第1章 悪魔使いの少年

第2話 New World

『新たな世界の幕が開ける』


 そのキャッチコピーと共にスターマイン社より販売された最新AI―パンドラは、その圧倒的な性能を元に瞬く間に世界へ浸透した。家庭用業務用問わずに、あらゆる電子機器へパンドラは導入され、効率は飛躍的に上昇した。

 人類は、人間と機械を仲介する完璧な相棒を手に入れる事となった。


 だが、時を同じくして、世間では原因不明の昏倒事件が多発しており、医者たちは頭を悩ませていた。

 一週間程度の入院で完治できる脳の疲労という事もあり、情報過多の現代社会がもたらした負の側面と大雑把に片づけられていた。


 そう、もうひとつの緊急事態に比べれば、そんな事は些事でしかなかったのだ。

 その緊急事態とは、悪魔の出現である。

 神話の世界から滲みだした彼らが、わがもの顔で暴を振るう。

 彼らは、肉の体を持ちつつも、絶命すれば蜃気楼のように掻き消えてしまうため、その研究は遅々として進まなかった。


 そんな中、ひとつの噂が街に流れた。


 ―洗礼を潜り抜けたものには力が与えられる―


 ★


 大原耕平おおはら こうへいは、さりとて特徴の無い男子高校生だ。

 視線を隠すように伸ばされた中途半端な髪、自信無さげに少し丸めた背筋。

 クラスの派手なグループに属するでなく、かといっていじめられる側に落ち込むでなく。何処までも地味で平凡な少年だった。

 きっとこのまま一生スポットライトを浴びる事無く、平々凡々な人生を送るのだろう。自他ともにそう思われていた。

 そう、あの日までは。


 ★


 その日彼は、昔からの悪友である結城達也ゆうき たつやと下らない会話を繰り広げつつ、帰り道を歩いていた。

 片耳には、彼のトレードマークでもある青いワイヤレスイヤホン。そこからシャカシャカと一昔前のロックサウンドが漏れ聞こえていた。


「あ……れ……?」


 聞きなじんだメロディに、不快な雑音が混じったかと思った時には。


「おい、耕平? 耕平!」


 メロディは大した音量でもないのに、脳を掻きまわすように頭蓋内で反響しあい、彼の体は糸の切れた操り人形のように、どさりと地面に倒れ伏した。


「耕平! どうしたんだよ! 耕平!」

『緊急事態が発生しました、緊急事態が発生しました』


 耕平が使っていたスマホから電子音声で滑らかなアナウンスが発せられる。


「うお! なんだ!?」

『オーナーの健康状態に重大な異常が生じました、救急コールを行ってよろしいでしょうか』

「たっ、頼む!」


 達也は、耕平のスマホを握りしめると、すがりつくようにそう叫んだ。


 ★


 そこは何処を見ても真っ暗な世界だった。

 いや、違う。

 真っ暗に見えたのは、膨大な、とてもとても膨大な、何億、何兆、何京と言った文字が、数字が、記号が、滝のように流れ落ちる世界だった。

 そこは世界の終焉であり、世界の始まりだった。

 情報の始まりの点ビッグバン、あるいは世界の全てを知れる場所アカシックレコード

 とてもではないが、ちっぽけな人間の脳内に収める事は不可能な膨大な譲歩方の渦だった。


「う……く……」


 そんな世界で、耕平はたったひとり、体中にからみつく情報の嵐に揺さぶられながらも一歩、また一歩と歩を進めていた。


 なにか目的があってそうしている訳では無い。

 彼は自分自身の器を把握している。

 将来に向けての目標も無く、命を懸けても守りたいものなど無い。

 何処にでもいる平凡な人間だった。

 一生を脇役で終わる事に諦観とも言える覚悟を決めている人間だった。

 ただ……

 ただなんとなく、膝をくっする誘惑に抗ってみたくなったのだ。

 誇ることのない、取るに足らない人生だ。

 だが、この理不尽な暴力に従うのは嫌だったのだ。

 たったそれだけの小さな誇りあかりを胸に、彼は漆黒の世界で歩を進めた。


 目など開けてなどいられない、目を開ければ情報の暴力に蹂躙される。

 だから、目をつぶって歩いた。

 耳を開けてなどいられない、耳を開ければ鼓膜を突き破り、直接脳内に侵入される。

 だから、耳をふさぎ頭を下げ、耐え忍びながら歩を進めた。

 

 そうしていても、彼が情報の渦の中に浮かぶたった一枚の葉っぱであることには変わりない。

 彼の体は彼の体は高密度の情報に浸食され、醜くうごめく黒に染められていく。


 幾日、幾月、幾年そこを歩いただろう。

 この世界に時間の流れなど存在せず、さりとて彼の精神力は限界寸前だった、いや、限界など当の昔に超えていた。

 だが彼はたどり着いた。

 そして彼はたどり着いた。

 漆黒の世界の中、光り輝く扉が彼の眼前に現れたのだ。

 彼の瞳からは既に光が失われていたが、その輝きは彼の潰れた目にもはっきりと届いたのだった。


「う……あ……」


 彼はその扉をすがり付く様に開け放った。

 だが、そこまでだった。

 とうの昔に限界を超えていた彼の精神は、砂山のようにサラサラと――


 ★


「う……あ……」


 カラカラに乾ききった喉から声にならない声が漏れる。

 頭の横では、電子音が規則正しいリズムを奏でていた。


『大原耕平様が意識を取り戻しました、ナースコールを開始します』

「……あ?」


 どんよりとした意識の中で、電子音声の喋る声が右から左へと滑りぬける。


(ナース……コール? ここは病院なのか?)


 全身が鉛のように重く、辛うじて動かせる視線をあやつり、周囲の様子を伺った。

 真っ白な部屋、静かにうなる空調の音、単調なリズムを刻む心電図。


(やっぱり……病院だ……僕は……)


 これまでの事を思い出そうとすると、ずきりと頭の奥が痛んだ。

 とにかくだるい、指一本を動かす事すらおっくうだった。

 記憶にはもやがかかり、曖昧にしか思い出せない。


(確か……帰り道で……)


 自分を心配して声をかけて来る親友の顔がおぼろげに浮かぶ。だが、思い出せるのはそれだけだった。

 そうして、耕平が現状把握にいそしんでいると、パタパタと言う少し小走りの足音が聞こえて来た。


「耕平君、耕平君、ここが何処かわかる?」


 カーテンを開けた看護師は開口一番そう尋ねて来た。


「病……院……」

「そう、病院よ、良かった気が付いたのね」

「病院」


 そう呟いて何とか体を起こそうとしたが、体はベッドに縫い付けられているのかのようにピクリとも動かなかった。


「ああ、無理しないで耕平君。あなたは三日も意識不明だったのよ」

「三日……」

「そう、急性疲労症候群の中じゃ比較的重傷なケースね。けど、意識が戻ったのなら一安心って所、詳しくは担当の先生から説明があると思うけど、今はとにかく休むことが重要よ」


 看護師はそう言って、柔らかな笑みを浮かべたのだった。

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