2-3 退位
灰色の空の下、朽ちた瓦屋根の上。
そこには獣が一匹と、セルリアンが一匹。
片方は地を踏みしめ、もう片方は地に横たわる。
やがて踏みしめていた足が、前へと動きだす。
「ボクの話を気にも留めやしなかったあなたガ、目の色変えて殺しに来るとはネ・・・。」
一歩。
王は歩みを止めない。
守ると誓った「それ」を、目の前の敵が脅かしたから。
「ボクを殺したってパークはこのままですヨ?誰が好きでやるんですカ、廃墟作りなんテ。」
二歩。
王は歩みを急がない。
目の前の敵は、起き上がることすらままならないのだから。
「確かに人の家ニ勝手に上がったのハボクですしねェ。・・・ボクが悪かったですヨ。」
三歩。
王は刃を構える。
今度こそ、息の根を止める。
「まア、悪かったですけド―」
手が動く。
体に力を籠める。
目の前の敵に、全神経を向ける。
刃が、振り下ろされる。
直後、鈍い破砕音。
瓦に零れ落ちる液体。
そして悲鳴。
「グオア゛、アア、アアアァアアッ!」
ただし、それは黒かばんのものではなかった。
相変わらず地面に背をつけ見上げる様相の彼女には傷一つついてない。
それどころか、顔には笑みすら浮かべていて。
「―ボクはやられる気なんてさらさらないですヨ?」
天を仰ぎ、余りの痛みに叫び声を上げたのはヘラジカであった。
彼女の手から薙刀が滑り落ち、乾いた音を立てて転がっていった。
代わりにその手で、血が湧き出る右目を必死に押さえる。
足元の赤い染みには、投げつけられた瓦が粉々になって浸かっている。
染みは後ずさるヘラジカを追って道を作る。
「逃がすもんですカ。」
「ガハァアアアアアアッ!!!」
二度目の油断はない。
砕け散った破片を手に握り、立ち上がった勢いを乗せ残っている左目に深々と突き刺す。
何ががひしゃげる音とともに、眼孔から噴き出る鮮血。
辺り一面には鉄臭い匂いと鮮烈な赤色。
一層大きくなる叫び声。
耐え難い、顔を引き裂かれるような痛み。
そして、今までにない怒り。
「アガアアアアアアアアアアッ!!!」
敵の場所も、距離もわからない。
無暗に振り下ろされた拳は、黒かばんを掠めもせず、空しく屋根を殴った。
一瞬の静寂。
そして。
足場は消えた。
「―なッ?!」
たったの一撃で粉砕された屋根と共に、黒かばんの手もヘラジカの顔から離れる。
屋根の残骸はその下の構造物を次々と砕きながら落ちていく。
鳥の子でもない二匹には、そのまま地面に打ち付けられる他に成す術はなかった。
―――――――――――――――――――――――――――――――――――――――――――
「イテテテ・・・今日はいったい何回吹っ飛ばされれバ気が済むんですカ・・・。」
崩れ落ちた瓦礫からゆっくりと遠ざかる。
ふと見上げると、幾重にも積まれた瓦礫の山が見える。
片側の構造がほぼ全壊したにも拘らず、未だに城塞はその姿を保っていた。
全身には鈍い痛みが走っているが、驚くことに目立った外傷は見られない。
真っ赤に染まっている両腕を組み、立ち上がらぬままぼんやりと瓦礫の山を見つめる。
「まさかとは思いますガ、ねェ。」
まだ痛む体を起こして、瓦礫の山へと近づく。
今までの戦いが嘘のように、辺りは静まり返っていた。
時が止まっているような静けさ。
だが最初とは何かが違う。
生が感じられないこの空間と不釣り合いなものが、瓦礫の奥から伝わってくる。
言うなれば、信じたくはないが、もう慣れたあの感覚。
熱源、暖かさ、そして―
「輝キ、ですカ・・・?」
言葉が口から洩れるのと、目の前が爆散したのはほぼ同時。
余りに想定外の出来事に、飛び散る破片から身を守ることもままならず。
次に目を開けた瞬間には、巨大な手が視界を覆いつくしていた。
「グガアアアアアアアアアッ!!!」
その手は首元を締めあげ、再び体を地に叩きつける。
首に指が食い込む。
目の前が赤い。
声が出ない。
息ができない。
「ガ、ア、アッ・・・」
腕を掴んで引き剥がそうとする。
しかし血で滑る手は敵を掴めやしない。
体が吊り上げられる。
首への力が強くなる。
捩じ切れる寸前。
「グウアアア・・・」
唸り声が遠くなる。
左腕が抵抗をやめる。
必死に動いていた右腕は、やがて動きを止め、だらんと垂れ下がり、根元から切れ落ちた。
視えはしないが、感じる。
敵の感触が伝わってくる。
あと、もうすこし。
もうすこしで、かてる。
もうすこしで、おわる。
もうすこしで、まもれる。
もうすこしで―
風を切る音。
首元に違和感。
空いている左手で触れてみる。
湿っている。
溢れている。
刺さっている。
引き抜かれる。
もっと溢れる。
力が入らない。
ダメだ。
まだダメだ。
もうすぐなのに、
もうすぐなのに。
何だか、ねむいなぁ・・・。
ヘラジカの巨大な体は、地面に崩れ落ちた。
首の中央には、ぽっかりと風穴があいている。
痛々しいほど溢れ出す血は、灰色の地面に色をつけた。
だけども、その顔は、とっても穏やかで。
森の王は、息を引き取った。
崩れ落ちている体がもう一つ。
片腕の無い、小さな体。
引き換えに背から生やした鋭利な触手には、赤色が少し。
目は焦点が合わず、息もろくにできない彼女。
無理やりに体を動かし、王の骸へと這い進む。
理由などない。
目的ならある。
残った左手が骸に触れる。
世界が、虹色に包まれた。
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