第2章 悪魔使いの日常

第6話 洗礼

 あの日からは特にどうという事も無く、耕平は無事に退院することが出来た。

 だが、久しぶりに登校した耕平を待っていたのは、恐れと好奇の視線だった。

 一週間という期間は、悪魔使い耕平の噂が広まるに十分すぎる時間だったのだ。


(まいったねこれは)


 このはれ物に触るような視線には覚えがある。

 耕平は静かにそう思った。

 それは、かつての記憶。交通事故にあい、両親を亡くした耕平に待ち受けていた視線だった。


(いや、あの時とは逆の視線か)


 あの時は、生ぬるい同情の視線だった、だが今回はサファリパークの猛獣を見る様な視線だ。


(まぁ、それも無理はないか)


 悪魔――ジャバウオックを制御できると言い張っているのは、耕平の自己申告だ。その割にはどうやって召喚するのかすら分からない。

 誰だって、猛獣の近くを手ぶらで歩きたいとは思わないだろう。


(退学しろって言われないだけ温情かな?)


 耕平はそんな事を考えながら、教室のドアの前にたどり着いた。

 彼は、大きく息を吸い込むと、思い切って教室のドアを開ける。


 すると、それまで騒いでいた教室が水を打ったように静かになった。


「ってなんだ、耕平じゃんか。もう退院して大丈夫なんかよ」


 にぱっと人懐っこい笑みを浮かべてそう言ってきたのは、達也だった。


「あっ……う、うん」


 そう言う耕平に、達也は肩に手を廻してこう言った。


「んだよ、出るなら出るって連絡しろよなー、こっちにゃお前に聞きたいことが山盛りなんだからよー」


 キシシと笑い声を上げる達也の様子に、今までと変わった感じは見当たらず、耕平は肩透かしにあったようにこう言った。


「達也は……怖くないの?」

「あー? 怖いー? お前みたいな馬鹿正直で虫も殺せないような奴を何で怖がらなきゃいけねぇんだよ」

「だって、僕は悪魔が……」

「ははっ、ダークヒーローって奴だろ? 羨ましいねぇ、俺だったら大いに自慢しちゃうね」


 達也はそう言って肩をすくめる。


「……それだけ?」

「ん? なんだ? 怖がって欲しいのか?」


 達也のその物言いに、耕平はブルブルと首を横に振った。


「だったら、それで解決だ。お前はそれを使って悪事を働くようなたまじゃねぇだろ」


 達也はそう言ってやんわりとほほ笑んだ。


「達也……」


 ありがとう。

 耕平は心の中でそう言った。


「ふっふーん。男同士の友情はそこまでよ。さっ、耕平。次は私のインタビューに答えてもらうわよ」


 続いて現れたのは美咲だった。彼女はスマホの録音アプリを作動させるとそれをマイク代わりに耕平につきつけて来た。


「んだよ、美咲。ちっとは空気読めよ」

「空気読んで今まで待ってたんでしょうが、少しぐらいいいじゃないの」


 美咲は頬を膨らませてそう言った。


「ささ、耕平。先ずはその悪魔とのなれ初めを聞かせてもらおうじゃないの」

「なっなれ初めって言われても」

「おいおい美咲、あまり耕平を困らせてやるなって」


 そうしてギャーギャーと騒いでいる間に、始業を知らせるチャイムが鳴り、教室のドアが開いたのだった。


 ★


 放課後、美咲のおごりという事でやって来た喫茶店で耕平のインタビューが開始された。


「ふむふむ。黄金の扉ね」


 耕平の話を聞いた美咲は、眼鏡を輝かせながらそう言った。


「へぇ、じゃあ俺もその洗礼を乗り越えたら悪魔使いになれるかも知れないって事か」


 耕平の隣に座った達也は興味深げにそう口の端を歪めた。


「なによ達也、アンタも悪魔使いになりたいっての?」

「まぁ興味が無いと言えばうそになるな。ある日突然超常の能力を得るなんて男の子の憧れなんですよ」


 達也は照れ隠しにか、へらへらと笑いながらそう言った。


「まぁ馬鹿は置いとくとしても私が気になるのはそのノイズの方よね」


 美咲はメモ帳に書かれた『ノイズ』という単語を赤で囲んだ。


「ノイズねぇ、プレーヤーがぶっ壊れたって訳じゃねぇんだよな?」

「うん」


 耕平はテーブルの上に置いたプレイヤーをそっと触りながらそう言った。

 あの事件の後、一時は参考物件として警察に押収もとい提供した携帯プレイヤーだが、問題なしという事で今は手元に戻ってきている。


「まぁ、このプレイヤーが鍵だったら、とっくの昔に俺の兄貴は悪魔使いになっててもおかしくねぇしな」


 達也はトントンと机を指で叩きながら、そう言って頬杖をつく。


「となると、ノイズがなるかどうかはランダムって事? ラジオを聞いて来いたんじゃないって事は違法放送って線も無いし……」


 美咲は唇に指を当ててブツブツとそう考えを巡らせる。


「あの、ちょっといいかな?」


 うーん。と頭を悩ますふたりに耕平がおずおずと手を上げた。


「さっき、達也が『洗礼』って言ったけど……」


 耕平のその一言に、達也はおやと眉を上げた。


「なんだ耕平、そんな事も……ってそうか。お前はここしばらくネットから遠ざかってたんだったな。

 洗礼ってのはあれだ、悪魔使いに共通している訳の分からない体験って事だな」


 達也はそう言って腕組みし、うんうんと頷いた。

 それに呆れ顔をしたのは美咲だった。彼女は達也の説明を補足すべく語りだした。


 洗礼、その内容は悪魔使いによっては千差万別であり、ある者は耕平のように真っ黒な空間に放り出されたり、ある者は極寒の地だったり、ある者は火焔の中だったり、ともかく過酷極まる白昼夢を見る事から始まるそうだ。

 そして、それを耐え抜いたものには一つのヴィジョンが浮かぶと言われている。

 そのヴィジョンこそが、自らが使役する悪魔の姿だという事だ。


「まぁ、どれもこれもネットの証言なんで、こうして直接生の声を聞けたのはありがたいわ」


 美咲はそう言って、野心溢れる笑みを浮かべた。

 彼女の夢はジャーナリストである、目の前にぶら下がったエサに対し、指をくわえて見ているだけなんてお行儀の良い真似をしているようであれば、その夢はかなわないと知っている。


「けど、事が完全にランダムってんのならお手上げだぜ、宝くじに当たるのを指をくわえて待つしかないって事か」

「まっ、まあ悪魔使いになったからって良い事がある訳じゃないよ。僕の病室に警察が余計なことはするなって釘をさしに来たし」

「へー、マジかよ。まぁ当然っちゃ当然だな」


 焦ったようにそう言った耕平に対して、達也はそう言ってポリポリと頭を掻いた。

 後ろめたい事をしてないとしても、警察と言う人種にはなるべくなら近寄りたくないと言うのが普通の人間だ。


「けどあれじゃね、逆に見ればVIP待遇で迎えてくれるって事じゃね?

 どーするよ、将来悪魔使いを集めた特殊部隊とか組織されたら」


 達也はそう言って、拳銃を撃つマネをした。


「全くアンタは適当な事を……って訳でもないのよね」


 美咲は唇に人差し指を当て周囲をチラリと流し見てからこう言った。


「知り合いのジャーナリストから教えてもらったんだけどね。どうやらホントにそう言った話があがってるみたいなの」

「マジかよ、ただのネットの噂じゃなかったのかよ」


 ヒュウと達也は口笛を吹いた。


「この前近所で起こった悪魔事件知ってる? その場に居合わせた警察が対応しようとしたんだけど手も足も出なくて、かわりに別の悪魔がその悪魔をやっつけたんだって」

「あー知ってる知ってる。あれだろ、それこそ耕平が入院してた病院の近くだろ?」


 達也が言ったその一言に、耕平はびくりと反応したものの、ふたりはそれに気づかずに話を続ける。


「ほら、これよこれ」


 そう言って美咲は数枚の画像をスマホに表示した。

 そこには、鳥型の悪魔と、巨大なサメの悪魔の姿があった。


「この事件で重要なのはね、警察の持っていた銃器では効果が無かったって事なの。それを受けて上層部では本格的な議論に入ったって話よ」


 美咲は興奮を隠しきれないようにそう言ったのだった。

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