5-4 相思

「ううっ、アライさーん・・・?」


いつぶりに目を開けたんだろう。

眩しい。

頭が痛い。

胸がどくどくする。


目だけを動かして辺りを見回す。

真っ白なシーツに枕。

ベッドの上だ。

でも今ベッドは、具合の悪い子たちが使ってるはず―


「・・・フェネックぅ・・・目、覚ましたのかあ・・・?」


聞きなれた声。

さっき見たばかりな気がする顔が浮かぶ。

頭の痛みをこらえて体を起こす。


「アライさん―⁈」


いた。

ドアの真横、押し入れの足元。

ふさふさの耳にくりっとした目。

疲れなんて吹き飛ばす元気な声色。

すごく見慣れた、私のパートナー。


「こ、このじょーきょーは今説明するから、ちょっとだけ待って欲しいのだ!アライさんは全然平気なのだ!だからフェネック、こっちに来ちゃ―」


いつも元気なアライさん。

ちょっと目を離すと、すぐどこかに飛んで行って。

一緒にいるとこっちもじっとしていられなくなるような。

そんなアライさんが。

縛られてる。

渡し橋に使われるような野太い縄。

明るい表情と似合わないそれらが、体にきつく食い込んで。

なんで、なんでそんなもの。


「アライさ―!」


「来ないで!!」


飛び出た矢先。

思わず体が怯む。

今の声。

アライさん?

すごく、怒ってる。


「・・・と、突然怒鳴ったりして、ごめんなさいなのだ。フェネックは何一つ悪くないのだ。でも、今は、今はちょっとアライさんから、後ろに行って、離れて・・・」


どうして?

どうしてそんな、嫌だよ、今度はそんな悲しい顔。

驚かせちゃったのかな。

怖がらせちゃったのかな。

急に飛び出したからかな。

だったら、今度はもっとゆっくり近づいたら・・・


「アライグマさん!今の叫び声は?!」


「ひっ?!」


突然開かれたドア。

大きな音。

怒鳴り声。

思わず、首を引っ込めた。

怖い。


「あ、リカオン・・・」


リカオン?

聞きなれた名前。

恐る恐る上げた顔。

その視線の先に、確かにいた。


「・・・フェネックさん、ごめんなさい。その、起きていると思わなかったもので・・・」


垂れた耳。

下がった眉。

申し訳なさそうな表情。

アライさんが何かやってしまったときの、そんな顔。


「大丈夫さー。ねえ、それよりアライさんは―」


なんとか笑おうとしてみせる。

震える手を押さえながら、今何より知りたいことを尋ねる。


「説明はアライさんに任せるのだ。それでもいいか、フェネック?」


返事はアライさんから返ってきた。

駄目なわけがない。

小さくこくりと頷くと、少しだけアライさんの顔が明るくなった。

しかし、その直後。


「フェネックさんは野生暴走に陥ったんです。」


「え・・・?」


「リカオン!今アライさんが―」


再び振り返った先。

抗議するアライさんを横目に。

開いたリカオンの口からとめどなく言葉が流れ出る。


「元々一日に数回、暴走はされてたんです。ですがそれぐらいなら他の皆さんもそうでしたし、フェネックさんは兆しが見えたらすぐ部屋に戻っていたので、そこまで深刻だとは思わなかったんです。でも数日前、何の兆しもなしに、食堂で暴走し始めて―」


「もうやめるのだリカオン!そんなことなんてフェネックに話す必要ないのだ!」


頭がくらくらする。

私が?

野生暴走を?

アライさんの叫びが空回りする。

でもなんでか、リカオンの声だけは嫌でも聞こえてきて。


「―どうにか部屋に連れ込んだんですが、その後もしばらく暴走が続きました。・・・正直言って、もう暴走から戻ってこられないんじゃないかって。そうしてたら昨日、突然フェネックさんの部屋が静まり返ったんです。それで見たら、この状況に・・・」


「リカオンっ!!」


「・・・入ったらアライグマさんが縛られてて、解こうとしたんですが・・・自分から縛ったんだって・・・それで・・・輝きを渡したから・・・もうすぐ自分は暴走しだすって・・・」


「・・・渡したのはかばんさんの輝きだけなのだ。アライさんの輝きは、まだ、まだアライさんが持ってるのだ。そうじゃなかったら、アライさんはとっくに暴走してるはずなのだ。」


「輝きはそう簡単に切って渡せるものじゃないんです!!かばんさんがあのセルリアンに引っ張られてどうなったか、アライグマさんも見たじゃないですか?!」


「それ以外に方法がなかったのだ!!あんなに苦しそうなフェネックを置いとく訳にはいかなかったのだ!石だってもう全部なくなってるって知ってるのだ!アライさんは―!」


「ねえ、リカオン?」


自分の声?

多分そう。

二人とも、こっちみてる。

すごい顔。


「アライさんと、その、お散歩しにいってもいいかなー。」


「フェネック、アライさんは今―」


「・・・一応、輝きを渡してから一日以上経っています。サーバルさんもああなったのは三日後からでしたので、今なら問題ないはずです。ただ、何か兆しが見えたらすぐに戻ってきてください。それで大丈夫なら・・・」


「ありがとうねー。」


ベッドから体を起こす。

そっと足を降ろして。

一歩。

もう一歩。

さらに一歩。

手を伸ばして。

そっと顔に触れて。


「アライさーん、どうやってこんなにきつく縛ったのさー。」


「・・・ふ、ふはは!アライさんは器用なのだ!これぐらい朝飯前なのだ!」


固い結い目が、一つ一つ解けていく。

するりと床に重なっていって、やがて最後の環がずれ落ちた。

アライさんは今、自由だ。


「フェネックさん・・・?」


今しかない。


「―ッりゃあっ!」


組めた。


「うぐぅっ!?」


どうにか押さえた。

リカオンは、ああ、ごめんなさい、そんな顔しないで。

でも怪我はないみたい。

良かった。


「今のうちに!アライさん逃げて!」


「え、え・・・?」


「何・・・何するのフェネック!!なんで!!なんでアライさんを!!」


「私じゃ長くは持たないから!早くっ!!」


そう。

ハンター相手じゃ敵いやしない。

それでも、少しなら時間を稼げるかもしれない。

ドアからでも、あるいは窓からでもアライさんなら。


胸が熱い。

目が焼けるみたい。

野生開放はせいぜい持って数秒。


「捕まえさせないっ・・・!絶対にっ!!」


何とか首だけを回して、アライさんの方を向く。

その先。

逃げてない。

ただ座り込んで、呆然とこっちを見てるだけ。


「何してるのアライさん!早く逃げ―」


「フェネック・・・嘘ついたのか?アライさんに、リカオンに、フェネックに・・・嘘、ついたのか?」


「・・・え?」


嘘?

違う?

違う。

違うの、アライさん。

そのアライさん。

ゆっくりと、縄を拾い上げて。

それを後ろ手に回して。


「何・・・何してるの?!何してるの!!」


何も喋らない。

刹那、体がひっくり返る。

今まで下だったリカオンが、上に来た。


「動くなっ!」


裏返った金切声。

何かが顔に零れてきた。

たぶん、涙か何か。


「離して・・・離せえぇぇっ!!」


脅すような唸り声。

何かが爪に垂れてきた。

たぶん、赤い何か。


「ギヤァァァァ・・・!!」


ダメだ。

ビクともしない。

いや、でもむしろ。

引き留めているこの間に、アライさんが逃げてくれれば。


「・・・なあ、フェネックぅ、」


「アライさん?!なんでまだそこに―」


「―昨日までアライさん一人で結べたのに、なんか上手くいかないのだ。どうしても指がうまく動かないのだ・・・。アライさん、どうなっちゃうのだぁ・・・。」


脇から必死に顔を出す。

気のせいではない。

爪は鋭く厚くなり、毛の量も一段と増した、アライさんの両手。

嫌でもそれらが、はっきりと見て取れた。


「嘘・・・なんでもう・・・だってさっき三日って・・・。」


力がふっと抜ける。

同時に、被さってた体が横に退いた。

這って、這って、変わりつつあるその手を取る。


「―ごめんなさいなのだ、フェネック。またアライさんの我儘でフェネックを困らせちゃったのだ。でも、アライさんでも、今アライさんが外に出たらみんなの危機になることぐらいは分かるのだ。それに、嘘はいけないのだ。嘘ついちゃいけないって、前にフェネックがアライさんに教えてくれたのだ。」


荒い後ろからの吐息と、前からの声が聞こえる。

でも、何を言ってるかは分からない。

ただごもごもした音が届くだけ。

見えるもの聞こえるもの全てがくぐもる。


「フェネックぅ、泣かないで欲しいのだ・・・。フェネックが泣いちゃったら、アライさんも泣きたくなっちゃうのだ。アライさんにはフェネックがどうしたら泣くのをやめるか分からないのだ。だから、フェネックぅ、泣かないで欲しいのだ・・・。アライさんのお願いなのだ、フェネックぅ・・・。」


誰かが泣いている。

大声を上げて、わぁわぁと泣いている。

もう一人泣いている。

喉を詰まらせて、しぐしぐと泣いている。

いつまでも、いつまでも、泣いている。

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