第3話 夢枕

 これは夢なのだと、すぐにわかった。

 なぜなら、3年前に死んだはずのばあちゃんが目の前に立っていたからだ。


 誰もいない駅の中、ばあちゃんは改札の向こう側から僕に手招きすると、駅の外の方に向かって歩き出した。

 慌てて僕も開きっぱなしの改札をくぐり抜けて、ばあちゃんの後を追う。


 看板を見てみると、都内にある駅名が書かれていた。

 ばあちゃんは駅から出ると、迷いのない足取りでビルが立ち並ぶ通りを歩いていく。

 その歩みは早く、僕が走っても追いつけない。


 しばらくすると、商店街の名前が書かれたアーケードが見えてきた。

 中くらいの規模の、昭和の風情を残した商店街を奥まで行くと、神社の赤い鳥居が見えてきた。

 ばあちゃんはその神社の鳥居をくぐったところで振り返ると、また僕を手招きした。


 ばあちゃんに招かれるままに、社号標に「稲荷神社」と書かれたその神社の鳥居を、僕もくぐった。


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 鳥居をくぐったところで、目が覚めた。


 僕の周りには数人の男が雑魚寝している。

 昨日一緒に飲んでいたメンバーのうち、半分くらいは終電で帰ったのだが、僕を含めた残りの半分はそのまま社務所に泊めてもらったのだ。


 他の人もそれぞれ起きてきたので、各自顔を洗ってさっぱりしてから、宿代の代わりということで神社の境内を清掃する。

 その後、近所の喫茶店でモーニングを食べて解散となり、そのまま電車で帰る人間は連れ立って駅へと向かう。

 通勤ラッシュの時間帯が過ぎた電車に乗り、乗り換え駅でみんなと別れて1人になった僕は、駅のホームのイスに腰掛けた。


 スマホを取り出し、さっき夢で見た駅の名前とアーケードに書いてあった商店街の名前をネットで検索する。

 思った通り商店街は実在していたので、地図を開き、ストリートビューで夢で歩いた通りの道順をたどってみると、商店街の一番奥に夢で見たのと同じ稲荷神社があった。


「やっぱりあった……」


 僕が夢の中の神社が実在していると確信していたのには理由がある。


 死んだばあちゃんは、いわゆる「拝み屋」だった。

 悩みごとのある人にご祈祷きとうやおはらいやお告げをしてお礼をもらうというばあちゃんの仕事は、人によってはイカサマ霊能者のように見えたかもしれない。

 けれども僕は子供の頃から何度もばあちゃんになくした物を見つけてもらったし、ばあちゃんの百発百中の天気予報に助けられてもいたので、ばあちゃんが「本物」だったことを知っている。


 そのばあちゃんが、僕が失職したその夜に夢に出てきたのだ。

 きっとあの稲荷神社は実在していて、ばあちゃんが僕にあの神社のことを教えたかったのだと、僕はそう確信していたのだ。


 僕は立ち上がると、路線図を確認し、夢で見た駅へと向かった。


 ————————————————


「ここか……」


 僕は夢で見た稲荷神社の前に立っていた。

 神社の規模としてはそう大きくはないようで、午前中の今も参拝者は散歩や買い物のついでという感じの人が少しいる程度だ。


「あれ? 稲荷神社、なんだよな?」


 入り口にある石造りの社号標には確かに稲荷神社と書いてあるけれども、それにしては稲荷神社らしいものは入り口の赤い鳥居が1つと狛狐こまぎつねが一対あるだけで、稲荷神社の特徴であるたくさんの赤い鳥居や御神号が書かれた赤いのぼり旗は見当たらない。


 こんな商店街にある稲荷神社で、寄進がないってことはないと思うんだけどなあ。


 稲荷神社は商売繁盛のご利益がある神様なので、村の神社にある小さな末社でさえも近隣の商店や会社から寄進された鳥居やのぼり旗があるのが普通だ。

 これほどの規模の神社で、それらが全くないというのは、かなり珍しいと思う。


 何か理由があるんだろうかと不思議に思いながらも、僕は赤い鳥居をくぐる。

 境内に足を踏み入れた途端、辺りの空気がひんやりとした清浄なものに変わったのがわかった。

 鎮守のもりがあるような大きな神社ではよくそういう空気を感じることがよくあるが、こんな街中の、木もそう多くはない神社では珍しいかもしれない。

 その清浄な空気に、昨日起こった嫌なこともすべて洗い清められたような清々しい気持ちになり、それだけでもこの神社にお参りに来てよかったと思える。


 何も調べずに来てしまったが、もしかしたらここは何か凄い神社だったんだろうかと思って境内を見回してみたが、神社の由来を書いた由緒碑や看板はなかった。

 おそらくはこの神社は特別な神社ではなく、ごく普通の地域の氏神様で、参拝者のほとんどが近所の氏子なので、看板などは必要がないのだろう。

 ただ、入り口近くの掲示板には、地域のお知らせと共に、2月17日の祈年祭のお知らせが貼ってある。


 とりあえずこの神社について調べるのは後回しにしてお参りすることにして、手水舎で手と口を清め、拝殿に向かう。


 その途中で、境内で参拝者と話をしていた年配の神主が僕に気付いて会釈をしてくれた。

 袴の色が紫なので、おそらくはこの神社の宮司だろう。

 僕も会釈を返して、改めて拝殿に向う。


 拝殿の前の賽銭箱に賽銭を入れて鈴を鳴らし、二礼二拍手一拝の作法に従って参拝する。

 手を合わせながら心の中でこちらの神社のご祭神に「亡くなった祖母に夢で導かれてこちらにうかがいました」とご挨拶しておく。


 参拝が終わり、境内を見て回ろうかと思って歩き出すと、参拝者との話が終わったらしい神主と目が合った。


「ようこそお参りでした」


 つり目なのに優しげな顔立ちの神主の、やや低めのよく通る穏やか声を耳にした途端、僕はふらふらとその神主のそばに歩み寄っていた。


「あの、すみません」

「はい、なんでしょう」

「こちらの神社でご奉仕させていただけないでしょうか」


 そんな言葉が自然にするりと口から出た次の瞬間、僕はハッと我に返った。


「す、すみません。

 僕、いきなり変なことを……」


 人によってはいかがわしく聞こえるかもしれない「ご奉仕」という言葉自体は、神社の仕事一般に使う言葉なので、別におかしくはない。

 しかし、宮司らしき神主に向かって何の前置きも説明もなくそれを言い出すのは、会社の社長に向かって初対面の人がいきなり「僕を雇ってください」と言い出すのと同じで、完全に非常識で変な人である。


「いえ、かまいませんよ」


 それなのに、そんな失礼なことを言い出した僕に対して、その神主は穏やかな微笑みを浮かべてそう言ってくれた。


「それよりも、何か事情がおありのようですね。

 もしよろしければ、あちらで詳しいお話をうかがわせてはもらえませんか」


 そう言うと神主は、恐縮している僕を社務所へと案内してくれた。


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