7-1 拝啓
黒い少女には、【眠り】が何か分からなかった。
元のヒトの輝きによると【特定の時間に意識が自発的に消え、気づいたら時間が過ぎ去っている事象】とのこと。その途中で、現実とは無縁な出来事を目の当たりにすることもあり、それを【夢】と呼ぶ...らしい。彼女にとってそれは、記憶された事実として自覚しながらも、俄かに信じがたい物事の一つであった。
何故意識が消えてしまうのか。
何故時の流れを感じ取れないのか。
何故見たこともないようなことを目の前で想像し、そして創造することができるのか。
黒い淀みに幾年。人の形で数日。そんな時間は知るには短すぎるのか、とも思っていたが。
少なくとも目覚めてから今までに起きた、何回かの出来事を説明するにはこの言葉がピッタリか。
まるで垣間見れなかった獣たちのもう一つの顔。幾つもの顔が動けない自分の目の前で笑い、苛立ち、悲しみ、安らいでは消えていく。
もしかしたらあれらは、全て自身の想像なのかもしれない。恐らくはあの決戦の後、完膚なき敗北の後、それでも自分の影響が完全には消えなかった、そんな都合のいい想像。
「…」
目の前には、もはや見慣れた獣の骸。いやアニマルガール、リカオンの骸。
セルリアンの捕食によってか、過度な野生開放でか、回復能力を超えた負傷でか。いずれにしろ、サンドスターを大量に失ったアニマルガールはその姿を保てず、元の動物に戻るはず。
はずなのだが。
へいげんのヘラジカも、としょかんのワシミミズクも、ろっじのフェネックギツネも、そしてこのリカオンも。そんな掟を鼻で笑うかのように、全てヒトの型を保ったまま息絶えていった。
間違いなく【夢】ではない。自分の想像力では、こんな掟破りは作り上げられない。
薄汚れた獣の首筋へと這わせた掌に、微かな、本当に微かな、冷え切った骸には在り得ない温気が伝わる。かつての...いや、少し前までなら気づけなかった、確かな熱が体に伝わる。
今まで何度も喰らい取り込んできた輝きの熱がそこにあった。
その周りを囲むような、妙な同質感―フレンズには在りもしないはずの【石】の感触までも。
硬質化した変異サンドスターロウの塊が、一握りの輝きを必死に保存しようと取り囲んでいる。
割られたら即座にパッカーン…とはならないだろうけども。
「そんなちっぽけな輝きでも体がもつんですカ、エ?大層なもんですねまったク。アナタ達がボク達から学ぶなんテ。」
今すぐ躰に手を突っ込んで、かき回して、残った僅かな輝きを掻き出す。
滑らかな肌が、豊潤な毛皮になるまで。
或いは二本の腕が、二本の前脚になるまで。
恐らくセルリアンとしての本能に照らせば、それが正しかったのだろう。
「…ン、うぐぐぐグ…」
首筋に置いた手に力を籠めることなく、掌を地面に移し、体を起こす。仄かな冷気が頭をきれいさっぱり覚ましてくれる。
長い間座っていたからか、立たされた足腰が悲鳴を上げる。不可解な元のヒトの輝きの一つ、【関節炎】は、確か誕生してから数十年経たないと発現しなかったはずだが。
『だから言ったろ。お前じゃあ務まらないんだよ。獣も食えないセルリアンが。』
「ボクは雑食ですが小食でしてネ。お陰様でもう満足ですヨ。何せここから火口に向かって山登りでス。腹八分ぐらいが丁度いいでしょウ?」
瞬きした次の視界に、蛇の影は見当たらなかった。
・・・
今にも崩れ落ちそうなゲートを潜り遊園地の奥へと進んでいく。以前来たときは大層忙しかったので、余り此処の道は覚えていない。が、大まかな地図と、ここを突っ切れば山まで近いという情報は頭の中にある。
ゲートから回転木馬を過ぎて、やがて観覧車の前へ。酷く錆びついたそれぞれの籠が、嫌な軋みを立てていた。地面の煉瓦はそのほとんどが形を保てぬまま。
二度目となる遊園地をざっと見渡してみる。
足の欠けた木馬。取っ手の失せた盃。背もたれがないベンチ。
ふと頭を傾げて、胸に手をあて、両腕を空にかざす。そのまま真っ直ぐ進むことなく、向かって右へ。
やがて煉瓦の道が途絶えて、再び木々のなか。
遊園地の外れにある小さな建物。
見覚えのある景色と温度とを見つけて、近づくと何かに阻まれた。
幾度と破った膜の感触。しかし今度は甚だ強靭で。手をあててから半刻ほどして、辛うじて体をねじ込めるほどの穴を拵えた。
軽快にはぜる薪の数々。
生暖かな獣の気配。
―そして、小さな箱庭に猫が一匹。
「どうやって入って来たのー?」
「さあ。もう火には馴れたんですカ?」
「ううん。まだ。熱くて、ユラユラしてて、ちょっと苦手かな。」
「…じゃあ何で焚火なんてしてるんでス。」
「かばんちゃんがね、たまに喋ってくれるの。サーバルちゃんって、私の名前を呼んでくれるの。でも、すごーくたまーに寒いってから、こうすれば暖かくなるかな、って思って。」
「そんな毛むくじゃらの手じゃあなたがすぐに燃えてしまいそうですがねェ。…まあ、暖かいのは焚火のせいだけではないと思いますガ。」
バチバチと音を立てて枯れ木は燃える。
火の粉が舞うのを意にも介さず、猫はひたすら火柱を見つめる。
「アナタでしょウ?残る一欠片―かばんの最後の輝きを持っているのハ。」
微動だにしなかった耳が、ピクリと撥ねた。
「熱が足りないんですヨ。幾ら時間が経ったとはいえ、あの時に感じた輝きはこんなもんじゃアなかっタ。それこそ此処一帯の全てを飲み込むほどの灯が、そう簡単に萎むわけはありませン。」
「先ほどの質問に答えてあげまス。あなたの張ったバリアは確かに強かっタ。驚きましたよ、たった二体の共鳴でここまでの力が出せるとは思ってませんでしタ。以前の僕ぐらいか......あるいはそれ以上。それも一体分の輝きはバラバラだってのニ。想定外しか生みませんネ、アナタ達。」
「…かばんちゃんはね、【きょーめい】は私とかばんちゃんじゃ起こせないって言ってたよ。」
「あくまでそれはあなた方のやろうとしてる【共鳴】の話でス。バリアなんて、輝きとサンドスターロウさえあれば楽に作れるもんですヨ。一度作ったことあるボクにはすぐに破られちゃいましたがネ。」
猫が立った。
音もなく、ただ静かに、ぼんやりと。
そしてゆっくりと、敵を見据えて。
「どんなことを考えてるか、私にはやっぱわっかんないや。」
「成程?貴方の大切なお友達は余り喋ってはくれなかったト。」
「ううん、私がもういいっ、って言ったの。かばんちゃんの悲しそうな顔なんて、もう見たくなかったから。でも、山に行く前にこれだけは言われた。」
「生きて、って。サーバルちゃん、絶対に死なないでね、って。私はあなたに食べられちゃいけないんだ。すっごく難しいけど、絶対守らなくちゃ。」
「だって私とかばんちゃんの、大切なお約束だから。」
虹と黒の共鳴 クロフク @kurohuku8713
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