第9話 正式採用
僕が稲荷神社に来てから1週間が経ち、仕事にもだいぶ慣れ、佐々木宮司の僕の呼び方が「中芝さん」から「中芝くん」に変わった頃、前の神社の宮司の息子である権宮司から電話がかかってきた。
「禰宜や君と仲のいい職員から君の言い分を聞いたので、妹に問いただしたら、嘘をついていたことを認めたよ。
君には本当に申し訳ないことをした」
権宮司の言葉でようやく誤解が解けたことを知り、僕はほっとする。
その後、権宮司は僕に復職の意思を確認してきたが、すでに別の神社で働いているのでとお断りした。
「それと、出来れば妹と宮司と3人で、君にきちんと謝りに行きたいので、時間を取ってもらえないだろうか」
権宮司からそう言われたが、僕は少し迷った後、こう答えた。
「いえ、出来れば妹さんにはもう会いたくないので……」
「ああ、君からしたらそうだよな。
悪かった。
それじゃあ、妹に君には二度と近付かないという念書を書かせて、それを送らせてもらうことにするよ」
そんな電話があった日の夜、今度はその神社で一緒に働いていた先輩から電話があった。
「先輩、ありがとうございました。
権宮司に話してくれたんですね」
「ああ、あいつが残してった手紙の写真見せたら一発だったよ。
権宮司はあいつの学生時代の男関係のトラブルの噂も聞いていたらしいしな。
あいつ、3ヶ月間減給の上に、しばらくは仕事の時以外は親に見張られて謹慎させられるってさ」
そう言って先輩は「いい気味だ」と笑った。
「それにさ、どうもうちの巫女の誰かが、お前が辞めさせられた日に禰宜とお前が話していたのをちょっと聞いてたらしいんだよ。
それで、あいつがお前に振られた腹いせにセクハラの濡れ衣着せて辞めさせたって噂が、女子神職会の連中に広まったらしくて」
女子神職会というのは、都内の女性神職の集まりだ。
女性神職は巫女出身者も多いし、祭祀舞の講習などで交流があるので、他神社の巫女と仲がいい人も多いらしい。
巫女の間に伝わった噂が女性神職まで伝わるのは早かっただろう。
「昨日の女子神職会の新年会で、あいつ、針のむしろだったらしいぞ」
「あー……それは結構キツイでしょうね」
神主の世界はただでさえ狭いのに、その中でも女性の神主はさらに少ない。
その狭いコミュニティでつまはじきにされるのは、かなりつらいものがあるだろう。
「まあ、お前が気にすることはないよ。
あいつの自業自得なんだからさ」
先輩の言葉に、僕もそれもそうだと納得し、その後は僕の近状を少し話して電話を切った。
────────────────
権宮司は約束を守ってくれて、電話があった日の翌日には、宮司の娘の念書と共に、宮司の達筆で丁寧な詫び状と娘の嫌々書いたような詫び状が速達で送られてきた。
念書の内容は、今後自分からは一切僕に近づかない、話しかけない、連絡をしないという、ストーカー犯罪者の念書みたいなものだった。
ここまでしてもらえれば、僕の方も安心できる。
速達には今月分の給料明細も同封されていて、2年目にしてはかなり多めの退職金も追加されていた。
たぶんこれは神社からの迷惑料なんだろうなと思い、ありがたく受け取ることにする。
佐々木宮司に届いた詫び状などを見せ、あちらの誤解が解けたことを報告すると、宮司はすごく喜んでくれた。
「あちらが片付いたのなら、もう中芝くんをうちの神社で正式採用しても大丈夫ですね。
どうですか、中芝くん。
これからもうちの神社で働いてくれますか?」
「はい、もちろんです!
ありがとうございます」
「それでは、一応総代役員さんに集まってもらって許可をとりましょう。
すでに話はしてありますから、大丈夫だとは思いますけどね」
「はい、よろしくお願いします」
そうしてその日の夕方、総代役員さんたちが神社に集まった。
総代というのは、神社のある地域に住んでいる氏子さんたちの代表で、そのさらに代表となる総代役員は、神社にもよるが宮司よりも強い発言権がある場合が多い。
そのため宮司が僕を雇うと言っても、総代役員が反対すれば雇ってもらえなくなるので、僕は役員さんたちに会うのに少し緊張していたのだが、現れた総代会長さんは社務所に2回ほど将棋を指しに来ていたおじいさんだった。
他の役員さんたちも全員、普通に参拝に来ていて挨拶したことのある人ばかりだ。
「黙っていて悪かったね。
宮司は人を見る目があるから問題ないとは思ったけど、一応人となりを見せてもらいたいと思って。
まあ、中芝さんは真面目で人当たりもいいみたいだから、僕はこのまま働いてもらったらいいと思うよ」
総代会長さんの言葉に、他の役員さんたちもうなずいてくれる。
「宮司もいい年だし、あちこちご祈祷に行くのもそろそろつらいだろうから、若い人がいてくれた方がいいよな」
「というか、もうとっくに正式採用決まったもんだと思いこんでたよ。
近所の人たちもみんなそう思ってるだろうし、婆さん連中なんか『あの男前の神主さんにあいさつしてもらうと寿命が延びる』とか言ってるから、今やめられたらむしろ困る」
そんなわけで、僕はめでたく稲荷神社で正式採用してもらえることになった。
ただし、一週間働いた感じではやはり仕事量が少ないと感じたので、勤務時間と給料は少なめにしてもらい、代わりに時々他の神社に助勤に行かせてもらえないかと相談する。
「うちの神社はごく普通の神社ですから、勉強の意味でも他の神社でご奉仕して色々な経験を積むのは良いことだと思いますよ。
中芝くんはまだ若いのですからね」
宮司も僕に賛成してくれたので、僕の希望はそのまま受け入れられることになった。
────────────────
役員さんたちが帰った後、宮司は僕に「ところで住まいはどうしますか?」と聞いてきた。
「正式採用になったら不動産屋を紹介すると言っていましたが、もし中芝くんさえよければ、このままうちに住みませんか?
正直に言うと、この一週間で中芝くんがいる生活の心地よさにすっかり慣れてしまったので、一人暮らしに戻るのは寂しいんですよね。
それに中芝くんが作ってくれるご飯も美味しいですし」
「あー……それは僕もそうかもしれません」
宮司の側は何だか居心地がよくて、朝から夕方まで一緒に社務所で過ごした上に、夕食や夜の自由時間まで一緒に過ごしていても全く苦にならないのだ。
それにご飯だって自分1人の分を作って1人で食べるよりも、2人分作って宮司に美味しいと言ってもらいながら2人で食べる方がずっといいと思う。
「それじゃあ、お言葉に甘えてここに居させてもらっていいですか?」
「ええ、もちろんです。
それでは改めてよろしくお願いします」
「こちらこそ、よろしくお願いします」
こうして、僕の新しい職場と住まいが、正式に決まったのだった。
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