2-2 謁見

まず初めに衝撃。

腹から空気が一滴残らず追い出される。

体は非力にも二つに折れ曲がる。

胸の石が割れたかのように感じる。

その次に痛み。

全身が粉々になる感覚。

同時に平べったく潰される感覚。

同時に大穴を開けられた感覚。

そしてその次には―


「―ッ!」


体が跳ねた。跳ね飛ばされたと言ってもいい。

床に背中が叩きつけられる。

新たな衝撃で視界に色が戻り、再び息が吸い込まれる。

だが思案を巡らせる猶予まではなかったようで。


「ウアッ!」


轟音、衝撃、恐怖。

再び体が勝手に動き、辛うじて横へと身を転がす。

間一髪で振り下ろされた何かが破片を飛び散らせる。

咄嗟に顔をあげる。

先ほどまで自分のいた二か所には大穴。

最初に打ち付けられた壁の穴には黒い染みが幾らか。

床の穴には、めり込んでいる巨大な刃。

視線がその先へと移る。

移った先にいた者の姿に、黒かばんは見覚えがあった。


黒一色の胴体とは対照的な白袖の両腕。

首に巻かれた濃い灰色のマフラー。

同じく灰色の長髪から延びる大きな二本の角。

こちらを見据えて燃え上がる虹色の双眸。

以前と異なるのは顔に浮かぶ憎悪と憤怒の表情。


「―グオオオオオオオオオアアアアアアッ!!」


引き抜かれた薙刀片手に、かつての森の王―ヘラジカは、その咆哮を轟かせた。


「・・・そんなに怒っちゃっテ、どうしたんですカ?自分の手下が人質に取られた時だっテ、ここまでひどい顔ハ―」


返答の代わりに殺意が返ってきた。

振り下ろされた刃を辛うじて避け、慌てて態勢を立て直す。

眼前の獣は、黒かばんを唯一の敵と認識した。

しかし正々堂々と一対一でなど、彼女にとってはあまりに非効率的。


「あんなに大事にしてたお仲間さんはみんなどこに行っちゃったんですカ⁈協力し合って仲良く生きる生き方ヲ、殺し合わなくてもいい生き方ヲ見つけたんじゃアなかったですっケ⁈」


王は聞く耳を持たない。

気に留めていないか、あるいは、聞こえていないか。

迷いなく自らの敵を捉えると、床を掴む足に力を籠める。


「グオアッ!」


速い。

一瞬の溜めの後、砲弾のごとく繰り出される猛烈な突進。


「チイッ!」


今回もまた辛うじて、だが確実にそれを回避する黒かばん。

直後に繰り出された斬撃が顔の一寸先を掠める。

彼女の代わりに粉々になった地面が警鐘を鳴らす。

あの刃に当たったら、死ぬ。

あまりに不利なこの戦いの中で、彼女は突破口を見出せずに居た。

距離をとれば目にもとまらぬ速さでの突進。

かといって間合いを詰めれば薙刀の斬撃。

一撃ごとに空気は割れ、床は砕け散り、壁には亀裂が入る。

まるでこの状況を待ちわびていたかのような猛攻に、避けるだけでも精一杯で。


(触手も下手に出すとロウの残量が厳しイ・・・。けどこのまま出し渋ったってじりじりと追い詰められて終わリ。持久戦に持ち込まれる方が不利なのは目に見えてるネ。)


「何より防戦一方ってのも面白くないですしねェ!」


黒かばんの顔に、いつもの不敵な嘲笑が浮かぶ。

直後、横薙ぎに振るわれた刃。

当たれば即死。良くて瀕死。

彼女は身を引かない。


「・・・この距離なら自慢の武器モ、役に立たなそうですヨ?」


「―⁈」


その代わり、彼女は内側へと潜り込んだ。

刃と地面、生と死の僅かな隙を見切った。

薙刀という武器の特性上、相手に密着されてしまっては意をなさない。

突進を仕掛けようにも、敵を目と鼻の先にして力を溜める隙はない。

想定外の行動に、初めて王の顔には驚きが浮かぶ。

ヘラジカが身を引いた。

再び彼女の得意な間合い。

だが同時に、黒かばんの「武器」が輝く間合い。


「首がお留守ですヨ、獣さン。」


背中から放たれた触手は、本体が弱っていたためか、驚くほど速くはなかった。

しかし意表を突かれていたヘラジカに、それへと反応する余裕はなくて。

たったの一手で、戦局は覆った。


「グォッ・・・!」


サンドスター・ロウの顎は、彼女の首筋を正確に捉えた。




「・・・やっと静かになってくれましたカ。小鹿ごときが騒がしく動き回りやがっテ、目障りなんですヨ。でも不思議でしたねェ、獣の暴れ方とフレンズの知性が合わさった動きでしたもんネ?ま、なんでそうなったか考えても無駄そうですけド。」


黒かばんはヘラジカを見つめる。

角とは不釣り合いに細い首に、彼女の触手はしっかりと食いついていた。

先ほどまで暴れていたのが嘘のように、ヘラジカは沈黙を貫く。

死んだかどうかは定かでない。

だがいずれにせよ、もう彼女から得られるものもないだろう。

触手の先端に力を込める。

彼女の命を確実に絶つために。

目の前の敵を、消すために。


ふいに、熱を感じる。

今まで感じてきた、だが今までで一番強い輝き。

襖の手前で感じた暖かさ。

確かに輝きを感じたのはこの部屋だった。

だがなぜ、今になって―


その熱が触手の先端から伝わってきたことに気づいた時、黒かばんの足が浮いた。

そのまま体が宙を舞う。

声を出す暇などない。

床が空となり、天井が地面となった直後、その空が頭を殴り倒してきた。


「がはッ!!」


視界から再び色が消える。

目の前の世界が揺らぐ。

石が再び悲鳴を上げる。

既に統制を失った体が背中から吊り上げられた。

またもや天地が逆転する。

状況は理解の範疇を超えていて。

成す術などない。


「ガウアアアアアアッ!!」


咆哮が耳に届いたと同時に、何かがブツンと切れる音。

そして、糸の切れた凧のごとく壁に打ち付けられた衝撃。

最初の被弾と違う点と言えば、その壁は黒かばんを受け止めてはくれなかったことか。

幾年もの時が経ち、何とか形を保っていた部屋脇の障子は彼女の激突に脆くも崩れ去った。

吹っ飛ばされた先の地面は固く、捲れ上がっていた。


無理やり目をこじ開ける。

そこは最上階の外、屋根瓦の上。

四肢すら動かせない黒かばんに出来たことは、視線を動かして「敵」を捉えることのみ。

微かに唇を開け言葉を零す。


「・・・やっちゃいましたネ、ボク。」


障子に空いた大穴の奥で、彼女の触手がなおも懸命に「敵」の首元に食らいついていた。

中ほどで断たれた未だうごめくその触手を、王は自らのマフラーごと引き剥がした。

投げ捨てられた残骸は、そのまま部屋の中へ消えていく。

首に傷跡はない。

もぎ取った僅かな勝機は潰えた。

戦局は再び覆った。


残されたのは絶望と、王の一撃のみ。

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