先生、先生は生徒のことを愛していなくちゃいけないと、父ちゃんが言っていたぞ」
黒目が大きくて丸眼鏡をかけた小柄の優等生が、いつも仲代達矢を無視している生徒たちばかりなのに、何を勘違いしたか、この教師を相手にした。
仲村トオルたちは全く、それらのことに興味も関心もなかった。
それよりも今日のチェ・ジュウの撮影のことで頭がいっぱいなのである。
すると突然、例の教師は教卓を叩いた。
そして、青い顔をしている。
「愛だと、愛だと、お前らなんか、愛せるか」
クラス中のみんなは仲代鉄也を無視しているのに、おかねどんぐりみたいなこの中学生ひとりが相手をしていた。
「先生、何か、とってもいやなことでもあったんか」
すると仲代達也の瞳の中の虹彩は急に細くなった。
それから教室の横のガラス窓を軽く叩く音がする。
仲村トオルがその方を向くと入り口が細くあいた透き間からたらこくちびるをした校長が目をぎょろりとさせて、教室の中を盗み見ている。
ちなみに校長の名前は松本清張と言った。
「ちみ、ちみ、ちょっと、こっちに来てくれるか」
仲代達矢は校長の松本清張に呼ばれて廊下の方に出て行った。
戻って来たときはくちびるをへの字に曲げていた。
今度は教室中の連中が仲代達矢の方を見ていた。
何を言い出すだろうと思って。
おかねどんぐりくんと仲代達矢の目が合った。
「やっぱ、俺はお前らが嫌いだ。世界一嫌いだ。いや、宇宙一だ」
それから黒板にチョ-クで小さな円を
それから丸をどんどん大きくして
自分がどのくらいこのクラスの生徒を嫌っているか現しているようだった。
それから生徒の方を向いた。
ほかのクラスの連中を無視して、おかねどんぐりくんの瞳だけをじっと見つめて仲代達矢は彼に言葉を投げつけた。
やっぱ、俺はお前らが嫌いだ。世界一嫌いだ。いや、宇宙一だ」
しかし、
おかねどんぐりくんは言葉をひとつも返さなかった。
おかねどんぐりくんの瞳はうるうるし始めた。
そして涙がいっぱいたまって、あふれ出た涙は重力の法則にのっとって頬を伝わって落ちて行った。
「今日は気分が悪い。俺は帰るぞ。あとは自習にしとけ」
仲代達矢はドアをいきおいよくしめるとどこかに行ってしまった。
お昼の給食を食べたあとで、二年B組の連中はみんな、校庭に出てバレーボールなんかをしている。
教室の中にはバカ三人と倖田來未とKK子しかいなかった。
倖田來未は窓際に行くと下の校庭でバレーボールをしているクラスの連中を見ている。クラスの連中だけではない。他のクラスの連中もいろんなことをしている。校庭の端の方にはバスケットボールのコートが立てられていて、シュートをうったりして遊んでいる。ゴールのはしにボールがあたって地面に落ちた。
「おかねどんぐりくんもさっきは目に涙をいっぱいためていたことも忘れて今はバレーボールにうち興じていた。
「いつも、仲代の奴、きちがいじみているけど、もっと変だったじゃない。それに校長の松本清張にちみちみなんて呼び出されて、なんか、言われていたでしょう。何でか、わかる」
「知らねぇよ。そんなこと」
「ばかねぇ、あんた達、何も知らないのね」
「ばかで結構」
「おれ、聞きたい。何か、あったのか」
別所哲也は興味を示した。
「あいつ、また、何か、問題を起こしたみたいよ」
「それって、華道部の連中から聞いたのか」
ルー大柴が言った。
倖田來未は意外にも華道部に入っていた。
「なんか、消防車まで来たんだって」
「なんで、そんなこと、知っているんだよ」
机の上に腰掛けながら、仲村トオルが倖田來未にたずねた。
「夜、うちの中学のそばをランニングしている華道部の部員がいるのよ。京子のこと、知ってる」
「へぇ、すごいんだ。毎日」
KK子も口を挟んだ。
龍中の前は広い空き地になっていて、草がぼうぼうと生えている。龍中の校庭とその空き地のあいだは生徒達の通学路になっている。その境は金網の塀が立っているのだった。
「いつも、そこをランニングで通っているんだけど、校舎の近くに懐中電灯の光がちらちらしていたんだって、それで、京子、何があるんだろうと金網に手をかけて、じっと見ていたら、懐中電灯を持っていたのが、うちの国語教師の仲代達矢だったというわけよ」
「ぇぇぇぇ、夜中に校庭で何をやろうとしていたっていうわけ」
KK子も驚いて、倖田來未の方を見た。
「校舎の中に忍び込もうとしていたというわけじゃないだろうな」「まさか」
別所哲也が否定した。
「そこにいたの、仲代達矢だけだというわけじゃないのよね。知っているでしょう。仲代達矢のお気に入り、山口や高田たちもいたのよ」
「あいつらも、いたのかよ。あいつらって、仲代達矢と学校の外でもつき合っているという話しだよな」
仲代達矢の一種の弟子みたいな中学生が五六人いた。
「そう、そう、仲代達矢を崇拝しているんだよな」
「京子が見ていたら、校舎の真ん前のところでドラム缶を囲んで瞑想に耽っていたんだって、それから、そのそばに段ボール箱が置いてあって、服を脱いで全裸になると、段ボールの中から安物の布きれを取りだして身にまとうと、両手を上げて、何かに祈るようなポーズをしたんですって」
「どういうことだよ、それ、何かの新興宗教か」
「そのうえ、頭にはボール紙で出来た仮面みたいなものを被っていたそうよ」
「仲代達矢もそんなことをしたのか」
「もちろん、そうよ。それからが大変なのよ。京子の見ていたとおり話すと、ドラム缶の中に木とか紙とか、投げ込んで、最後に白灯油を注ぐと、仲代達矢はそれに火をつけたのよ。それから、あいつら、そのドラム缶のまわりを変な踊りをしながらまわり始めたんですってよ。火の勢いがすごくて、三メートルくらい火柱が上がったみたい。京子がわなわな震えながら見ていると、少し離れたところにある団地の窓にいくつか明かりが点いて、窓ガラスが開いたみたい。それから、しばらくすると赤い消防車がサイレンを鳴らしながらやって来たというわけ、仲代達矢、消防署の人にだいぶ絞られていたみたい。それから、校長の松本清張も来たみたいよ。あいつ、よく、首にならなかったわよねぇ」
「なんだ、それで、あいつ、廊下でちみちみなんて言われていたんだ」
仲村トオルもこぶしと手の平を合わせた。
五人がそんな話しをしていると、たまに顔を合わせる三年生の担当の教師がやって来て窓から首を出して
「昼休みなんだから、教室なんかで、話していないで、校庭に出て運動しろ」と言ったので五人はへいとうなずいた。
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