第19話 翌日

 目が覚めると、つり目のイケメンが柔らかい笑顔を浮かべて僕を見つめていた。

 その表情は余裕たっぷりのように見えるけれども、その頭の上の三角形の耳はぴくぴくと動いていて、倫くんが落ち着かない気持ちで僕が目覚めるのを待っていたことがうかがい知れる。


「……狐の耳が出てる時は、人間の耳はなくなるんだね」

「ちょっ、第一声がそれ⁈」


 倫くんはがっかりしたような声を上げ、おまけに頭の上の耳もへにょっと伏せてしまう。


 何百年も生きている神使という凄い存在なのに、倫くんの耳や尻尾はまるで初めて恋をした少年のような素直な気持ちを伝えてきて、そのわかりやすさが可愛いと思えてしまう。

 佐々木宮司に対する憧れや尊敬の気持ちとは違うけれども、倫くんのこういう可愛いところも好きだなと思う。


「ごめんごめん。

 おはよう、倫くん」


 がっかりしている倫くんに謝って改めてあいさつすると、倫くんも機嫌を直していい笑顔であいさつを返してくれた。


「おはよう、拓也。

 体の方は大丈夫?」

「……えーと、うん、大丈夫みたい」


 倫くんの言葉に、今さらながら昨夜倫くんにされたことを思い出し、ちょっと赤くなりながらも僕は答える。

 昨日は疲れて気絶するように眠ってしまったが、今はちょっとだるい気がするくらいで別に痛いところもない。

 そう言えば昨日は体のあちこちが汚れてしまったはずなのに、体もお風呂に入った後のようにさっぱりしている。


「もしかして、倫くんが体拭いてくれたの?」

「うん、まあ、そんなようなものかな」


 倫くんの微妙な返答に、ああ、神通力を使ったんだなと納得する。

 昨日は体の外だけじゃなく中も汚れてしまったので、もしかしたら中まで拭いてもらったんだろうかと心配したのだが、神通力なら一瞬だっただろうから安心した。


「今何時くらい?」

「あー、そろそろ起きなきゃいけない時間。

 出来れば今日は一日中このまま拓也とこうしていたいところだけど」

「だめだよ、起きなきゃ。

 これからは毎日だって一緒に寝られるんだし」


 僕がそう言うと、布団から先っぽが出ていた尻尾がばさばさと動いた。


「うん、そうだな。

 それじゃ朝飯は俺が作るから、拓也はゆっくり来てくれたらいいよ」


 そう言うと倫くんは布団から出て一瞬で服を着ると、尻尾を振りながら部屋を出て行った。

 

「……もしかして、寝るって意味、勘違いされた?」


 倫くんが出て行った後でそう気付いたが、今さら追いかけて訂正するわけにもいかないので、僕は諦めて起き出して服を着ることにした。


 ────────────────


 倫くんが作ってくれた朝ご飯を食べ、いつも通り神社に出た。

 倫くんは狐耳と尻尾をしまって倫之くんの姿になっている。


 昨日までと同じように2人で並んで授与所の窓口に座っているのだが、隣からどことなく浮かれた気配が伝わってくるのがいたたまれない。

 その上、その隣の倫くんとうっかり目を合わせてしまったり、声が耳に入ってしまったりすると、昨夜のことがふっと脳裏によみがえってくるのがつらい。


「……ねえ、変身っていつでも出来るんだよね。

 だったら佐々木宮司の姿に変身してくれない?」

「だめだよ。

 宮司はお葬式に行ってるって、昨日何人かの参拝者に説明しただろ?

 午後にならないと宮司の姿にはなれないよ」

「あー、そう言えばそうだった……」

「なに? 拓也は俺がこの姿でいるのが嫌なの?

 夕べは俺の好きな姿でいいって言ってくれたのに」

「いや、嫌ってわけじゃないんだけど、落ち着かなくってさ……」


 僕がそう言うと、倫くんは落ち着かない理由がわかったらしく、にやにやと笑った。


「まあ、どっちにしろ拓也にはこっちの姿にも慣れてもらわないといけないんだよね。

 2年後には倫之が養子に入ったことにして、しばらくしたら倫通宮司は引退ってことにして入れ替わるから」

「あ、結局その設定はそのままで行くんだ」

「うん。若返ったのは拓也に意識して欲しかったからだけど、そろそろ世代交代しなきゃいけないのも本当だから。

 設定的には在学中に資格を取って2年後に大学卒業と同時に神社に奉職でいいかな。

 宮司になれる資格取れるまでに何年かかかるから、それまでは祭りの時だけは倫通宮司で出るようにして。

 あ、それとも2年後からは拓也が宮司やる?

 倫之よりは拓也の方が先輩になるんだし」


 突然の倫くんの提案に僕はぶんぶんと首を振る。

 倫くんは軽く言っているが、社家どころか神使で神職歴何百年の倫くんがいるのに、ぺーぺーの僕が宮司だなんてとんでもないことだ。


「でも拓也も宮司やりたいんじゃないの?

 俺、こうなった以上は拓也を他の神社に移籍させるつもりなんかないから、他の神社の宮司はできないよ?」


 結ばれた途端そんなところにまで独占欲を見せる倫くんにちょっとあきれながらも僕は答える。


「確かに宮司っていうのに憧れないわけじゃないけど、やっぱりこの神社の宮司は倫くんがふさわしいと思うよ。

 短い間だけど佐々木宮司を見ていて尊敬できる宮司だって思ってたから、倫之くんに代替わりしても宮司をやって欲しいな」


 僕がそう言うと、倫くんはちょっと照れた様子でうなずいた。


「拓也がそう言ってくれるんなら、代替わりしても宮司は俺がやるよ。

 よく考えたら、兼務してる隣町の稲荷神社の宮司を拓也にやってもらうって手もあるしね。

 まあ、その辺は代替わりする時にまた相談しよう」

「うん」


 そんな話もしながら、今日も表面上はいつもと変わらない神社での一日が過ぎていった。


 ────────────────


 夕方、神社の窓口を閉めた後、旅行から帰ってきた太郎くんと同居人の松下さんが自宅の方に訪ねてきた。


「夕食時にすいません。

 おみやげ、お酒のつまみになりそうなものもあるから早い方がいいかと思って」

「おお、わさび漬けに黒はんぺんですか。

 これはいいですね」


 午後になってから佐々木宮司の姿に戻った倫宮司は、にこにこしながら太郎くんからおみやげを受け取っている。


「こっちは中芝さんに。

 イワシの削り節なんですけど、静岡おでんにこれの粉がかかってて美味しかったので、料理にも使えるかなって思って」


 そう言いながら僕におみやげをくれた太郎くんは、なんだか不思議そうな顔をすると、くんくんと鼻を鳴らして首をかしげた。


「どうしたの、太郎くん」

「えーっと、なんだか中芝さんから宮司さんの匂いがするので、どうしてかなと思って」


 太郎くんの言葉に、僕と松下さんの2人がギョッとした顔になった。

 松下さんは慌てた様子で太郎くんの口を手でふさいでいる。


「さすがタロくんは鼻がいいですね」


 倫宮司はにこにこしたままで、太郎くんの言葉にうなずいた。


「私たちが同じ匂いがするのは、昨日私たちが恋人同士になったからですよ」

「そうなんですか⁈

 おめでとうございます!」

「宮司!」


 いきなり僕たち2人の関係をバラしてしまった倫宮司に抗議しようとした僕に、倫宮司は微笑んだ。


「お二人には話しても大丈夫ですよ。

 お二人も私たちと同じですから。

 恋人という意味でも、こちらの意味でもね」


 そう言うと倫宮司は、狐の耳と尻尾をにゅっと出した。

 若い倫くんに耳と尻尾も可愛いけど、おじいさんである倫宮司に耳と尻尾も結構似合ってて可愛い。


「あ、もう中芝さんに神使だってこと話したんですね。

 中芝さん、実は僕も神使なんです。

 ほら」


 そう言うと、太郎くんは宮司と同じように黒い三角の耳と黒い巻き尻尾を出して見せてくれた。

 その耳と尻尾は太郎くんと松下さんが時々散歩に連れてくる黒い柴犬のものと似ている気がする。


「あー、タロは元々は俺が飼っている犬だったんですよ。

 こちらの神様に人間に変身出来るようにしてもらって、それで今は俺の恋人です」


 そう言って松下さんは太郎くんの頭を撫で、そして太郎くんはそんな松下さんを見上げてうれしそうに尻尾を振っている。

 その様子はまさに飼い主と飼い犬であり、恋人同士でもあった。


「それにしても、恋人同士になったのが昨日ってことは、まさかとは思いますが、佐々木さんは中芝さんを落とすためにタロがいるとやりにくいから、俺たちの旅行のレンタカー代を出してくれたとか言いませんよね……」


 松下さんがこわごわと言った感じでそう言うと、倫宮司はちょっと笑った。


「いえ、ただ単にいつもがんばっているタロくんにご褒美をあげたかっただけですよ?

 まあ、ちょうどいい機会だと思って中芝さんを口説いたのも確かですが」

「えっ」


 僕が驚いた声をあげると倫宮司は微笑んだ。


「だって、タロくんは素直だからすぐ顔に出てしまいますから。

 タロくんがいる時には若い姿に化けるという小細工は使えませんからね」


 確かに太郎くんがいる時に倫之くんに化けていたら、太郎くんが「宮司と同じ匂いが」などと言い出してややこしいことになっていたかもしれない。

 倫宮司は違うと言っていたが、本当は松下さんの言う通り、太郎くんがいるとやりづらいから旅行に行ってもらったのに違いない。

 今になってわかった倫宮司の必死の小細工に、僕はあきれるしかなかった。


「えーと、なんかすいません……」

「い、いえ、あの別に僕も嫌ってわけじゃないので大丈夫ですから……」


 申し訳なさそうに僕に謝ってくる松下さんに、照れながらもそう答えると、隣の倫宮司がうれしそうな顔で僕の背中をぽんぽんと叩いた。

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