第10話 月参りと祈年祭
稲荷神社での毎日は忙しくはないが充実している。
この神社ではご祈祷やお祭りといった、いかにも神主らしい仕事は少ないが、その分参拝者の方とお話できる余裕がある。
顔見知りになった人とご挨拶したり、神社や神様のことを聞かれてお答えしたり、逆に僕の方がこの地域のことを教えてもらったり。
そうやって参拝者の方と触れ合えることが嬉しいと思う。
総代役員さんたちと決めた休日の日数だと、他の神社に助勤に行く日以外にも休みは取れるのだが、社務所や境内の居心地がいいので、ついつい毎日神社の方に出てしまう。
それでも仕事がなくて社務所で本を読んだりお茶を飲んだりして休憩している時間が長いので、実質の労働時間は少ない。
そうこうしているうちに、宮司が忙しいと言っていた月初め、2月1日がやって来た。
毎月1日は商店街の店4軒と近くの会社1社の神棚でのご祈祷を頼まれているので、朝食をさっと済ませ、8時過ぎに神社を出た。
神社の授与所はバイトの太郎くんがいつもの時間に開けてくれることになっている。
今日の僕は宮司の荷物持ちで、来月からは宮司に代わって僕がご祈祷に来ることになりますというご挨拶と顔見せだったのだが、みなさん僕に代わることをこころよく了承してくれた。
どの方もお店に買い物に来ていたり神社で顔を合わせていたりして、すでに顔見知りになっていたので、受け入れてもらいやすかったということもあるだろう。
「あ、中芝さんがいるなら荷物重くなってもいいわよね。
お供え物持っていってちょうだい」
そしてどのお店でもそう言ってお供えの野菜やお酒をもたせてくれたので、荷物が増え過ぎて1回神社に荷物を置きに帰ったほどだった。
「さて、あと1軒、太郎くんの家に行くのですが、あそこは私が大家をしている借家でしてね。
なので、その1軒だけは今後も引き続き私が行くことにします。
中芝くんは先に神社に戻っていてもらえますか」
「はい」
そういうわけで僕は宮司と別れ、神社へと向かった。
10時を過ぎた商店街は買い物に来ている人が多くて、白衣袴姿で歩くと目立って少し恥ずかしい。
けれども目立つ分、お店の人から「あとでご祈祷に行くからよろしく」などと声をかけられるのは嬉しい。
神社に戻ると、太郎くんが授与所の窓口から「おかえりなさい」と声をかけてくれた。
「ただいま。
ついでに賽銭箱を開けてくるから、鍵を取ってくれる?」
「はい」
太郎くんから鍵を受け取り、参拝者が途切れるのを見計らって賽銭箱からお賽銭を回収する。
昨日の夕方回収した時も祈祷依頼の封筒がかなり入っていたが、今日もまだ午前中にもかかわらずすでに何枚も入っていた。
お賽銭を持って社務所に行き、祈祷依頼の封筒をまとめる。
今日はまだ昨日回収した分もご祈祷していないので、今から一緒にやらなければいけない。
「太郎くん、僕は賽銭箱の分のご祈祷してくるから、もしご祈祷の方がみえたら、受付用紙書いてもらって拝殿の方に回ってもらってね」
「はい、いってらっしゃい」
狩衣を着た僕は、太郎くんに声をかけて拝殿に入った。
ご祈祷の祝詞を読んでいる間も、後ろで参拝者が鈴を鳴らし柏手を打つ音が聞こえている。
やはり1日の今日は、いつもよりもお参りが多いらしい。
ご祈祷が終わって社務所に戻ると、太郎くんがお茶を入れてくれていた。
「ありがとう。
宮司が今日は忙しいって言ってたけど、まだそうでもないね」
「そうですね。
いつもだとまだ宮司さんは戻ってない時間だし、それにご祈祷はお店が暇になる午後からくる人が多いです」
「ああ、なるほどね」
太郎くんとそんな話をしているうちに、宮司が戻ってきた。
今日は僕がお昼ご飯を作る暇はないかもしれないからと、お弁当を買ってきてくれている。
授与所に来る参拝者の応対をしつつ、交代でお弁当を食べる。
ちなみに太郎くんはいつも自分で作ったお弁当を持って来ている。
神社にくる日は朝、同居している画家さんの分と2人分作ってくるらしい。
午後になると、太郎くんが言った通りにご祈祷の申し込みが入り始めた。
やはり商店街の人が多いらしく、顔見知りの人がほとんどだ。
「宮司さん、これ今月から出す予定の新商品。
よかったら食べてみてよ」
「ありがとうございます。
お供えさせていただきますね。
商品名はもう決まっていますか?
決まっているのでしたら、せっかくですから祝詞に入れさせてもらいますよ」
宮司はそんな感じで参拝者の話を聞きながら、祝詞にアレンジを加えていく。
参拝者もそうして自分の店に合わせた祝詞を読んでもらえると嬉しいと喜んでいる。
前の神社だと一度に何人もまとめてご祈祷することが多くて、祝詞も決まったものの中に住所と名前を読み込むだけだったが、うちのように地域に密着した神社だと、こうして参拝者に寄り添った祝詞を読むことも大事なのだと勉強させてもらった。
午後も遅い時間になると、綺麗に化粧をした和服や派手めのスーツの女性が訪れるようになった。
商店街からは少し離れたところに小さなクラブやスナックが何軒も集まっているところがあり、そこのママが普段から時々参拝に来ているのだ。
「あら、イケメンの神主さんが入ったのね。
いつもは賽銭箱に入れてるんだけど、せっかくだから今日はご祈祷してもらおうかしら」
中にはそう言って僕を指名してご祈祷を申し込む人もいて、年上の女性が苦手な僕はちょっとびびってしまったのだが、その人はきちんとした作法でご祈祷を受けた後、少しだけ僕と会話を楽しんであっさり帰っていかれた。
やはり客商売だけあって、とても感じのよい人だったので、僕は年上の女性というだけで偏見を持ってしまったことを反省した。
いつもは5時に窓口を閉めるが、今日は会社帰りに参拝される方もいるからと、宮司と2人で7時過ぎまで授与所を開けていた。
さすがに夜になってからご祈祷を頼まれることはほとんどなかったが、それでもスーツ姿の参拝者は途切れることはなかった。
あの方たちのお願いごとが叶いますようにと、僕もこっそり心の中で祈願しておいた。
窓口を閉めて自宅に戻る途中、宮司は「お疲れ様でした」と僕をねぎらってくれた。
「普段暇な分、今日は大変だったでしょう」
「はい、でも助勤に行っている神社よりは楽でした。
それに今日一日、色々勉強させてもらった気がします」
「それはよかった。
うちの神社は小さい分、参拝者と距離が近いですからね。
大きい神社とはまた違う経験が出来ると思いますよ」
宮司の言葉に、僕は大きくうなずいた。
───────────────
2月17日は祈年祭だ。
元々宮司一人でやっていた祭りなので、僕の役割は最初と最後に太鼓を叩くことと式次第の読み上げ、それに総代の代表者数人が榊をお供えする
お祭りには礼服を着た総代さんたちが拝殿で参列している他にも、外にもパイプ椅子が並べてあって近所の人たちもそちらで自由に参列出来るようになっている。
祈年祭は
直会には総代さんだけでなく、外で参列していた人も一部参加している。
料理は寿司屋の寿司と弁当屋のオードブルは神社で手配したが、その他にも商店街の店から色々と差し入れがある。
お酒はもちろん、さっきまでお供えされていた日本酒だ。
僕は宮司の隣の上座で、宮司の挨拶の時に「もう知っている方が多いと思いますが」という前置きとともにみなさんに紹介してもらった。
全員で乾杯した後、さっそく総代役員さんが宮司に酒を注ぎに来た。
「中芝さん、あの笛、いかにもお祭りって感じでいいねぇ。
あれって俺でも吹けるの?」
「少し練習したら吹けると思いますよ。
けど横笛を始められる方は、あの笛よりも
お祭りのお
「ふーん、だったらそっちの方がいいな。
中芝さん、教えてくれる?」
「ええ、いいですよ」
篠笛は雅楽の笛とは少し違うのだが、僕は吹ける人に教えてもらったり教則DVDで練習したりして吹けるようになっている。
「おーい、中芝さんが横笛教えてくれるって!」
役員さんがみんなの方を向いてそう言うと、自分もやりたいという人が何人かいた。
「それでしたら、みなさんが上手く吹けるようになったら、例祭で奉納演奏をしてもらいましょうか」
宮司がそんなことを言うので、すっかり盛り上がってしまい、僕が社務所で月2回ほど教えるという話がその場で決まった。
席が宮司の隣ということもあって、色々な人が次々酒を注ぎに来てくれるので、注ぎに回る暇もない。
宮司は僕が酒に弱いことを知っているので、途中でさりげなく飲み物をノンアルコールビールに変えてくれたので、僕は寝入ってしまうような醜態を晒すこともなく、稲荷神社での初めてのお祭りを無事終えることができた。
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