第3章 悪魔使いと箱
第15話 地図
悪魔とは何処から来たのか。
ふたりの幼馴染と疎遠になった美咲は、その原因となった存在について常に頭を巡らせていた。
ジャーナリストは足で稼ぐが信条の彼女は、パンドラが導き出したデータを鵜呑みにせず、その目と耳で確かめる事を良しとした。
そのことは、いまやあらゆるものにパンドラがインストールされた社会では、まったくの徒労に思えたが、彼女は決して手を抜かなかった。
そして、彼女はたどり着いた。
「これは?」
本田は目の前に広げられた地図に眉をしかめる。
「これは、今までこの街で起こった全ての悪魔事件について記したものです」
美咲は目の下に隈を作りながらも、ギラギラと血走った瞳でそう言った。
地図に記された無数の点には、細かい字でびっしりと書き込みがしてあり、紙面から彼女の狂気が浮かび上がってくるようだった。
本田は、美咲の熱意の結晶である地図に目を落とす。
彼女とて悪魔事件の担当官だ、この地図には嫌というほど見覚えがある。
だが、そんな彼女も把握していない無数の点がこの地図には刻まれていた。
「美咲さん。貴女の努力には敬意を表します。ですが、これが一体何だと言うのですか?」
そう疑問を浮かべる本田を前に、美咲はニヤリと微笑み、タブレットPCを操作すると、一枚の画像を表示した。
「これは……」
本田はその画像に眉をしかめる。それはおどろおどろしい魔法陣の画像だったのだ。
美咲は、本田がその魔法陣をしっかり目に焼き付けた事を確認すると、その魔法陣と先ほどの地図を重ね合わせる。
「!?」
ピクリと本田の目が見開かれた。
魔法陣と、地図の点はピッタリと重なり合ったのだ。
「この魔法陣は、悪魔召喚に使う時のものらしいです」
「悪魔召喚に?」
「ええ、もっともネットでの拾いものなので真偽のほどは分かりませんが」
美咲はそう言って肩をすくめる。
「それでは、ただの偶然という事では無いのですか?」
こんなものは星座と同じこと、満天の星空をどのような絵を描くかその人次第で変わってくるというものだ。
そう、顔をしかめる本田に、美咲はこう言って食い下がった。
「私も最初はそう思いました。ですが――」
美咲はそう言ってタブレットをタップする。すると、悪魔事件の発生順番通りに白地図に光点が灯って行き、魔法陣は完成した。
「始めに二重円、続いて内部に六芒星。書き順もぴったりです」
そう言われて本田は困惑した。
この地図は自分が毎日のように眺めている地図だ。なのに、なぜこんな単純な事を見逃していたのかと。
それは、魔法陣うんぬんの話では無い。このあからさまに幾何学模様を描いた発生順序が分かってさえいれば、事前対策は容易であったはずなのだ。
「でも、だってそんな……」
こんな極々単純な方程式を、万能のAIであるパンドラが見逃したとは考え付かなかった。
「私は、そのパンドラこそが怪しいんじゃないかと考えてます」
美咲は、狼狽する本田の目を見てそう言った。
「ちょっ、ちょっと待ってください美咲さん。パンドラはただのAIです。どうしてAIが悪魔召喚などを?」
本田は焦る口調でそう言った。
「いえ、勿論私も。パンドラが独自の思考でこんな事を計画したとは考えていません。ですが、パンドラのプログラマが細工をしたとすれば?」
「そんな。それこそ何のために?」
「さあ、そこまでは現時点では分かりません。
ただの悪戯半分だったのか? それとも小説のように悪魔崇拝する秘密結社の一員が紛れ込んでいたのか?
どちらにしても真相は開発者が握っています」
美咲はそう言ってお手上げのポーズをした。
本田は考える。今聞いたことは何の裏付けのないただの女子高生の妄想だ。だが、彼女の勘はその妄想に強く引きつけられていた。
「今やあらゆる電子機器にパンドラは組み込まれています。それはすなわちパンドラに支配されていると言っても過言ではありません」
美咲はカフェオレで口を湿らせてからそう言った。
「悪魔があるところに、ノイズあり。では、そのノイズは何処から来るのでしょうか?」
「貴女は、パンドラがノイズを発生させているというのですか?」
本田の問いに、美咲はコクリと頷き、何処で手に入れたのか古ぼけたカセットテープレコーダーを取り出した。
「これには、勿論パンドラはインストールされていません」
「それに、ノイズが!?」
本田は身を乗り出してそう言った。
悪魔のノイズ、それはどんな最新の録音機を持ってしても、決して録音できない音だったのだ。
「では、それを分析すれば!」
「そう言うと思って、コピーは用意しています。ですが、今時パンドラを解さないで分析する事なんて出来るんですか?」
美咲の何気ない質問に、本田は言葉を詰まらせる。
自分はそちらの方には疎い身だが、パンドラをインストールしていない分析器などあっただろうか。彼女の言う通り、この世界は全てパンドラの支配下にあるのではないか。
本田はそう思い、背筋を凍らせる。
「パンドラに、このノイズを分析させても何も出てはこないでしょう。それどころか危険人物としてマークされてしまうかもしれません」
「ですが、これは悪魔の尻尾でもある」
ノイズを解析できれば、現在発生している悪魔事件のメカニズムを解明できるかもしれない。
本田はそう思い、最近ではめったに目にすることなくなったカセットテープを受け取った。
「ですが、本田さん。本命はやはりパンドラです。なんとか本丸であるスターマイン社への捜査をできませんか?」
「それは、現段階では難しいでしょう」
今あるのは推論とも言えない妄想の積み重ね。
それに自分は、そもそもが刑事では無く出向中の自衛官だ、捜査方針に口を出した所で、苦い顔をされて終わりだろう。
「木下さんに相談しても無理でしょうか」
「木下刑事ですか……」
本田はそう言って、眉間にしわを寄せる。
彼と組まされるにあたって、その人となりにはそれとなく探りを入れている。
かつては有能な人物だったようだが、定年間近ということもあり、最近では昼行燈を気取っているという評判だ。
実際に彼と行動を共にしても、その印象は変わらない。何時も困ったような笑みを浮かべたつかみどころのない男、といった印象だ。
「まぁ、何時までもここで頭を突き合わせていても仕方が無いでしょう。先ずは木下刑事を説得できるか挑戦してみます」
本田がそう言うと、美咲は目を輝かせて木下の手をぎゅっと握りしめた。
「お願いします本田さん! 私も出来る事は何でもやりますから! 一緒にこの事件を解決しましょう!」
「ええ、微力を尽くさせて頂きます」
本田はそう言うとにこやかな笑みを浮かべた。
そうして決意を確かめ合ったふたりは喫茶店を後にする、その時だった。
「え?」
「危ないッ!」
喫茶店から出た彼女たちを待ち受けていたのは、狙いすましたかのように突進して来た一台のトラックだった。
突然の出来事に体を硬直させる美咲は、本田に突き飛ばされるかのように抱きかかえられる。
「きゃッ!」
巨大な質量が彼女たちの真横を通り過ぎ、喫茶店へと突っ込んでいく。
鼓膜が壊れる様な破壊音が鳴り響き、瓦礫が炸裂弾のように飛び交った。
「美咲さん! 走って!」
「え? あ?」
混乱の収まりきらない美咲を抱えたまま、本田は歯を食いしばり駆け出した。
そして、背後で爆発が生じた。
トラックは巨大な火球となり、膨れ上がった大気は彼女たちをゴム毬のように弾き飛ばす。
もうもうと立ち上る炎と黒煙、そして、地面に横たわるふたりに向けてギャラリーは黙ってスマホのカメラを向けていた。
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