第10話 悪魔戦

 その日もいつも通りの日だった。

 耕平はいつものように授業を受け、いつものように、いつも通りの帰り道を歩いていた。

 ただ、違う事が一つあった。

 繁華街のとある交差点で信号待ちをしている時だ。腹の底まで響くような大型バイクの低いエンジン音が耕平の鼓膜を震わせた。


 その音に、耕平はふと視線を上げる。


 耕平が視線を上げたのと、バイクに跨った革ジャンの男が視線を横に向けたのは殆ど同時の事だった。


「出会っちまったか」


 その男はニヤリとそう口の端をゆがめると、エンジンキーを差しっぱなしで、長い足をガバリと広げて悠々と耕平たち3人の前に立ちふさがった。


「なっ、なんだよアンタは」

「こいつッ、レッドアイズのリーダー、冬木啓介ふゆき けいすけよ!」


 啓介は達也と美咲の声など全く耳に入らない様子で。

 ただただ、サングラス越しの視線を耕平に向けていた。


「こうして悪魔使い同士が出会っちまったんだ。分かるだろ?」

「知らない。僕のジャバウオックはそんな事のためにあるんじゃない」


 耕平は早鐘を打つ心臓を押さえつけるように、胸にギュッと手を当てた。そうしないとあふれ出してしまいそうだった。

 初めて会う男だった。

 だが、耕平にはその男の事がよく分かった。

 男は飢えていた。

 飽くなき闘争心を持て余していた。

 爆発寸前のダイナマイトのような男だった。


「くくく。そうつれない事を言うなよ。テメェは、テメェの悪魔は分かっている筈だぜ」


 啓介はそう言ってポケットから取り出したタバコに火を点す。


「関係ない! 僕のジャバウオックは理不尽に抗うための力だッ!」

「だったら、俺がその理不尽って奴だ。さぁ抜けよクイックドロウだ」

「やめろ! こんな事をして何になるんだ!」


 啓介は耕平の問いに答える事無く、ジッポーを手から放した。

 ハーレーダビッドソンが、啓介の闘争心に反応するように独りでにエキゾースト音を奏でる。

 高らかに鳴りわたる、ハーレーサウンド。

 そこに混ざり込むノイズ音。

 あまりの爆音に達也と美咲が耳をふさぐのを尻目に、地面に落下したジッポーが小さな金属音を――


「ぶちかませ! ディープ・ブルーッ!」

「させるな! ジャバウオックッ!」


 この世に顕現した理不尽な力のかたまり。8つ目の巨鮫がミサイルのような勢いで耕平目がけて突進して来る。

 この世に顕現した理不尽に抗う剣。鈍色の甲冑を纏った巨人がそれを受け止めようと突進していく。


 激突は丁度ふたりの中間で起こった。

 だが、サイズが違った。

 大型トラックと普通乗用車が正面衝突すればどうなるか? 結果は目に見えている――はずだった。


「――――――!!」


 ジャバウオックは、巨鮫の下に潜り込むように全身のばねを使ったアッパーカットを叩き込む。

 巨鮫の軌道は反らされ、その巨体は耕平の頭上をかすめて行った。

 巨鮫は勢いを殺せず、そのまま背後のビルへ体を打ち付ける。

 ビルの窓ガラスがシャワーのように降り注ぎ、それを合図にようやく我に返った通行人たちが悲鳴を上げながら逃げ出した。


「悪魔だ! 悪魔戦だ!」


 街中で突然始まった戦いに、人々のボルテージは膨れ上がっていく。

 近くに居る者は、我先にと逃げ出し、遠巻きに見守るものは、スマホを向けて狂乱の声を上げる。


「「――――――!!」」


 巨鮫が超音波の雄たけびをあげ、それに応えるように騎士も背筋を震わすような雄たけびをあげる。


 ビルの壁面を蹴って宙がえりをした巨鮫は、上空から真っ逆さまに騎士に向かって突撃する。

 騎士は素早く横に逃げるが、巨鮫は地面に激突する瞬間身をひるがえし、その錨のような尾で騎士をしたたかに殴りつけた。


「ぐッ!」


 超重量の打撃をまともに食らったフィードバックが耕平を襲う。肋骨は軋みを上げ、内臓に鈍い痛みが広がっていく。

 だが、ジャバウオックはそんな痛みなど全く意に返さないように、いや、痛みを力に帰るかのように雄たけびをあげ、巨鮫に突進した。

 ジャバウオックは大きく腕を振りかぶって、体当たりのような右ストレートを放つ。それは巨鮫の鼻っ柱にぶち当たり、鉄塊同士が激突した音が鳴り響く。

 だが、巨鮫はそんな事など意に返さないように、大口を開けてジャバウオックに食らいつこうとする。

 ジャバウオックは巨鮫の鼻に手を掛けたまま、ぐるりと宙を舞い、巨鮫の背中に跨った。


 ドドドドドと大地を揺るがすような打撃音が鳴り響く。ジャバウオックの連撃が巨鮫の頭部に突き刺さる。

 巨鮫は体表に食い込んだ寄生虫をはがすために、ぎゅるりとその場で回転し、ジャバウオックを地面にたたきつけようとする。

 しかし、ジャバウオックの反応はその先を行った。騎士は咄嗟に巨鮫から身を離すと、そのがら空きの腹に、渾身の蹴りを叩き込んだ。


「はっはー、やはりだ! やはり最高だ! 俺の目に狂いはなかった!」


 啓介は目を真っ赤に染め、狂相を浮かべつつそう笑う。


「うるさい! こんな戦いが何になる!」


 耕平は目を真っ赤に染め、そう叫ぶ。


「なんになるだ? つまんねえ事言ってんじゃねぇよ!

 俺たちは悪魔に選ばれた人間だ! 

 力を振るう事を求められた人間だ!

 この飢えを満たすため、与えられた力を振るって何が悪い!」

「そんな事!」

「そうだ! そんな事だ! そんなつまんねぇことに全力を注ぎこむからこそだ!」


 巨鮫がその圧倒的な力と重量で、騎士を押しつぶさんと暴れ回る。

 騎士は熟練の闘牛士のような動きで、それを紙一重で回避して攻撃を加える。

 ギャラリーは、その迫真の戦いに熱狂し、興奮の渦が天に立ち上っていく。

 夕暮れの繁華街で突如始まった悪魔戦サバトは最高潮を迎えようとしていた。


 だが、そこに異音が混じる。


「サツだ! サツが来たぞ啓介!」


 いつの間にかギャラリーの最前線にいた小男が、啓介に向かってそう声を張り上げた。


「んなモン知った事か!」

「バカ! 頭を冷やせ啓介! こんな所で終わるつもりか!」

「サツが何だってんだ! 俺の楽しみを奪うんじゃねぇ!」

「冷静になれ啓介! 今チームの奴らがサツを足止めしてる! 時間がねぇんだ!」


 小男の必死の訴えに、啓介はしばらく天を見上げた後大きくため息を吐き、耕平に向けこう言った。


「……これはあくまで前哨戦、名刺交換みたいなもんだ」

「ふざけるな。僕はお前たちとは違う」

「くくく。そう言うなって相棒。気づいてないかもしれないが、バトルの間中お前はずっと笑っていたぜ」


 啓介のその指摘に、耕平ははっと口元に手をやった。

 そこには引きつったような笑みが張り付いていたのだった。


「まっ、待て!」


 耕平はそう言って咄嗟に手を伸ばした。

 だが、啓介は不敵な笑みを残しバイクにまたがり消えていった。


「待て……」


 否定しなければならない。

 そう思うが、口の端に残った疼きは、確かに戦闘の余韻を引きずっていた。

 耕平はバイクを追おうとして、一歩踏み出した所で、強烈な疲労感に襲われる。


「待……て――」


 そこまでが限界だった。

 ジャバウオックが消え去ると同時に、彼の意識も消え去った。

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