第11話 倫之くん

 3月に入った頃、宮司から太郎くんが旅行に行くという話を聞かされた。

 同居している画家さんと一緒に、3泊4日でキャンピングカーで富士山の辺りを回るらしい。


「それとですね、太郎くんの代わりというわけではないのですが、ちょうどその時に親戚の大学生の子が神社の仕事を体験しにくることになりましてね。

 中芝さんにその子の面倒をみてもらいたいのですが」

「宮司のご親戚ですか?」

「ええ、兄の孫に当たる子なのですが、私がこの通り独身で跡継ぎがいませんので、その子が神社の仕事を体験してみて、もし神職の仕事が向いていそうだと思えたら、うちに養子に入って跡を継いでもいいと言ってくれていましてね」


 そう言う宮司の顔は、どことなくうれしそうだ。

 神社は別に世襲制ではないので、必ずしも子供が親の跡を継ぐ必要はないのだが、佐々木宮司のうちは御祭神の血を引くという言われる由緒ある家系なので、宮司がこの話を喜ぶのも当然だろう。


「私が面倒をみてもいいのですが、本人に『大叔父さんは俺に甘くて、ちゃんとした体験ができない気がするから、他の人がいい』と言われましてね。

 中芝さんなら年も近いですし、お願いできればと思いまして」

「それは責任重大ですね。

 わかりました。

 その子に神職の仕事が気に入ってもらえるように頑張りますね」


 僕がそう答えると、宮司はほっとしたような表情で「よろしくお願いします」と言った。


 ────────────────


 数日後、宮司が連れてきたのは、はっきりした顔立ちのイケメンの青年だった。

 イケメンと言っても今流行りの顔立ちではなく、古風な男前とでも言えばいいのだろうか、歌舞伎役者や時代劇俳優にでもいそうなタイプである。

 目はキリッとしたつり目をしていて、佐々木宮司の優しそうな顔立ちとは全く印象が違うのに、つり目の目元は佐々木宮司にそっくりだった。


「佐々木倫之のりゆきです。

 よろしくお願いします」


 はきはきと挨拶する、やや低めのよく通る声もやはり、佐々木宮司の声を若々しくしたような感じだ。

 宮司のお兄さんの孫だという話だが、それだけ離れた血縁でもやっぱり似るものなんだなと感心する。

 名前も顔立ちと同じく古風だが、宮司の名前が佐々木倫通のりみちなので、きっと佐々木家では代々名前に「倫」の字を付けることになっているのだろう。


「中芝くん、倫之に白衣と袴を着付けてあげてもらえますか」

「はい、じゃあ、えーと、倫之くんって呼んでいいかな?」


 佐々木だと宮司と同じだからと思ってそう聞いてみると、彼は「はい」とうなずいた。


「じゃあ、倫之くん、こちらへ」


 僕が倫之くんを装束を置いている着替えのための小部屋に案内しかけると、宮司はいつものようにコタツに入った。

 見慣れたはずのその様子に、僕はどういうわけか違和感を覚える。


「中芝さん?」


 倫之くんに声をかけられ、僕ははっと我にかえった。


「ああ、ごめんごめん。

 行きましょう」


 改めて僕は倫之くんをつれて装束の小部屋に移動した。

 倫之くんに白のインナー上下だけになってもらい、襦袢じゅばんから順番に着付けていく。


「あー、僕の袴でも短いか」


 襦袢と白衣は宮司が自分のものを用意したが、袴は宮司のものでは短いだろうということで、僕が学生の時に履いていた見習い用の白袴を貸すことにしたのだが、倫之くんの身長は僕よりもさらに10センチほど高いため、僕の袴でも丈が足りなかった。


「ごめんね。

 ちょっとかっこ悪いけど、短い間だしこれで我慢してね」

「はい、大丈夫です」

「足袋は宮司が買ってくれたけど、雪駄せった……ではわからないよね、草履ぞうりはどうしよう。

 倫之くん、足も大きいからなあ」

「あ、履物は父の浴衣用の草履を借りてきました。

 鼻緒が黒なんですけど、とりあえずそれでいいそうです」

「あ、そうなんだ。

 それならいいけど、草履も慣れてないと足が痛くなるかもしれないから、痛くなったら無理しないで、社務所の下駄箱のサンダルに変えてね」

「はい、わかりました」

「それじゃあ戻ろうか」


 授与所に戻ると、倫之くんを見た宮司は「似合いますね」と目を細めた。


「そうですよね。

 まあ、倫之くんはかっこいいから、何を着ても似合いそうですけど」


 僕がそう言うと、倫之くんは「えっ」と驚いて、それから照れていた。

 イケメンなのに、案外こういうことは言われ慣れてないのかもしれない。


「それじゃあ、まずは授与所の仕事をやってみようか」

「はい」


 僕は倫之くんと共に授与所の窓口に座る。


「倫之くんは何かアルバイトやってる?」

「ファミレスでウェイターやってます」


 倫之くんの返答に僕は密かにこんなウェイターがいたら女の子が殺到しそうだなと思いつつ、倫之くんにうなずいた。


「うん、だったら大丈夫かな。

 神職の一番大切な仕事は神様にお仕えすることなんだけど、その次に大事なのは参拝者の方に喜んでいただくことなんだ。

 だから、こういう言い方は語弊があるかもしれないけど、基本的な心構えは接客業に通じるところがあると思う。

 ファミレスとおなじように神社でも、一人一人のお客様に敬意を持って笑顔で接することや、お客様がまた来たいと思っていただけるように環境を整えることが大切なんだ」


 僕がそう言うと、倫之くんは神妙な顔つきでうなずいた。


「まあ、神社では『お客様』じゃなくて、『参拝者』ということになるんだけどね。

 神社ではそういう独特の言い回しが多いから、少し教えておくね」


 そうして僕は倫之くんに神社で使う用語について説明した。

 倫之くんはあらかじめ宮司から渡された本である程度は勉強したということだったが、それでも僕の説明を真剣に聞き、時折メモを取っている。


 そうしているうちに、若い女性が和風の巾着袋を取り出しながらこちらへやって来るのが見えたので、僕は倫之くんに目で合図をし、参拝者の方を向いて会釈をした。


「御朱印お願いします」

「はい、お預かりします」


 女性が差し出した御朱印帳を受け取り、硯箱すずりばこを開けて御朱印を書き始める。

 御朱印を書いている間の参拝者の行動は、その間に参拝に行くか、お守りを見るか、御朱印を書くところを見ているかの3つが多いが、この参拝者の方はその3つ目だった。

 参拝者だけではなく、隣からは倫之くんの視線も感じるので、僕はいつも以上に緊張しながら御朱印を書き上げた。


「ようこそお参りでした」


 参拝者に御朱印帳をお返ししてお金を受け取り、いつものご挨拶の言葉を口にすると、倫之くんの声と綺麗に重なった。

 参拝者の後ろ姿を見送りながら、さっき教えたことをきちんと実行できた倫之くんに、うんうんとうなずいてやる。


「そう、『ありがとうございました』じゃなくて、『ようこそお参りでした』ね。

 よく覚えていたね」


 僕が褒めると、倫之くんは照れたような表情を見せる。


「そうだ、倫之くんも御朱印書いてみる?

 これも仕事体験ってことで」

「はい」


 御朱印用の白紙と、見本として書き置きしてある御朱印を用意して倫之くんと座る場所を代わると、倫之くんは筆を持った。

 ピシッと背筋を伸ばし、まっすぐに筆を持つ姿は、なかなか様になっている。

 書き始めた文字も初めてだとは思えないくらいにうまかった。

 見本に出したのは僕が書いたものだったのだが、倫之くんの上品な文字はむしろ宮司が書いたものに似ている。


「倫之くん、上手だね。

 書道とかやってる?」

「いえ。高校の選択芸術は書道でしたけど」

「なるほど、それで毛筆に慣れてるんだ。

 これだけ綺麗に書けるなら、次に御朱印を頼まれた時は倫之くんに書いてもらおうかな」

「はい、がんばります」

「それじゃあ、次の参拝者が来るまでに、何か質問とかある?」


 そうして僕は、しばらくの間、倫之くんの質問に答えて過ごした。


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