第18話 爪
「いけ、ジャバウオッッック!」
本田は自分の耳元で発せられたその声に背筋を凍らせる。
それは彼女の聞き知れた少年の声であり、少年の声で無かった。
どこまでも底冷えする、憎悪と怒りに満ちた声だった。
「――――――!!」
本田が少年の声に動きを止めている間に、彼女の眼前に現れたジャバウオックは、雄叫びと共に、右腕を一閃する。
「なっ!?」
本田は驚愕の声を上げた。
ジャバウオックの異様に太い前腕、その先にあるまがまがしくも巨大な爪により引き裂かれたトラックが、消滅したのだ。
そして、眼前の脅威を消し去ったジャバウオックは、ぎゅるりと背後を振り返る。そこからは生き残りの悪魔たちが狂乱の顔つきで飛び出して来た。
ジャバウオックは、にたりと凶悪な笑みを浮かべると、嬉々として悪魔の群れに突っ込んでいく。
その先にあったのは一方的な殺戮だった。
ジャバウオックの爪は受ける事もいなす事も敵わない。空間ごとえぐり取るその爪の前には、いかなる防御も意味が無かった。
そして、居並ぶ悪魔を全て屠ったジャバウオックは、天を震わす雄たけびを上げる。
「くっ!」
三半規管を激しく揺さぶるその雄叫びに、本田は歯を食いしばった。
パリパリと道路に面したビルのガラスが砕け散り、雨のように降り注ぐ。
平衡感覚を揺さぶられ、なんとか立っている本田の耳に、追跡者たちの悲鳴が微かに届く。
「やれ……やれ! ジャバウオックッ! 全てを滅ぼせ!」
耕平の、ジャバウオックの叫びに呼応するように、街中に悪魔があふれ出す。そして手当たり次第に暴れ出す。
人々は逃げ惑い、街は破壊されて行く。
逃げ遅れた人は悪魔の餌食となり、道路に血のシミが広がっていく。
街路樹はなぎ倒され、車は破壊され、ビルには大きなひび割れが入る。
顔を真上に上げなければ、その顔を見る事の出来ない巨大な悪魔がいた。
音すら置き去りにして、目も留まらぬ速さで動く悪魔がいた。
思わず顔を背けてしまう、醜悪な悪魔がいた。
ジャバウオックは、そのことごとを両の爪で八つ裂きにした。
八つ裂きにして、食らった。
「いいぞ、いいぞジャバウオック! もっとだ、もっとだッ!」
耕平は胸をかきむしりながらそう叫ぶ。
飽くなき渇きを満たすように。
迷子になった子供が泣き叫ぶように。
「大原さん! これ以上は!」
少年のあまりの変化に、本田は戸惑いつつもそう叫ぶ。
「うるさい! 邪魔するな!」
だが、少年はかけられた声と手を振りほどく。
少し眠そうで伏せがちだった彼の瞳は、地獄の炎のように真紅に燃え。
歯をむき出しにして、大きく頬を歪めるその顔は、正しく悪魔そのものだった。
(これは、どういう? まさか悪魔に乗っ取られた!?)
本田は、そのあまりの変貌に、自分でも気が付かないうちに後ずさる。
「本田さん! 耕平はいったいどうなってるんですか!?」
背後から急にかけられた声に、本田はびくりと背筋を凍らせた。
「美咲さん、無事だったのですね」
「ええ、なんか私の事どころじゃないって感じで、みんなアレに向かって」
そう言う彼女の視線の先には、全身を返り血に浴びながらも歓喜の雄叫びを上げる、耕平とジャバウオックの姿があった。
「あれって、どう見ても正気じゃないですよね」
「ええ……」
本田はそう言って生唾を飲み込んだ。
死山血河の中で狂笑を浮かべる耕平とその悪魔。そしてそれに吸い寄せられるように無謀な突撃を繰り返していく、数多の悪魔。
それは正に地獄の有様だった。
そうして、その狂乱の前に立ち尽くすふたりの背後から、低いうなりを上げるハーレーサウンドが聞こえて来た。
「はっはー、ご機嫌じゃねぇか。あの野郎、とうとう吹っ切れやがったな」
その声にふたりが振り向くと、そこにはニヤニヤとした笑みを浮かべる啓介の姿があった。
「アンタは、冬木啓介!」
「あーん? おめぇは、最近うちの事を探っていた女か」
啓介は、たった今その存在に気が付いたように、美咲へと視線を向けた。
「う……く……そっ、そうよ。けど私が調査してたのは――」
「あーあー、皆まで言うな、てめぇの興味は俺じゃなくてコイツだろ?」
啓介はそう言って彼の悪魔を召喚する。
彼の背後に現れた巨鮫は、その8つの赤い目をジャバウオックに向け、カチカチと牙を鳴らしていた。
「押さえろディープ・ブルー。雑魚どもの群れにまじって戦うってのも華がねぇ」
啓介は耕平を睨みつけつつ、彼の悪魔に軽く触れる。すると、巨鮫は大気に溶けるように消えていった。
「冬木啓介、あなたは大原さんが現在どのような状況なのか分かりますか」
「あーん? 何だ姉ぇちゃん、奴の状況だなんて見ての通りだ、奴は自らの悪魔に取り込まれつつある」
「それはどういう事ですか? そして、その場合どうなるのですか?」
矢継ぎ早の質問に、啓介は勿体付けるようにポケットから取り出したタバコに火をともす。
「俺がバトルした
啓介は煙草をひと吸いすると、話を続ける。
「こそこそと、ハイエナのように悪魔を狩る奴だった。
遠距離戦が得意な悪魔で、もう一歩で留めと言うところをかっさらう、狡いタイプの奴だった。
そんな事を続けている内に、そのやり口を気にくわない
啓介はそう言って、ニヤニヤ笑う。
「傑作なのはその後だ。火事場の馬鹿力というべきか、窮鼠猫を噛むというべきか。
追い込まれた奴は恐るべき力を発揮した。
悪魔の力は膨れ上がり、奴自身悪魔じみた形相になった」
「それって……」
美咲はそう言って血しぶきの中で笑う耕平を見る。
「ああそうだ、今の
ああなったらもう終わり。全て持ってかれる」
「持ってかれる?」
奇妙な言い回しに、美咲はそう繰り返した。
「ああ、持ってかれる。それが何処へかは分からねぇが、記憶も精神もズタボロになって生きたしかばねの様になっちまう」
啓介はそう言って肩をすくめる。
「そんな!」
美咲はそう声を張り上げた。
「ああ、そんなだ、そんな勿体ねぇ事はさせねぇ。奴を仕留めるのはこの俺だ」
啓介はそう言うと、タバコを道路へ投げ捨てた。
彼の視線の先では、何十もの悪魔を駆逐したジャバウオックの姿があった。
「戦う気ですか!?」
「なーに言ってんだ、あたりめぇだろ姉ぇちゃん。
今を逃せば奴は終わっちまう。そんな勿体ねぇことできねぇだろ?」
啓介はそう言ってアクセルを吹かす。
爆音が高らかに鳴り響き、ジャバウオックがギロリと視線を向けた。
「はっはー! いいぜ、いいぜその目だ!」
ハーレーサウンドにノイズがまじり、8つ目の巨鮫が顕現した。
「行くぜ! ロックンロール!」
クラッチを繋がれたハーレーは、あふれ出るパワーを抑えきれずに、前輪を高らかに浮かせながらジャバウオックへ向けて突進したのだった。
ディープ・ブルー/Lv32
HP:521
MP:98
力:113
魔力:54
体力:102
速度:89
スキル:物理耐性、氷結耐性、氷の槍C
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