第3話 悪魔
「いやー、びっくりしたぜ。お前急にぶっ倒れるんだもんなー」
「こらこら、笑い事じゃないでしょ達也」
夕暮れの病室、学校帰りに耕平の見舞いに寄った達也に対し、眼鏡の奥の眉をひそめるのは、耕平の幼馴染である
「けど、耕平が例の病気にかかるとはね、まぁ一日中イヤホンかけて音楽聞いているからそうなるのよ」
そう言って肩をすくめる彼女に、耕平は苦笑いを浮かべて返事とした。
「たはははは、まぁ責めてやるなよ美咲。それは耕平の唯一の趣味なんだからよ」
そう言って達也は、古びた携帯音楽プレイヤーをこっそりと耕平の手に忍ばせた。
「あっ、こら。電子機器は駄目って言われてるでしょ」
「そう言うなよ美咲、現代人からスマホを取り上げえるという基本的人権を無視した牢獄生活を送ってるんだぜ? これくらい可愛いもんだろ?」
達也はそう言ってジト目で睨む美咲に対して、茶目っ気あふれるウインクをした」
「兄貴の使っていたお古なんだけどよ、ギリギリサポートされてて、パンドラはインストールしてあっから」
「うん、ありがとう達也」
耕平はいたずらっぽい笑みを浮かべて、受け取ったそれを枕の下に隠した。
「そんで? いつ頃シャバに戻れるんだ?」
「んー、先生の話だとあと一週間ぐらいは様子を見たいって話だよ」
「かー、それまで悠悠自適の入院生活かー、うらやましいねぇ」
「あははは。さっきと言ってることが逆じゃないか。実際は退屈極まりない無味乾燥な生活だよ」
多少の体のだるさは残っているとは言え、それ以外は健康そのものである。耕平は刺激の少ない入院生活にあきあきしていた。
ここは何処までも真っ白で単調な世界。
あの の世界と比べれ――ば?
「つッ!?」
ザリと、脳が軋みを上げる。危うく何かを思い出してしまう所だった。理解すべきでは無い記憶が頭の奥底からかさぶたを破り、真っ黒な鎌首をもたげていた。
「ちょ、大丈夫かよ耕平」
「あ、ああ。ちょっと眩暈がしたみたいだ」
「まったく、だから言わんこっちゃない。暫くは先生のいう事を聞いて大人しくしておくことね」
「やだなぁ、おどかさないでよ美咲」
「何言ってんのよ、それを取り上げれないだけありがたく思いなさいな」
そう言って大仰なポーズを取る美咲に、ふたりの少年はくすくすとほほ笑んだ。
「聞いて驚け、出たんだよ」
「出たって何が?」
自分が学校を休んでいる間に何か変わった事が無いか聞いた耕平は、その答えにキョトンとした顔を浮かべた。
「おいおい、何時まで寝ぼけてんだ耕平、近頃のトレンドと言えば悪魔に決まってるだろ」
「悪魔? 悪魔ってあの噂話の?」
世俗の事に疎い耕平もその噂話程度は耳にいていた都市伝説だ。
悪魔、悪鬼、化け物。
絵本の中から飛び出して来た怪異が暴をふるうと言う噂話。
「馬鹿野郎、噂話じゃねぇんだよ。ほれ見ろ」
達也はそう言ってスマホの画面を耕平に見せつけた。
そこには、現実感のない化け物が、耕平も見知った学校近くの繁華街に立っている姿だった。
「これが……悪魔?」
それは、体長1mはある、ヒキガエルとコウモリを足しっぱなしにした様な生物だった。
「ああ、もう後片付けはすんだんだけどよ。現場はむちゃくちゃに荒らされてて酷いもんだったぜ」
「そんな……ホントに?」
「ええ、興味深い事にホントの話よ」
美咲はそう言ってキラリと眼鏡を輝かせる。将来ジャーナリストを目指す彼女にとって、目下の所最大の興味は悪魔であった。
「まさか……」
耕平もSNSなどを通して悪魔の画像は見た事はある。だが、それは、画面越しの遠い出来事であり、身近な繁華街でそんな事が起きたと言われても、より一層現実感が持てなかった。
「悪魔に関しては様々な説があるわ。
曰く、異世界へのゲートが開いた。曰く、秘密結社が大規模な悪魔召喚をやってのけた。曰く、気候変動により極点の封印が解かれた。曰く、星辰がそろい、宇宙の彼方からやって来た。
まぁ、みんなそれぞれ好き放題な説を上げてるわ」
美咲はぺろりと唇をなめ上げそう言った。
「美咲は、それを信じているの?」
「今のところは情報が少なすぎて結論は出せない。けど、悪魔がこの街に現れたという事実は変わらないわ」
そう言って彼女は、ド派手な交通事故が起こったような写真を耕平に見せつけた。アスファルトは抉れ、電信柱は真っ二つにへし折れ、ガードレールは見るも無残に引き裂かれた写真だった。
だが、耕平の目を引いたのは、地面に広がるどす黒いシミだった。
「これは……」
「ええ、幸いなことに一命はとりとめたものの、数人の被害者が出たようよ」
「それは……嫌だな」
耕平はそう言って、奥歯を噛みしめる。
彼は幼い事に交通事故で両親を無くしており、理不尽な事故には人一倍の憤りを感じる少年だった。
「まっ、まあ大丈夫だよ。悪魔連中もこんな消毒液くせえ病院になんて現れやしねぇさ」
空気が重くなったことを感じた達也は、おちゃらけた口調でそう言ったのだった。
★
「悪魔か……」
ふたりを見送った耕平は、病院の中庭でベンチに座りながらそう呟いた。
まるでゲームの様、などとは思えない。過程はどうあれ被害者が出ているのだ。
幼き日の思い出がよみがえる。
耕平たち家族の乗った自家用車は、飲酒運転をしていたトラックとの事故により大破した。
奇跡的に耕平は無事だったものの、両親は亡くなり彼は天涯孤独の身となった。
「あれこそ、悪魔だ……」
かなたより来たりて、理不尽に大切なものを奪っていく存在。それが彼にとっての悪魔だった。
カアカアとカラスが鳴いた。気が付けば太陽は地平線のかなたにあり。昼と夜の境目の時間、暖色と寒色が溶け合う逢魔が時になっていた。
「やば、そろそろ晩御飯の時間だ、ベッドにいないと看護師さんに怒られる」
耕平がそう言って、ベンチから腰を浮かした時だ。
それは――かなたより現れた。
「え……?」
日常の中に紛れ込んだ異物。
精緻極まりない機械式時計の中に入り込んだ、みずみずしくも毒々しい腐肉。
一体いつからそこに在ったのだろうか。
それは、そこに、いた。
それは、左右の眼球の大きさかが極端に違った、人面を持つ獅子だった。
「な……?」
耕平は突然の事に、ろくなリアクションを取る事も出来ずに、中途半端に腰を浮かしたまま固まった。
「たるら、たるら」
人面の獅子は訳の分からない事を呟きながら、地面にぼたぼたと涎をたらしゆっくりと左右を見渡している。
「う……きゃあああああああ!」
耕平はその叫び声によって我に返った。
化け物の近くに座っていた少女が恐慌状態におちいったのだ。
「だめだッ!」
化け物は中庭の出入り口に出現し、最奥に座っている耕平からは、花壇を挟んで反対側にいる。それに対して少女と化け物との距離は2~3mしか離れていなかった。
にたりと化け物が涎にまみれた口を半月状に歪めた。
間に合わない。
耕平が思ったのは、ただそれだけだった。
間に合ってどうできると言う訳でもない。あの化け物の力がどれだけのものかは分からないが。体高2m近くある筋肉のかたまりだ、少女の華奢な肉体など積み木のおもちゃみたいに壊してしまうだろう事は確かだ。
「うわあああああああ!」
耕平は雄たけびを上げながら、化け物に向けて一直線に突進した。
少しでも少女から自分に注意を向けるために。
惨劇を回避するために。
理不尽を許さぬが故に。
花壇を踏み荒らしがむしゃらに駆け抜ける。
一瞬後には、自分がその踏み荒らされた花の様になっているかもしれない。だが、そんな事はどうでもいい。
耕平の頭の中には、少女から自分の方へと気を反らす。それだけしかなかったのだ。
「あああああああああ!」
少女の方を向いていた化け物が、ゆっくりと耕平の方へと顔を向け、にたりと笑う。
恐怖感が麻痺している耕平は、ただがむしゃらに歩を進め――
「うわッ!?」
花壇のブロックに足をひっかけ転がり回った。
そして、同時に自分の頭上を巨大なものが通り過ぎて行った。
「ぷるきゃるら!」
耕平を仕留めそこなった化け物は、腹を立てたのか奇妙な鳴き声をあげると、ぐちゃぐちゃになった花壇でじだんだを踏む。
「はっ、はっ!」
化け物の攻撃を回避したことで、落ち着きを取り戻してしまった耕平は、絶体絶命の状況を改めて理解してしまい。全身に冷や汗を流しつつも少女に向かってこう叫んだ。
「早く! 早く逃げてッ!」
「うあ……う……」
だが、少女はガタガタと震えるばかりで、ベンチから立ち上がる事さえできなかった。
少女を抱いて逃げるか?
いや、自分一人でも逃げれるかどうか怪しいのだ、少女をおぶってあの化け物から逃げられるとは思えない。
とは言え、先ほど化け物の攻撃を回避できたのはただの運だ。幸運が二度も続けて起こるとは考えられない。
助けが来るまで、奴を引きつけ――
耕平がそんな事を考えている間に、化け物は宙を舞っていた。
「―――――!」
叫び声を出す暇も無い強烈な衝撃が耕平を襲った。
化け物の巨大な手が耕平を押しつぶし、背中と後頭部をしたたかに地面に打ち付けられた。
ペキリ、ペキリ、と肋骨の折れる音が体の内側から聞こえて来る。
生臭い息と、生暖かい涎が耕平の顔面に降り注ぐ。
(嫌だ)
胸を押しつぶされ、声すら出せない状況で、耕平は化け物を睨みつつそう言った。
その時だ。
つけっぱなしにしていたワイヤレスイヤホンから、耳障りの悪いノイズが聞こえて来た。
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