奉納舞 3
そうして、奉納演奏の当日を迎えた。
商店街の夏祭りは7月の最初の土日の昼間なのだが、篠笛を習っている人たちの中には商店街のお店の人が何人かいるので、奉納演奏は土曜日の夜に行うことになった。
僕の舞の方は練習を繰り返して2曲ともほぼ完璧に仕上がっている。
練習の時に疲れを取るために何度も倫くんのキスにお世話になってしまったことは、恥ずかしいから忘れてしまいたいけれど。
夕方になると、商店街の青年会の人たちが移動式の舞台を持ってきて境内の中央に設置していった。
神社の境内は明日、クラフトマーケットという手作り品専門のフリーマーケットの会場になるので、青年会の人たちは明日の朝一番に舞台をアーケードの中に戻して、境内の端に寄せてあるテントをフリーマーケットの形に並べ直すらしい。
今日は僕も自分の準備で手伝えなかったが、明日の朝は手伝うつもりだ。
夜になり、商店街の店の多くが閉まった頃、篠笛の皆さんと共に拝殿に入り、宮司に奉納演奏のための祝詞(のりと)を上げてもらう。
祝詞が終わって正面の扉から拝殿の外に出ると、思いの外たくさんの人が舞台を取り囲んでいて、僕たちが姿を表すとざわめきが起こった。
司会の人から開会の挨拶と最初の演目の人長舞の説明があった後、CDの音楽に合わせて装束を着けた僕が舞台に進み出る。
電気屋さんがセッティングしてくれたライトに照らされた舞台の上に上がり、境内の奥側を向いて舞台の中央に立つ。
奉納舞は神様に捧げるものなので、神様がいらっしゃる本殿の方を向いて行うのだ。
僕の準備が整うと、音楽が切り替わり、奉納舞が始まった。
境内の榊(さかき)から切った枝を持って舞う舞は、動きは地味だが、そのぶん厳粛な雰囲気のある舞だ。
僕の舞が神様に届くように、そしてその思いが見ている人たちに伝わるように、一つ一つの動作を丁寧に舞う。
今日はイベントの一環で舞っているが、神楽舞は本来は神事だ。
今こうして集まっている人々にも、単に踊りを見物したということではなく少しでも神聖なものを感じ取ってもらい、神社に興味を持ってもらうきっかけになれたら、と思う。
そんなことを考えながらも無事に舞い終えると、観客から歓声と拍手がわき起こった。
退出の音楽と拍手の音の中、舞台を降りて待機していた篠笛の皆さんと交代する。
皆さんの演奏も気になるけれど、僕は次の舞のために着替えなければならないので、舞台の下で僕の舞を見ていた倫宮司と共に社務所へ急ぐ。
社務所の装束部屋に入ると、倫宮司の低めのよく通る声が「拓也」と僕の名前を呼んだ。
振り返ると後頭部を引き寄せられ、唇を重ねられる。
倫くんは僕よりも身長が高いから、普段のキスはいつも上からだけど、倫宮司は僕よりも身長が低いから下からのキスになる。
いつもとは違う感覚の、しかも社務所で神楽舞の装束を着けたままという背徳的な状況でのキスは、いつも以上に胸が高鳴り体が熱くなる。
……じゃなくて!
これは性的なキスじゃなくて、体力回復のための薬みたいなものだから!
思わず流されそうになった自分にツッコミを入れつつ、唇を離した宮司に「ありがとうございます」と早口で言うと、「どういたしまして」といい笑顔で返された。
照れ臭いので壁を向いて装束を脱ぎ、汗をかいたので白衣と襦袢とインナーも脱いで汗を拭く。
倫宮司の前なので恥ずかしいが、夜とはいえまだ蒸し暑い中で装束を着けて一曲舞って汗びっしょりで気持ち悪いから、そんなことも言っていられないのだ。
新しいインナーを着て水分を補給してから、やっと僕は倫宮司の方を向き、宮司が神通力で用意してくれた装束を宮司の手を借りて着付けていく。
数日前に一度試しに着てみて篠笛の演奏をしている時間で十分着替えられることは確認済みだけれども、何かあるといけないからできるだけ急ごうと、黙々と手を動かす。
蘭陵王の装束は紐で結ぶところが多く、着るだけでも一苦労だ。
しかも重くて暑いので、まだ舞ってもいないのに額に汗が浮かんでくる。
「この装束、本当に着るのが大変ですよね。
宮司が神通力で一瞬で変身するみたいに、僕も一瞬で着替えられたらよかったのに」
僕がつい、そんな愚痴をこぼすと、宮司は黙って微笑んだ。
その笑顔がどことなく不自然で、僕は少し不審に思う。
「……まさかとは思いますが、もしかしたら宮司は自分の分だけじゃなくて、僕も一瞬で着替えさせることができるとか……」
「ええ、まあ、できるかできないかで言えばできますけど」
「えっ!
なんだ、じゃあ、今からでもやってもらえませんか?」
「嫌です」
「えっ?」
「嫌ですよ。
拓也に装束を着付けるのが楽しいんですから」
「ええー……」
きっぱりと主張する倫宮司に、僕は思わず不満の声をもらす。
だが、倫宮司がこんなふうに自分の趣味嗜好を口にする時は、絶対に譲らないのを僕は知っているので、神通力で着付けてもらうのはあきらめることにする。
それにしても、装束を着付けるのが楽しいなんて僕にはまったく理解できない嗜好だが、神社の祭りでは着付けの手伝いが必要になるような複雑な装束は着る機会がないから、今日は2種類もの装束を着付けられて、さぞかし倫宮司は楽しかったことだろう。
「できましたよ。
確か今の曲が最後でしたね」
「はい、もう出た方がいいですね」
そう言って僕が立とうとすると、宮司はそれを制して、僕の額の汗を拭き、水を飲ませてくれた。
「あと、これも」
そう言って倫宮司はもう一度僕と唇を重ねた。
さっきよりはずいぶんとあっさりしているが、それでもしっかり舌は入っている。
「さあ、行きましょうか」
「……はい」
着替えの疲れがすっかりなくなった僕は、若干赤い顔で宮司のあとをついていった。
社務所の玄関で沓(くつ)を履かせてもらい、舞台の下に用意されて椅子に座って面をつけてもらう。
やがて篠笛の皆さんの演奏が終わって舞台から下りてきたので、僕も立ち上がった。
面をつけて視界が狭くなっていて、足元がほとんど見えないので、倫宮司に手を引いてもらって舞台に上がる。
その手が離れる前に一瞬だけ、僕を励ますように強く握られ、そして僕は作法に従った足取りで舞台の中央に進み出た。
曲が切り替わり、人々のざわめきが消えた中、僕は舞い始める。
面をつけて舞う舞楽は、視界が狭くなる分、自分一人の世界に集中できるように思う。
そして自分一人になったように思うのと同時に、神の存在をも感じる。
そして今日はまた、自分の中に倫宮司の存在を感じることができる。
体が軽い。
手も足も、すべて自分の思う通りに動かせる。
両足で跳ぶ動作もまったく苦もなく行えるし、手に持った桴(ばち)という棒の先まできっちりと意識が行き渡っているような気がする。
倫宮司が、彼の持つ神使の力が、僕の舞に力を貸してくれているのを感じる。
そんな不思議な感覚の中、僕は舞を終えた。
拍手と歓声の中、舞台の端に進み、倫宮司の手を借りて舞台を降りる。
椅子に座って倫宮司に面を外してもらう時、耳元でささやかれた「良かったですよ」という言葉が、鳴り止まない拍手以上にうれしかった。
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篠笛の皆さんと一緒に再び舞台に上がり、篠笛の代表の挨拶の後、全員で「ありがとうございました」とお礼を言って、無事に奉納演奏が終わった。
観客の人々が帰っていく中、僕は篠笛の皆さんだけでなく、見に来てくれた氏子さんや商店街の人たちにも記念撮影を頼まれまくった。
ようやく一通り撮影を終え、社務所に装束を脱ぎに行こうとすると、宮司に声をかけられた。
「中芝くん、社務所ではなくて自宅の方へ」
「え、でも装束脱がないと」
「自宅で脱げばいいでしょう?
どうせ装束は一晩しかもたないのですから、片付ける必要もありませんから」
そう言われて倫宮司に背中を押され、自宅へと帰った僕は、装束のまま自分の部屋に連れて行かれ、いつの間にか倫宮司から変身していた倫くんに装束を脱がされ、唾液とそれ以外の体液でもういいと言うくらいにたっぷりと体力回復をしてもらったのだった。
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