6-2 弱者

「ガはァッ!?」


目の中で火花が散る。

浮いた体は制御が効かず。

未だかつてない痛み。

気づいた時は地の上。

意識が戻る刹那。

眼前の土埃が二つに割れて。


「―!」


辛うじて身を翻す。

金色の奔流が目と鼻の先。

転がった先。

轟音と共に。

灰と砂礫を引き連れて。

阻むもの全てを剥がしながら。


「ガあああああっ!!」


熊手の爪が。

迫る。


「―」


目を瞑った瞬間、体が浮いた。

いや浮かされた。

城でのあの感覚。

叫びすら出してもらえず。

布切れのように体が回って。

腹から何かが、ドロッと流れ出た。


背中の方で弾ける音がして、やっと地に体が付く。


「ウ、がぁッ・・・!」


口の中が苦い。


霞んだ視界の中に影が二つ。


右にはヒグマ。

かつて機械の目を通して見た姿と寸分違わず。

唯一の差異は、熊手から垂れるものが獣の血でなく自分の一部であること。


左は初めてか。

白と蜜柑色の胴体に、体の何倍はあるであろう得物。

そして恐らく、ハンターの相棒。


「あア、クソッ、三匹目がいないだけましってことですカ?」


体の回復は早い。

以前とは比べ物にならない速度で裂けた個所が塞がっていく。

だがそれ以上に。


「うぐぅッ・・・!痛いいいいイ・・・!」


腹が燃える。

一部が流れ出したところが、焼けるように痛んでいる。

立つことすらままならない。


だがなぜだろうか。

前の二匹は動かない。

ただじっとこちらを見つめて、ひたすらに体を構えるのみ。

じりじりと近づいてはいるが押しかけては来ず。

まるでもう仕留めたと言わんばかりに、じっくりと時間をかけて。


「チイッ、なめるのも大概にしテ―」


無理やり体を起こそうと。

手を地につけた矢先。

パキッと。

何か折れた。

自身の真後ろ。

枯れ枝。

なぜ急に。


前の二頭も忘れて、恐る恐る後ろを向く。

それほどまでにその気配は目立っていて。


奥に一つの薄灰色。

先程何か投げられたあの位置。間違いなく投げられたそのもの。

それがゆっくりと上に伸びて。

体と手と耳をもってして。

一匹の獣の形をとった。


「…三匹目、いたんですネ。」


こちらに振り向くや否や。

目に暴走の光を灯して。

全身からは途方もない量のサンドスター・ロウが漏れだす。


「カルルルル・・・」


灰にまみれたリカオン。

顎から覗く犬歯は赤茶けており。

かつて見たような拳闘の構えではなく。

甚だ獣のような四足で。


後ろからは二頭の息がかかる。

とっくに熊手の範囲内。

再びまともに当たれば、間違いなく石にまで届く。

相方の威力も尋常ではなかった。

後ろには引けない。

前にも進めない。

だが、どちらかをとるのなら―


「―まずは一匹を先にッ!」


体は前に跳ねた。

その標的は。

狗の首元。


「ガルッ!」


狗が跳ねた。

また空中か。

視線の先に標的はいた。

遥か高くの、触手でも届かないところ。

そのまま高く、遠く。

黒かばんを通り越して。

ただ一直線に。


「カルアアアアアア!!」


ヒグマの真正面へ。


「グオオッ!!」


熊手と爪が激突する。

ほぼ同時に、触手と如意棒も火花を散らした。


「ハッ、何が何だかは分かりませんけド、アナタ達もそこまで仲良しさんじゃあないみたいですネ、可愛いお猿さんッ!」


足が僅かに進んでいる。

腕力では押している。

一対一ならば。


「隣の熊さんと一緒の時は知りませんガ、今のあなたは単なる餌なんでス!そんな力でパークのハンターが務まるとでモ⁈」


瞬間、キンシコウの向こうに獣の影。


絡み合うヒグマとリカオンの、その一歩手前。


一匹の蛇。


褐色のフードに赤い目玉模様。


真っ青な瞳。


マッチを片手に。


水鉄砲をもう片手に。


『少なくともお前よりは務まったよ。獣も食えないセルリアン。』


「黙れえええええええッ!!」


届くことない幻像に触手を叩きつける。

無理に引き延ばしたその真ん中を、如意棒が正確に捉えた。

痛みに怯む黒かばんを脇に、キンシコウが跳ぶ。

背中側に反った体が、しなやかに木の上に降り立つ。


「ちょこまかト!」


木から木へ。

枝から枝へ。

執拗に後を追う黒の風の。

常に一歩先へと、金色の風が走る。


「キェアッ!」


尻尾と二本の足を支柱に、枯れた森の間を縫うようにして跳ぶ。

時たま地上へと巡ってきては、すぐさま上へと体を捻る。

電光石火の如き動き。


「伊達に護衛は務まらないってことですカ?元のアナタは狩られる側のはずなんですけどねェッ!」


奥底に残っていた、どこかの下らない物語が思い出される。

そんなことはどうでもいい。


(出来るだけ早めに決着をつけないト..仲間の片割れが来るだけでも相当厳しくなル。あの犬っころがどれだけ時間を稼いでくれるカ...無理をしてでモ、今すぐ倒さなくてハ!)


体が熱い。

視界の端、虹色のもやが浮かぶ。


「ハッ、そんなに木が好きだったラ―」


黒い風が止まった。

やがて一点に寄せ集まって。

そこを目がけて飛び込む猿など気にもかけず。

太極模様にしなった二本の触手。

その首とでもいうべきであろうか。

顎と体の間の柄が、刃のように鋭利に、薄くその姿を変える。

そして中心で。

人の形をした、黒いセルリアンが。


「ぜえんぶ刈り倒して差し上げますヨ!」


回る。

旋風のごとく。

信じられない轟音を伴って。

足すれすれに刃が掠め、慌てたキンシコウが一度身を引いた。

引こうとした。


「・・・ウギッ?」


退こうとした先。

尻尾を引っ掛ける枝も、足を乗せる幹もない。

真下の切り株に降り立って見た森は、その姿を甚だ変えていた。


「昔はこういう光景を見ると心底腹が立ったんですガ。ま、緊急避難ということで許してくれませんカ―ネェッ!!」


辺り一面真っ平。

少女の後ろで、辛うじて生きながらえていた、そして今はもう死んだ木々が横たわる。

円形に刈り取られた林の中央で、セルリアンが地を蹴った。

高低差と数的有理をなくした獣は、ただひたすら防戦へ回る。

今や唯一の頼りとなった如意棒が、どうにか黒い牙を捌き続けていく。


「真上が空いてますヨ?」


頭越しに繰り出された三本目の顎が、その捌きをかいくぐった。

露出した右肩に、深々と何かが侵入する感触。

激痛が走る。


「イキィッ?!」


「そうらッ!」


下から突き上げたもう一本に打ち上げられ、あえなく体が宙を舞う。

思ったより早く背が地に着いた。

と同時に、乾いた音が打ち付けられた耳に響く。

何かが無理やり、力づくで折られている音。


「おォ、こんなものに突かれたら一発でパッカーン、ですカ。こんな危ないもノ、元のアナタとは縁もゆかりもないんでしょウ?」


ミシミシという音を立てて。

触手に掴まれた如意棒が、歪な形にゆがんでいく。


「キエアアアアアア!!!」


金切りと共に体を飛ばす。

でも。

遠い。

遥かに遠い。

上からでもない、こんなところからの跳躍では、届きようもない。


バキッと、柄の皮が剥がれて。


「はイ、時間切―」


「カウアアアアアッ!!」


ゲートの方から咆哮。

刹那、飛び出た一つの影。

キンシコウの横を過ぎて。

驚いた黒かばん目がけて。

目にもとまらぬ速さで。


「そうやって突進ばかりしてるから狩られるんですヨ、鈍間な熊さン!!」


上から圧し掛かってくる、そのはずの動きに合わせて。

如意棒ごと触手が振り抜かれる。

だが。


「―ナ?」


その先に姿はない。

象徴の熊手はおろか、影ですらも見えやしない。

見上げた先には、灰が幾らか舞っているのみ。


「ま、さカ―」


大振りに回された体の懐。

大きく空いたその隙に。

地面に這うかの如く。


平地に適した後脚。

爪ではなく、拳が握られた前脚、いや腕。

固く食いしばられた牙。

そして、遠吠えに近しい叫び声。


「クラウアアアアアアっ!」


固められたリカオンの拳が、黒かばんの脇腹を捉えた。


「ごふぅうッ?!」


今度は触手から、痛みで得物が放される。

目の前に転がってきたそれを、リカオンが拾い上げた。

真ん中がやや傷んではいたが、武器としての役目は未だ十分に果たせる。


「キ、シコウさ・・・」


ぶつ切りの言葉の後、後方の仲間に放り投げる。

投げられたキンシコウも、再びそれを支えにして。


「ゴホッ!まさか、あなたの方が来るとハねェ...」


依然腹への衝撃が残るのか、よろめきながら黒かばんが立ち上がる。


「...おー、だー...!」


獣の構えではなく、まっすぐ立った拳法の構え。

そしてそのそばで、肩を借りながらも、傷ついた得物を据えた構え。


ゲートの前。残された狩人たちが、彼女らの使命を果たそうとしていた。

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