5-2 兆候

「水風船なんか取り出してどうしちゃったんですカ?友達思いの狐さン?」


「濡れるのが嫌だったら避ければいいじゃないかー。」


「はッ、猫じゃあないんですかラ・・・」


豪語はしたものの、無策の突撃は気が引ける。

あのフードと既に話しているならば、水が効かないことなど知っているはず。

そんな無用の長物をわざわざ見せびらかした。

何のために?


「・・・ところデ、」


今は時間が欲しい。

考える時間が。


「先ほど言ったこト、まさか本気じゃないでしょうネ。」


「アライさんのことかい?私はアライさんのことで嘘つかないかなー。」


「どうせこのまま放っておいたらパークは滅びるんでス。そうしたらあなたモ、あなたの友達もそこでお終イ。避けられないのは寝てたボクより起きてたあなた達の方が詳しいでしょウ?だから憎たらしいボクを起こしてまでそれを止めようとしタ。なぜ今になって躊躇するんでス。」


「君が確実に共鳴を選ぶとも限らないじゃないカ。」


「可能性でボクを負かした子のセリフとは思えませんねェ。というよリ、ボクは何をすればいいかまだ分かってないんですヨ?そんな状態で選べって言われましてモ。」


「あれ、ツチノコから聞いてると思ったよー。」


「あのフードは自分の好きなことだけ話してましたかラ。」


「・・・じゃあ、こうしよっか。私を捕まえられたら何をしたらいいか教えてあげるよ。でも今日私が逃げ切ったら―」


言い終わらぬ内に、黒い筋が空を切った。


「やめませんそういうノ。」


掠めた頬をぬぐった白い手袋と、銛状の触手の先端に、赤い染みが滲む。

黒かばんの赤い瞳にもまた、苛立ちの色が揺れる。


「ボクはアナタを逃がさなイ。生かす気なんてもっとなイ。」


刺すように冷たい声が部屋中に響く。

触手の牙が唸りを上げる。

沸々と、何か熱いものが脈打っている。


「そんな半端な気持ちでボクの狩りを貶すなラ・・・」


「・・・私が悪かったよー。私はただかばんの―」


再び話し終わらぬ前に。

何かが折れる重い音。

何かが弾ける軽い音。

確実な手ごたえと、それと同時に吹き飛ぶフェネックの体。

獣の中でも特に華奢な体躯では、鉄塊の様な触手の一撃を受け止められるわけもなく。


舞い上がった埃の先、部位を定めるべく触手を動かそうとする。


先に足だ。次に腕。頭は最後でいい。


「・・・君も随分・・・ごほっ、後先考えないねー・・・。」


「まだ喋れたんですカ。口は最後にしますから自由に話しててくださイ。ん、なんか引っかかっタ・・・?」


いや違う。

動かせはしないが引っかかった感触ではない。

どちらかといえば―


「・・・思ってたのとは違うけど・・・、どうにか・・・よっ、と―!」


ふつと先が軽くなった。

精一杯力を入れていた体が、不格好に後ろによろめく。

踏ん張った矢先、何かが飛んできた。


「―!?」


決して速くはない。

だが重い。

そして固い。

何より―痛い。


「ああ、ああ゛ッ?!」


いつもの微々たるものではない。

打たれた鼻から、目から、顔から。

焼けるように刺激が走る。

目が眩む。

衝撃によるものじゃない。

痛い。

ただひたすらに痛い。


「・・・石とサンドスターの粉入りは効くみたいだねー。問題なく固まるのかー。」


「なめるなっ・・・!」


眩んだ視界に光が迸る。

それが外からの光なのか、あるいは目のうちからなのかは分からない。

砕け散った、元は触手だった破片を跳ね除け、ただ一直線に。

敵の元に。

壁を突き破って。

轟音と共に。

共に下に。


・・・


気が付いた。

全身が痛い。

城よりずっと痛い。

引き裂かれているみたい。

高さ的にはそう高くなかったはずなのだが。


「ううッ、鉄臭イ・・・。」


匂いの元を探る。

血痕が脇にちらほら。

その先に狐がいた。

立つこと叶わず這っていた。

右足が膝の表側に折れ曲がり、頭から絶えず血が垂れる。

口から乾いた息を漏らしながら。


「そんな体でよくモ・・・。」


萎れた尻尾を掴むと、驚くほど簡単に引き寄せられてきた。


「腰元のこれはもらっておきまス。流石にあそこまでされちゃあねェ。ボクも痛いのは嫌いですかラ。」


「・・・やー。」


「・・・あなたたちに何があったか知りませんガ、そんなつまらない顔されるのは勘弁でス。せっかくお仲間さんもいるんですかラ、呼んでみたらどうですカ?」


フェネックは答えない。

あの時の助手と同じ。

全てを諦めて、何かを悟ったような。

死を前にしては、安らかすぎるような。

そんな顔。


「あーア。分かりましたヨ。こっちが手を打ちますカ。んー、出来るかどうかは分からないですガ・・・。」


今より薄く、のんびりとした感じで。

ただ危険時だということを考えてあまり間延びせず。

喉に力を入れて。

可能な限り大きい声で。


「やー、放してくれないかナー!このセルリアン・・・流石に、独りじゃ・・・!」


一通り叫び終わる。

次の一声の前、脇の獣に目を向ける。

達観の表情はどこへやら。


「あのなりそこないの声真似だけだと思ってましタ?言ったじゃないですカ。セルリアンは模倣が得意だっテ。」


尻尾から手を静かに放す。

最早逃げる気もないようで。

呆然と虚空を見つめたまま。


頭上の部屋の一つがひどく揺れている。

十中八九、片割れがそこにいるのだろう。


「あなたたちは強いんですヨ。群れの力は確かに強イ。ですガ、その力に頼りすぎなんでス。」


上で何かが弾けた。

灰色の影がそこから飛び降りて、フェネックの前に駆け寄った。

以前より毛深くなったアライグマが汚れた彼女の顔を舐める。


「ああ、アライさん・・・なんで・・・」


「相方に頼っているのはお互い様なんですヨ、仲間思いの狐さン。」


黒かばんの声を聞いて、こちらに振り返ったアライグマが、威嚇の唸り声をあげる。


「クルルルルル・・・」


土埃の下、二匹と一人が向かい合った。

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