第6話 お賽銭
「あ、忘れるところでした。
こちら、履歴書です」
「ああ、そうでしたね。
拝見します」
佐々木宮司は僕が差し出した封筒から履歴書を取り出して読み始めた。
とはいえ、昨日かなり色々なことを宮司に打ち明けてしまったので、出身地や出身大学、神職歴など履歴書に書いてあるようなことは、すでにほとんど知っていると思う。
「ほう、大学では雅楽部だったのですか。
楽器は何を?」
「笛です」
雅楽で笛と言うと、いわゆる横笛のことだ。
曲の系統によって3種類ほどを使い分けることになるが、それでも楽器の値段は他の
「ああ、それはいいですね。
よかったら、お祭りの時に吹いてもらえますか?」
「はい、もちろんです」
「楽しみにしておきますね。
ああ、ちなみにうちの神社の祭礼は、1月1日の
「旧暦9月9日というと重陽——菊の節句ですか?」
「ええ。
言い伝えでは御祭神の御二方が出会った日で、そのために妻の狐は『菊』と名付けられたそうです」
「ああ、なるほど」
神社の一番重要なお祭りである例祭は、その神社の記念日や、御祭神に関係のある日であることが多い。
こちらの神社の御祭神は夫婦神なので、御二方が出会った日というのもありだろう。
「まあ、小さい神社ですから、お祭りは基本的なものだけですね。
参列するのもほぼ総代さんだけですし、装束も全部狩衣です」
「あ、それは助かりました。
僕、狩衣しか持っていないので」
前の神社では狩衣以外の装束を着るお祭りもあったが、全て貸与品だったので、僕が持っている私物の装束は狩衣一着だけだ。
その他の装束は一式揃えると数十万するものもあるので、正直買わずにすんで助かった。
ちなみに毎日身につける白衣袴足袋などは支給されていたので、何枚か持っている。
「説明することはこれくらいですかね。
何か質問はありますか?」
「いえ、大丈夫です」
「まあ、実際に働いてみないとわからないこともあるでしょうから、何かあったらその都度聞いてください」
「はい、わかりました」
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その後、宮司は「人と会う約束があるから」と言って出かけたので、授与所の窓口に座って、太郎くん——バイトの松下くんに「他の人もみんなそう呼ぶので」と名前で呼ぶように言われた——に授与所の仕事を教えてもらった。
授与品はお札とお守り数種類と絵馬くらいで、そう複雑でもなさそうだ。
御朱印も試しに1枚書いてみたが、「稲荷神社」という文字はそれほど難しくないので、バランスよく書くことができた。
「わあ、中芝さん、上手ですね。
僕も練習してだいぶましになったんですけど、まだまだ下手くそで」
「僕も学生の頃は下手だったよ。
前の神社で毎日書いてたから、それなりに書けるようになったけど。
こっちの宮司さんが書いたのは、僕よりもっと上手だよね。
やっぱり年季が違うなあ」
宮司が書いた御朱印は上品で柔らかな筆致で書かれていて、なんとなくその人柄が表れているようだ。
「すいません、御朱印お願いできますか」
「はい、お預かりします」
ちょうどその時、参拝者に御朱印を頼まれたので、僕は御朱印帳を受け取り、宮司の文字を思い浮かべつつ丁寧に御朱印を書き始めた。
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「5時になりましたから、授与所を閉めてお賽銭を回収しに行きましょう」
「はい」
午後になって戻ってきた宮司にそう言われ、僕は授与所の窓口を閉めてカーテンを引いて立ち上がった。
ちなみに太郎くんは3時頃に「商店街で夕飯の買い物をして行く」と言いながら帰って行った。
宮司に賽銭箱の鍵の場所を教えてもらってから拝殿の前に行き、賽銭箱の下の部分を開けて、お賽銭を取り出す。
ん? 封筒があるな。
お賽銭は小銭がほとんどで、さほど多くはなさそうだが、中に数枚封筒が混じっているのが気になった。
少し不思議に思いながらも中身を全部回収して袋に入れ、宮司と社務所に戻る。
社務所に戻ると、宮司は僕に封筒を見せてくれた。
封筒は普通の白封筒に「祈 商売繁盛」と書いてあるものや、どこかの会社の社用封筒に「営業目標達成祈願」と書いてあるものがある。
宮司にうながされて封筒を開けると、中からはお札と共にショップカードや名刺が出てきた。
「実はこれ、祈祷依頼なんですよ。
以前、氏子さんからご祈祷を頼みたい時に私が神社にいない場合はどうしたらいいかと聞かれて、祈願内容を封筒に書いて賽銭箱に入れておいてくれたら後でご祈祷しておきますよとお答えしたんですよね。
そうしたら、それが商店街の小料理屋や寿司屋のお客さんや同業の飲食店の間で「ご利益がある」とクチコミで広がったらしくて、私が神社にいる時でもこうして賽銭箱に入れていかれる方が多くなりまして……。
今日はこれだけでしたけれど、月末月初はもっと増えますよ」
「へえ……すごいですね」
宮司の話に、僕は感心する。
クチコミの力もあるけれど、封筒に祈願内容を書いて賽銭箱に入れるだけという手軽な方法は、忙しいサラリーマンや飲食店の店主にはぴったりなのかもしれない。
きっと宮司は最初は氏子さん相手だからと気安く請け負ったのだろうけれど、結果としてそのやり方は、多くの参拝者に受け入れられる上手いやり方だったのだろう。
封筒の中身は千円札1枚のものもあるが、五千円札、一万円札もある。
商売をやっている人は信心深い人も多いので、きっと困った時だけの神頼みではなく、毎月継続的に祈祷依頼していく人も多いだろう。
これだけの金額が継続的に入っているのなら、宮司が「権禰宜1人雇うくらいのお賽銭はある」と言ったのも納得だ《正確にはお賽銭ではなく祈祷料になるのだろうが》。
「封筒と名刺は一緒にして、ホッチキスで止めておいてくださいね。
明日の朝、朝拝の後でまとめてご祈祷しますから」
「わかりました」
そうして宮司に言われた通りに作業し、2人で手分けして残りのお賽銭と今日の授与品や御朱印の代金を精算して、僕の稲荷神社でのご奉仕初日は終わったのだった。
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