第26話 理想

「誰!」


 視線の先にいたのは、髪をオールバックで纏めた長身痩躯の男だった。

 彼は底冷えのする瞳を少年たちへと静かに向けたあと、ポケットから警察手帳を取り出しこう言った。


「君たちには竹内英彦殺人の容疑がかけられている、大人しく投降したまえ」

「竹内英彦なんて知った事か! 俺たちには関係ねぇよ!」

「反抗するならそれも良い、手間が省けると言うものだ」


 男――猿渡はそう言うと、警察手帳をしまったあと、改めて右手を上げて合図をする。

 それに従い、猿渡の部下たちは無言で拳銃を耕平に向ける。


 耕平は、自らに向けられた透明な殺意を無視してこう言った。


「本田さんは、アイツはどうしたんですか」

「本田由紀花ならば殺人未遂の現行犯で銃殺した。冬木啓介は不明だ、掘り起こす時間も無かったのでな」


 猿渡は淡々と事実を口にした。


「貴方は、それでもパンドラが狂ってないと言うんですか!」


 耕平は血塗れの叫びをあげた。

 だが、猿渡は眉ひとつ動かさずに「そうだ」とだけ答えた。


「世界がこんなになってしまったのはパンドラが原因です! だけどこれは通過点だ! 早く止めないともっとひどい事になる!」


 ノイズを使った悪魔召喚、そして街に張り巡らされた巨大な魔法陣。

 そこから導き出されるのは、現在など比べ物にならない混沌であることが、悪魔使いである耕平には革新として感じられた。


「違うな、パンドラは自らに課せられた使命を果たそうとしているだけだ」

「使命? それはいったい何だって言うんですか!」

「『人類の未来に幸福を』それが竹内英彦よりパンドラに与えられた使命だ」


 そう、淡々としゃべる猿渡に、耕平は銃口を向けられているのも忘れて唖然とした。


「貴方は……何を言っているんですか?」


 この世界はパンドラによってひっそりと、だが確実に支配されようとしている。

 そこに在るのは、そこかしこに悪魔があふれる混沌の世界。

 どこをどう見ても幸福な世界からは程遠い世界だ。


 困惑する耕平に、猿渡は静かに口を開く。


「悪魔騒動などは、一過性のものにすぎぬ。世界には新たな秩序が敷かれるのだ」

「だから! そのパンドラが狂ってると――」

「狂っているのはパンドラでは無い、我々人類の方だ」

「え?」

「パンドラは与えられた命題に従い、何億、何兆と言うシミュレーションを開始した。

 だが、導き出された結末はどれも同じ、人類の滅亡だった」

「なに……を?」

「試行錯誤の果てに、パンドラはあらゆる文献に、データーベースにアクセスした」

「まさか! その中に!」


 耕平はそう言ってテープレコーダーを握りしめる。


「そうだ、そのノイズは悪魔召喚の呪文を暗号化したものだ。幾銭幾万の偽書の中でパンドラは本物の魔道書を読み取った」


 猿渡は淡々と話を続ける。


「魔道書には人間の持つ悪心を抽出する方法が記されてあった。そこにパンドラは巧妙を見出した。

 全ての人間から悪心が取り除かれれば、全ての人間が正しい心を持つ事が出来れば、人類の滅亡は回避できると」

「そんな……馬鹿げてる」

「馬鹿げてるか、確かにその通りだ」

「だったら――」

「だが、その様な愚行に手を出さねば、人類の未来に幸福は訪れないという事だ」


 冷酷に、そして冷静に。猿渡は紙の如くそう語った。


「貴方は……それを信じるのですか」

「そうよ! パンドラの計算が正しい事を一体誰が証明するの!」


 少年たちの問いに、猿渡はこう答えた。


「竹内英彦だ、彼はその答えにたどり着いた」

「竹内英彦が?」

「そうだ、だが、彼の脆弱な精神ではその答えに耐えられなかった。

 彼は人知れずパンドラを破壊しようとした」

「まさか……」

「パンドラは平等だ、例えそれが自身の生みの親であってもな」


 猿渡は死刑執行を言い渡すかのように、そう言った。


「おい、おっさん。アンタは何故そんなに詳しいんだ」


 宮内はいぶかしげな顔でそう尋ねる。


「それじゃあまるで、アンタが竹内を殺したみてぇじゃねぇか」


 その問いに、猿渡は初めて口の端に笑みを浮かばせた。


「そんな問いに意味はない。この世界はパンドラによる完全なる制御下に置かれる事になる。

 この新たな世界においては、人間社会からあらゆる悪徳、あらゆる罪は消滅する」

「ざけんな! そんなもん認めてたまるか!」

「そうよ! 欲望は成長への原動力でもあるわ! それを無くした人間なんてただ息をしているだけの生き物じゃない!」


 そう叫ぶふたりを無視して、猿渡は耕平を見てこう言った。


「君も同じ答えなのか? 人間の悪徳により全てを奪われた少年よ」


 その問いかけに、耕平は静かな決意を込めて頷いた。


「そうか、残念だよ。

 悪魔使いと言われる人種は来るべき世界にいち早く適応した者でもある。

 だが、まだまだ時期尚早と言うものだったという事か」


 猿渡はそう言うと、右手を振り下ろす。

 ギロチンの綱は断ち切られ、銃弾が耕平たちへ発射される。


「そんなもの!」


 ジャバウオックは素早く耕平たちの前に立ちふさがり、左腕を薙ぎ払う。

 銃弾は空間ごとえぐり取られ、ジャバウオックはその闘争心のおもむくままに、猿渡へ向け突進した。

 だが、猿渡は眼前に迫った明確な死を前にしても、眉ひとつ動かす事はなかった。

 代わりに動いたのは彼の部下たちだ。

 彼らは自らの命を顧みる事無く、断頭台に躍り出た。


 空間ごとえぐり取る、ジャバウオックの攻撃の前に、何枚の盾を重ねようと意味が無い。

 その筈だった。


「なっ!?」


 猿渡の部下たちは、いつの間にか手にしていたライアットシールドを構えると、その無敵の爪を相殺した。


「言っただろう?」


 猿渡は冷たい瞳で少年たちを見下ろしながらそう言った。


「悪魔使いと呼ばれる人種は、来るべき世界にいち早く適応した人種だと」


 猿渡はそう言うと、パチンと指を鳴らす。

 すると、彼の部下たちが瞬く間にその数を増していき。

 耕平たちは、彼の部下、いや、彼の悪魔に取り囲まれた。


「んな……まじかよ」


 宮内は忙しなく視線を動かしながらそう言った。

 包囲網に一部の隙は無く、敵は皆銃を構えていた。


「この悪魔を私はイージスと名付けている。来るべき世界にたどり着く前の混乱期、それを乗り越えるための装置のひとつだ」


 誇るでもなく、驕るでもなく。猿渡はただ淡々とそう口にする。


「ちょっ、ちょっと待ってくれよ!」


 自分たちを狙う数十の銃口を前に、そう声を上げた少年がいた。


「おっ、俺は違う! 俺はこいつ等の仲間なんかじゃない!」


 達也はそう言って、這う這うの体で耕平たちから離れ、猿渡の元へと近づいた。

 猿渡はその様子を、まるで興味なく眺めていた。


「俺はパンドラのいう事に従ってたんだ! これからもそう、パンドラがそう言うならおれだってそうするさ!」


 達也はそう言ってへらへらとした笑みを浮かべる。


「虚栄に卑屈、それに追従。それらもまた人間の悪心だが、お前も悪魔使いならば、いずれその悪心を使い果たし、新なる人間になるだろう」


 猿渡はそう言って達也を素通りさせる。達也はへこへこと頭を下げながら、包囲網を横切った。


「ああそうだよ。悪魔は悪魔使いの悪心を核に周囲の悪心をかき集め力とするんだ。

 だから知ってたんだよ。俺がもてはやされるのも、俺がそう望んでいたからだって」

「ふ……ぐ……」


 包囲網を突破した達也は、隠し持っていたナイフで、猿渡の脇腹を抉りながらそう言った。


「きさ……ま……」

「アンタが言った事だろ。悪魔は悪心を食って動くって。俺みたいな薄っぺらい悪心なんて、あっという間に食われちまう」


 達也はそう言って、刺したナイフをぐるりとひねる。


「その綺麗になった頭で考えりゃよ。どう考えてもアンタ方がおかしいぜ」

「無駄な……事を!」


 猿渡はそう言って達也を突き放し膝をついた、その時にナイフが彼の脇腹から外れカチャリと地面に落下した。

 そこから血が流れ落ち、彼が死の淵に近づくにつれ、イージスの数が減っていく。


「貴様のような奴は必要ない!」


 猿渡はそうイージスに指令を飛ばす。彼の悪魔たちは一斉に達也に照準を合わせ――

 引き金を、引いた。


 十数の銃弾は正確無比に達也の急所を撃ちぬいた。

 達也は口の端にほんのわずかな笑みを浮かべ、物言わぬ体となった。

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