3-4 遭遇
「・・・しゅ。じょしゅ!」
上から声がする。
少し掠れた声。
何かを叩く音も。
薄暗い部屋の中。
埃を被った床の上。
うつ伏せになっていた。
「返事をするのです!助手!」
鍵のかかった扉が見える。
音も声もその向こうから。
扉が揺れている。
「博士、私は・・・」
「助手⁈聞こえてるのですか⁈大丈夫―」
「私は大丈夫なのです、博士。今戻ったのです。ですが、まだ、まだ扉は開けないで欲しいのです。」
叩く音が止んだ。
「・・・大丈夫、なのですか。助手。」
「一時的なものだとは思いますが、取りあえず今は正気のようなのです。少し疲れが残っている以外は体にも問題はなさそうなのです。・・・またいつ暴れ出すかは、分かりませんが。」
寝ころんだまま辺りを見回す。
天井の【らんぷ】には、黄色く仄かな光が灯っていた。
部屋の本棚には博士お気に入りの本が並ぶ。
博士、とぼんやりと呼びかける。
「ここにある本、どれほど解読できたのですか?」
一拍遅れて、くぐもった返事。
「助手の知っている通りなのです。ヒグマが野生暴走と正気を行ったり来たりしてからは、ほぼ進捗がないのです。あのごちゃごちゃした文字を読めるのはヒグマと・・・後は・・・。」
「かばん、ですか・・・。」
ゆっくりと体を起こす。
本棚の一つに体を預ける。
どうも気力が湧かない。
「―仮にかばんが目を覚ますとして、まだかばんがそれを読めるとは限らないのです。輝きがあんな風に体の外に飛び出るなんて現象を、我々はまだ理解できていないですので。しかもその輝きは他のフレンズに吸収されてしまったのですよ。」
天井の明かりを見つめる。
ゆらゆら揺れる火とは異なる、定まった明かり。
これも【でんき】の力なのだろうか。
「・・・我々はどこで間違えたのでしょうね、助手。」
上からため息が漏れた。
「我々は・・・いえ、私は、いつも間違えてばっかりなのです。助手が最初に暴走した時も。黒かばんが現れた時も。遊園地でアイツと会った時も。サンドスターの噴出が止まった時も。かばんが自分から進み出た時も。いつも隠れて、押し負けて、怯えて・・・」
段々と消え入る声。
「助手。私は長として―」
「私が覚えている限り、博士が間違えたのはスプーンの持ち方だけなのですよ。」
「なっ―・・・あ、あれはあれが正しい持ち方なのです!ああやって持った方が一度により多くの具材が食べられるのですよ!しかも手首を痛めることもないのです!」
ガタガタと揺れる扉。
同時に電灯も。
「なら博士は間違えてなどないのですよ。」
「ばかにしているのですか!」
「・・・さらなる感染を未然に防いで。群れの力を熱弁して。一日中原因を突き止めるために奔走して。かばんの手を握り返して。私が覚えている限り、博士は間違えてなどいないのです。」
「それでもっ・・・!」
「自分自身を必要以上に責めるなんて、賢くないのですよ、博士。それにもし、もしこれから博士が間違えるようなことがあれば、この天才助手が助けてやるのです。」
頭上の灯りは揺れるのを止めた。
つかの間の静けさ。
そして直後。
「・・・ふっ、それを言うなら、さっきから閉じこもってばっかりの助手も賢くないのです。早く上がってくるのです。でないと、少しだけ残ってるじゃぱりまんも全部天才博士が頂いてしまうのです!」
口元が緩む。
疲れた体を起こし、上への扉を押し上げる。
地下室と大差ないほどには暗いが、爽やかな空気が代わりに出迎えてくれた。
そして、博士の笑顔も。
「助手が暴走してからもう二日は経ったのですよ。何か食べないとサンドスターを切らしてしまうのです。」
目元は微かに腫れている。
それでも優しい顔だ。
「・・・そうですね。食べることは何よりも大切なのです。」
地上に出て博士と体を寄せる。
僅かに体が震えていたようで。
そっと後ろに回された手が、優しく背中をさすってくれた。
その手に甘えて、体の力を少しだけ抜いた。
小さな背中越しに、じゃぱりまんの入った籠が見える。
前見た時と個数に差はない。配置もそのままだ。
「博士―ッ⁈」
突然回された手がほどかれる。
思っていたより体は弱っていたようで。
支えをなくして尻もちをついた。
悪戯かと思い視線を上げる。
その先には。
「―ハハ、やっぱり、二日もサンドスターの・・・摂取がないと、ッ⁈・・・はっ、厳しいようなのです。」
漏れる呻き声。
黒ずむ瞳。
折り曲げられた体。
幾度も見た光景。
この後何が起こるかはあまりによく知っている。
「博士・・・!まさか二日間、何も―」
駆け寄ろうとしたが、掌を向けて制される。
分かっている。
今傍に行ってもできることはない。
しかし。
「説教は・・・さっき・・・十分に聞いたのです・・・。鍵は・・・中から・・・掛けとくので・・・。収まったら・・・開けて・・・欲しいのです・・・。」
ふらふらとした足取りで地下室の入口へと向かう博士。
野生暴走の際の、日常となってしまった光景。
出来ることはない。
ただその姿を見つめるのみ。
「じゃぱりまんは・・・おそらく・・・三日分は・・・あるはずなのです・・・。なんとか・・・耐えるのですよ・・・。お腹を空かすのは・・・賢くない事なので・・・。」
「博士っ・・・!」
目の前で扉は閉まった。
部屋の中で何かが落ちた音がした。
伸ばしかけた手が無気力に落ちる。
何度も経験しているはずだ。
これが最善の方法だということも、よくわかっているはずだ。
だが。
だからこそ。
「・・・だからこそ、早く終わらせるべきなのです。こんなことが最善になどなっては―」
体が崩れ落ちた。
熱い。
痛い。
苦しい。
目の前が白く染まっていく。
全身の血が沸き上がり、鼓動も激しさを増していく。
嘘だ。
嘘だ。
「―同時に・・・なんてッ・・・!今まで・・・こんなこと・・・ガァッ!」
息が出来ない。
前が見えない。
音が聞こえない。
だめだ。
耐えなくては。
私がここで暴れたら。
博士は誰が出すんだ。
せめて食べるものを。
食べ物を地下に入れてから―
「博士ッ・・・博士ッ・・・!」
体が動かない。
名前を口に出しても。
出来ることはない。
頭の中が塗りつぶされる。
「キシャアアアアアッ・・・!」
鳴き声が聞こえる。
悔し気な、切実な声が。
悲し気な、責める声が。
その音が耳に届いて。
意識の糸は、そこで途切れた。
―――――――――――――――――――――――――――――――――――――――――――
目を覚ますと灰の上。
最後に覚えている火も、木の床も、熱源もない。
体を起こそうと試みる。
だが起きられない。
手は背面で固定され、足を見ると交差したまま縛られている。
自分の身に起こっていることが理解できず、それでもどうにか逃れようともがく。
「そうダ、触手で切ればいいものヲ―」
「妙な動きを少しでもしてみろ。すぐに頭から水、たっぷり被せてやるぜ」
頭上から尖った声がした。
それも他人の声が。
慌てて頭を出来るだけ上に向ける。
顔が一つ見えた。
青い髪に灰色の目。
頭にかぶさった茶色のフードには、赤い目玉模様が二つ。
怒ってるとも悲しんでるともとれる、神妙な表情。
「お前か。図書館に火ぃつけたのは。」
灰色の空の下。
炭となったとしょかんの傍。
両手両足の縛られた黒かばんを、ツチノコは見下ろしていた。
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