6-3 讐仇
「う、ギイィ…」
立ち上がった二匹。
「健気で結構ですガ、そんな体で持つんですカ?」
蔑む一人。
「そちらの小犬さんはリーダーを頑張って殺して来たばっかりですシ、お猿さんの方もその肩、さぞ痛いでしょウ?棒切れが先に折れるか、アナタが先に折れるか見ものですねェ。」
「キイエイイ…!」
「ダ・・・め!」
肩と唇に血をにじませたキンシコウを、リカオンが片腕で遮る。
まともに体も動かぬ状態で下手にかかっては死ぬ。
肉食獣の本能でそれが分かっているのか。
あるいは、狩人の経験か。
「おおこわいこわイ。熊さんの次に食べるのは僕ですカ?はてどうでした、二度目の熊の味ハ。僕の記憶の中ですト、かなりハリがあって癖はあれど美味であるらしいト。」
「ダま…れ!」
「しかしまァ、アナタ達の長も軟いったらありゃしなイ。一度ならず二度までも部下にやられちゃっテ!もうあなたが群れのリーダーでいいんじゃないでス?」
「ダまれぇええええ!!」
狗の足が地を蹴る。
滑るかの如く、獲物の脚部に爪を迫らせる。
「キッ!」
続けて猿も半歩遅れて。
舞うかのように、敵の頭部に得物を構える。
上と下を塞ぐ。
避けられやしない。
「もう見飽きましたヨ、そレ。」
問題は、相手に避ける気がなかったこと。
一歩も動かず打ち出された顎が、狗を宙へと打ち上げる。
「ほら、ネ?」
唖然とする狩人達。
翼も無い彼女に成す術はない。
ただ打たれて、吠えて、叫んで。
「ほーらどっこいしョ!」
墜ちて、呻いて、転がって。
痛い。
熱い。
訓練よりも。
本番よりも。
リーダーよりも。
「そっちも忘れちゃいませんヨ、お猿さんッ!」
牙が鳴る音。
何か砕ける音。
風を切る音。
倒れ込む音。
切れた息の音。
嫌なくらい、はっきり聞こえる。
「さ、二匹同時に頂いちゃいましょうカ。」
立て。
立つんだ。
あの角度なら避けられる。
何度もやってきたじゃあないか。
上から来たら屈んで。
横から来たら引いて。
飽きるほどやったじゃないか。
なのにどうして。
私の脚は動かないんだ。
ああ、きっとそうだ。
私は元々動けないんだ。
いつも群れの後ろに立って。
せっかく輝きだってもらったのに。
奪ったのに。
まぐれでもない限り、私は。
「さよなラ、可愛い小犬さン。」
もう、いいや。
風を裂いて。
空を切って。
牙が、食いついた。
・・・
「ィイイ…」
誰の声?
私じゃない。
あれ、私の喉。
変わってない。
裂かれてない。
頭上に影。
垂れる雫。
そして、赤い染み。
「キ、ィイイ…イイィイッ…!」
キンシコウさん!
良かった、まだ大丈夫だ。
ちゃんと足で立ててるし、体も無事だし、腕も…
…大丈、夫―
「おオ、守り人の本懐でも思い出したんですカ。ただそのか細い腕じゃア、あなたの武器みたいにポキッと折れちゃいますヨ?」
両肩。
既に血の滲んだ肌に。
何か。
歯が。
牙が。
顎が。
突き刺さって。
「ナ…」
そんな。
嫌だ。
いやだいやだいやだ。
「幾らすぐにどかせることが出来てモ、そこにずっといられると邪魔でしかないですねェ。ま、輝きは頂いておきますヨ。」
え?
こっち、見ました?
そんな。
嫌ですよ。
この状況じゃ。
触れるだけでは、絶対無理ですよ。
嫌ですって。
そんな分かってるみたいな顔。
そんな諦めたみたいな顔。
やめてくださいよ。
せめて私が。
私が奪われますから。
ああ、でも、そっか。
この状況じゃ。
この両腕じゃ。
このオーダーは。
私だけが。
爪を立てた。
黒い顎にしがみついた。
体を起こした。
本能などない。
目的ならある。
歯を剥いた。
突き刺す先は。
薄い肌。
下の管。
容易く切れた。
鉄臭い味。
口の中一杯に広がって。
絶叫。
驚愕。
脱力。
そして。
世界が、虹色に包まれた。
・・・
一瞬だった。
追い詰めたはずの二匹の獣。
相も変わらず仲間をかばって、すでに一匹は死んだも同然。
残りの一匹は呆然と、ただへたり込んでいるのみ。
その一匹が、突然牙をむいた。
こちらに対してなら無理もない、そして他愛もない。
弱り切った子犬の牙などへし折れば良かったのだから。
だがその牙は、瀕死の猿に突き立てられた。
一瞬、野生暴走―フレンズらが勝手につけた名前ではあるが―に飲まれたかに思えた。
血の匂いに目をくらまさない獣はいない。ましてや肉食獣だ。
自らの常識では、それほどまでにしか説明がつかない。
しかしその目は、食いつくときのあの狗の双眼は、間違いなくこちらを見据えていた。
そして、視界が爛れた。
「ぬがああああああッ?!」
虹色の奔流が獣を、触手を、森を突き抜ける。
それに呼応するかの如く、頬の筋が焼けるように熱くなる。
余りの熱と光に、捕食が続くはずもなく。
ただひたすらに、顔を覆って耐えるのみ。
「…めんなさい。」
光の風が止んだ。
呟きが聞こえる。
顔を上げると、食われた獣が横たわっていた。
噛み痕が残る両肩と首元から、血液が依然と流れ出ているその体。
…食われたにしては、その個所にしか傷がなかったのだが。
「―ナんでなんですか。」
「…ハ?」
「ナんで私たちにこんなことするんですか。」
「なんでっテ…一応ボク、セルリアンですヨ?あなたたちを食べることでボクは生きながらえてるんでス。まさかこの姿だからっテ、アナタ達と同じできそこないとデ―」
「ナんでだぁぁぁぁあああああ!!」
「なッ?!」
両目から光。
煌めく爪牙。
残光を引いて、気づいた時には目と鼻の先。
速い。
群を抜いて速い。
「クがあああああっ!!」
「ごぐぅっ?!」
前に突き出した腕ごと、体が撥ね飛ばされる。
打たれた箇所が大きくたわむ。
防いでこの威力。
「ダったらせめて喰いきれっ!!ナんで!!ドうして!!」
「くそッ―!」
数多の拳が、信じられない威力とスピードで迫る。
振るった触手が一瞬にして砕け散る。
身を隠す木々が屑と化す。
もう後がない。
あの力では、歯向かうことも。
あの速さでは、逃れることも。
「ッりゃああああああ!!」
出来やしなかった。
動きが止まった時に見えたものは、大穴が空いた自身の腹。
そこに突っ込まれた灰色の毛並みの腕。
突き出された拳は、ものの見事に黒かばんを貫いた。
「ガ…ゴホッ…」
まともに声すら出ない。
腕に力も入らない。
「ナんで…ナんで私たちは…ヨりによってこいつなんかに…!」
既に力の抜けた左腕を、獣の手が掴み上げる。
「コいつなんかに…頼らなくちゃ…クそっ…!」
腹の穴からサンドスター・ロウが流れ出す。
赤い石が脈打つたびに、流れ出たロウがリカオンの腕を覆っていく。
口をつぐんで固まった二人を繋ぐかのように。
黒い波は腕を過ぎて、肩へ、胸へ、足へ。
リカオンの全てを、ゆっくりと飲み込んでいく。
「…キこえてますか、黒セルリアン。」
幾ばくかの時間が過ぎて、やがてロウが首元にまで達した時、獣が口を開いた。
「アとはもう、あなた次第ですよ。」
荒れ果てた森の中に黒い塊が一つ。
跪く獣と、座り込む少女。
そして、塊が獣を飲み込み切った時。
森に二度目の虹が吹いた。
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