第9話 トリガー

『深夜、港湾地区で暴走族同士の抗争が――』


 朝のニュースを流しっぱなしにして食事の準備を始める。

 準備と言っても、トーストと目玉焼きと言った極々単純なものだ、手間も時間もかからない。


『続いて悪魔関連のニュースです――』


 悪魔と言う単語が耳に届き、耕平はそれに神経を集中させる。


『悪魔を利用した銀行強盗が――』


 ニュースキャスターは淡々とした口調で原稿用紙を読み上げる。

 世に悪魔が溢れると同時に、悪魔と契約できた人間の数も増えて来た。だが、その全てが秩序を守る側に立つわけでは無かった。

 彼らは自らの欲を満たすために悪魔の力を振るったのだった。


 テレビ画面の向うに映し出される映像に、耕平はぎゅっと拳を握りしめた。

 そこには、理不尽な力に翻弄される人々の姿があった。

 幼き日の事故がフラッシュバックする。

 車に押しつぶされぺしゃんこになった両親。

 何処までも地面に広がっていく血だまり。

 鼻の奥に染み付いて離れない、血と臓物、そしてガソリンの匂い。


 心臓が早鐘を撃ち、目の奥がちかちかしてくる。

 呼吸は荒くなり、冷たい血液が全身に送られて行く。


 耕平はギリと歯ぎしりをし、暴れる胸を握りつぶすように手を当てた。


 ザリ、ザリと耕平の感情に反応する様にテレビ画面にノイズが走る。


「ああそうだ、ジャバウオック。僕はこの世の理不尽を許さない」


 耕平は脂汗を流しながらそう呟いた。

 テレビ画面に反射して移る耕平の背後には、背をかがめた彼の悪魔が地獄の灯火のように目を紅く光らせていた。

 

 ★


 警察署の取調室から出て来た木下は、困ったような笑顔を浮かべながら、隣を歩く本田に語り掛けた。


「さっきの話、どう思う本田三佐?」

「支離滅裂な話でしたが、興味深い内容です。詳しくはパンドラに精査させなければなりませんが重要な証言であることは間違いないと思います」


 本田はいつもの鉄仮面を崩すことなくそう答える。

 彼らは、とある容疑者の取り調べを終えた後だった。その容疑者とは悪魔を使った強盗犯である。


「奴が悪魔と契約できたのは、大原君と同じく偶然の産物だ」

「ええ、ですが、あの男は悪魔を使いこなしていた」


 木下の独白じみた言葉に、本田はそう話を続けた。


 悪魔を使って犯罪行為をするためには、自由自在に悪魔をコントロール出来なければ話にならない。

 今回の悪魔は銃火器が通用するタイプだったので、なんとか警察で対応することが出来、貴重な証言サンプルを確保することが出来た。


 今回の容疑者が語った事はこうだった。

 夢の中で天使のラッパが鳴り響き、起きたら部屋の中に悪魔がいた。

 悪魔はいつも自分の背後に控えており、あることをトリガーにこの世にあらわれる。


「そのトリガーとは、強い欲望」


 容疑者は強い劣等感を抱いた男だった。

 人生半ばまでは順風満帆であったが、ある日精神を病みそのレールを踏み外し、そこから這い上がる事も敵わず、どん底の人生を送っていたのだ。

 彼は飢えていた。金に、名誉に、力に、そして何より、人並みの人生に。

 彼の抱えるコンプレックスは、幸せそうな人々を見るたびに刺激された。

 その時に、胸の中にどろりと湧き上がるものがあり……。


「天使のラッパが鳴り響いたと」


 木下はそう言ってため息を吐く。


「大原少年との共通事項ですね」

「ああそうだな、ノイズとラッパじゃ大分違うが、どちらも同じく音であることは確かだ」

「あの容疑者が拘留中に悪魔を召喚する危険性についてはどう思われますか?」


 本田の問いかけに、木下は肩をすくめてこう答える。


「機械類、音の出るものは全て取っ払っているから大丈夫……だと思いたいねぇ。まぁ、その音とやらが奴の脳内で鳴り響くってんのなら正しくお手上げだ」


 取り調べでは、イヤホンからラッパが鳴ったとあるが、犯罪者の証言を鵜呑みにするほど彼ら警察は呑気では無い。

 とは言え、容疑者が悪魔使いなのでほっときますと言う訳にもいかず、警備を密にして拘留という事になった。


「しかし、欲望か。そんなもの人間だったら多かれ少なかれだれでも抱いているもんだ、まったく厄介な話だねぇ」


 木下はそう言ってボリボリと頭を掻いた。

 欲望に正しく向き合えばそれは成長への原動力となる。

 だが、降って湧いて来た悪魔を手に入れた人間がどのような行動に出るか、それは増加する悪魔使いの事件数が物語っていた。


 ★


むさぼれ! ディープ・ブルー!」


 8つ目の巨鮫が、多数の人面が実った巨木にかぶりついた。

 巨木は枝を鞭のようにしならせ巨鮫をはがそうとするが、その巨鮫は全く意に返すことなく、幹をかみ砕いていく。

 木に実った人面が悲鳴のユニゾンを奏で上げる。

 曇り一つない星空に局所的に分厚い雲が立ち込め。そこから狙いすましたような雷が巨鮫に降り注いだ。

 びくりと鮫の体が一瞬硬直し、その隙に合わせて、巨木は枝をしならせ巨鮫を突き放した。


「やってくれるじゃねぇかこの野郎!」


 啓介はフィードバックに体を引きつらせながらもそう叫ぶ。

 木に実った人面から、どんな言語にも属さない耳をふさぐような声が木霊する。

 それと同時に、バスケットボール大の雹が猛烈な勢いで巨鮫に向かって降り注いだ。


「なッ!?」


 雹は辺り一面に降り注ぎ、その余波は、啓介がいた場所にもおよび、彼は咄嗟に彼の悪魔を引き戻し盾とする。


「くっそだらぁあ!」


 啓介は、そのままの体勢で、巨木に向かって突進した。

 敵のカードがどれだけあるのか分からないが、短期決戦を望んだのだ。


「行けやおらぁああ!」


 巨木に近づいた啓介は、彼の悪魔を突進させる。

 巨鮫と巨木がぶつかり合い、絡まり合って転がり回る。

 巨木に実っていた人面は、地面にたたきつけられ、ばしゃりと血の花を咲かせる。


「――――――!!」


 巨体同士のぶつかり合いを制したのは巨鮫の方だった。

 巨鮫は一心不乱に巨木へとむしゃぶりつき、ついに巨木はこの世から姿を消した。


「くは、はははははは!」


 雹がかすめ、頭から血を流した啓介は、流れ落ちる血にも構わずに、凶笑を浮かべる。


「俺が、俺が最強だ!」


 啓介はそう言って高らかに右腕を上げた。

 それに合わせ、ギャラリーが一斉に雄たけびを上げる。

 皆、浮かれていた、この世のどんなモノよりもエキサイティングなバトルに酔いしれていた。欲望の渦、歓喜の闇がそこにあった。


「おい! 大丈夫かよ啓介!」

「はっあったりめーだ。あれぐらいディープ・ブルーならば楽勝だ」

「悪魔のこっちゃねぇよ、テメェの事だよテメェの」


 レザーキャップの小男は、肩をすくめながらそう言った。


「あ? こんぐれぇどうでもいい」


 啓介はそう言って血にまみれた金髪をかき上げた。


「へいへいそうですか、まったく悪魔使いオーナーってのは便利だな、怪我の治りも早いっていう」


 そう言う小男に、啓介はニヤリと頬を歪めてタバコをくわえた。


「そんでどうだ? 例の悪魔使いオーナーは?」


 啓介は紫煙をくもらせながらそう言った。


「ああ、やっこさんも順調に食ってるそうだ、有名人ってのは情報を探る時に楽でいい」

「そいつは上々だ。どうせやるなら最高のバトルにしたいからよ。悪魔戦ってのはバチバチじゃなきゃ意味がねぇ」

「それは分かったけどよ、いつ仕掛けるんだ?」


 ニヤニヤと口の端を歪ませる啓介に、小男はワクワクしながらそう尋ねる。


「はっ、分かってねぇなテメェは。俺とアイツは運命の糸で結ばれてるんだよ、出会った時がやり合う時だ」

「おいおい、よしてくれよ。会場を準備する俺の手間も考えてくれよ」

「んなこた知った事かよ。ギャラリーなんて関係ねぇ。これは俺とアイツの問題だ」


 啓介は獰猛な笑みを浮かべてそう言った。

 小男はその様子を見て肩をすくめながら「まるで恋する乙女だな」とため息を吐いたのだった。

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