第16話 プライベート・ママさん
「明日の晩、来られる?」
二人はいつもの店のママさんにそう声をかけられ、顔を見合わせた。
「最近、動画を見たって言って来てくださるお客さんも増えてきたから、お礼がてら一緒に飲みたいなって思って」
そう言われてしまっては、断るのも申し訳ない。
遠慮の言葉を口にしつつも、明美もさくらも押し切られる形でママさんの招待を受けることになったのだった。
てっきりいつものお店で飲むのだろう、と思っていた二人だったが、店に入るなり、
「あら、来たわね。じゃあ、行きましょうか」
ママさんは店員やカウンターの中に「じゃあ、あとよろしくね」と声をかけ、困惑する二人を外へと連れ出した。
「あ、ここで飲むんじゃないんですか」
「私だってたまには他のお店のお料理を食べたいもの」
そう言って笑うママさんに、二人は「なるほど」と納得するのだった。
最寄りの駅から電車に乗り、一駅。
少し歩いたところにあるモツの串焼き屋に入る。カウンターしかない、こぢんまりとした店だった。
入るなり、カウンターの中の年老いた夫婦がママさんに気がついて「あ、どうしたんですか今日は」「ご無沙汰してます」と頭を下げる。
一緒に歩いてみて、明美もさくらもまず驚いたのは、ママさんの顔の広さだった。お店をやっている老夫婦はまだしも、駅から少し歩く間に何人もの人から声をかけられている。
今のはこの近くで居酒屋を何軒もやってる社長だとか、さっきのは相撲部屋のおかみさんで、よくうちに来てくれるんだとか、さすがの人気店経営者の貫禄である。
「とりあえず、ガツとカシラとレバーを三本ずつタレで焼いてくださる? 二人はハイボールでいい? ビールにする? 日本酒よりはそっちの方が合うと思うけど」
店で手際よく働いているママさんは、飲みにきても手際がいいらしい。
ささっと注文し、運ばれてきた飲みものも明美やさくらが手を出す暇さえ与えずに配ってしまう。
「あ、すみません……」
「いいのいいの、今日は私が貴女たちにお礼をしたくて無理を言ったんだから。忙しくて休みがなかなか取れないから、せめて休める日は有意義に使いたいでしょ?」
「せっかくのオフなのに、わたくしたちのために使わせちゃっていいんですか……?」
さくらの言葉に、明美もうなずいた。それは仕事の一環なのではないか、という気がしてしまう。
「それだけのことをしてもらってるもの」
どうにも、ママさんは動画作りのことを相当に評価してくれているらしい。広告効果なんてたかが知れているだろうに、と明美は思うのだが、動画を見て来た、と言う客の話を聞けば嬉しくなってしまうのも作り手の習性というものだ。
やがて、いい感じに焼かれた串焼きも運ばれてきた。
「あ、これ、美味しい……!」
クニクニコリコリとした食感もさることながら、甘辛いタレが美味い。醤油ベースの香りに深く複雑な奥行きがあり、肉の旨味を引き立てている。
「でしょう。ガツって胃袋のことよ。歯応えがいいのよね」
ママさんに言われて、明美は何度も首を縦に振った。
「しかも、安いでしょう。串何本かとハイボールくらいなら千円そこそこで楽しめるし、帰りにちょっと寄って、少し飲み食いして小腹を満たしていく、みたいな使い方をする人が多いのよね。だからカウンターだけでも回転率で勝負できるの」
なるほど、明美はうなずいた。
確かに、見ていると先ほどから客の回転は早い。多くの客が一人で立ち寄り、一度の注文だけで飲み食いをすませてすぐに席を立つ。
これだけ美味しいなら、明美としては腰を据えて楽しみたい気もする。とはいえ、串焼きの種類はそう多くない。ガツ、ハツ、シロ、カシラ、レバー、ハラミ、ミノ。
塩、タレ、ニンニクダレの三種があると言われても、さくらなら全種類制覇もあっという間だろう。
モツ煮などの串焼き以外のメニューも少しはあるが、それを含めてもすぐに一周してしまいそうだ。
とはいえ、これまで取り上げてきた店とは少し文化が違う。それは、動画としても面白いのではないか。
「ねえ、さくらさん、次はこの店に……」
しかし、さくらは残念そうな顔で首を横に振って、壁の張り紙を指さした。
『店内でのスマホの使用禁止』
明美はそれを見てガックリと肩を落とした。
美味しい串焼きの感動を動画に使いたかった、というのはあるが、店のルールは店が決めるもの。それに逆らうことはできない。
「これは無理ですよね……」
「そうね。お店に迷惑をかけるようなことはしたくないし」
そんな二人のやりとりに、ママさんはくすりと笑った。
「こういうお店だと、どうしても目に余る人は出てきちゃうのかもしれないわね。焼きたてを食べてほしくて注文を受けてから焼くスタイルなのに、写真を撮るのに一生懸命で冷めちゃうのを見たら悲しくなるものね」
そう言われて、確かに、とうなずかざるをえなかった。
「そういえば、結構前から、写真を撮るためにたくさん注文して、ほとんど食べ残す人がいる、みたいなことも問題になってますよね……」
「そうね。わたしたちも、お店の人にそういう気持ちを持たせちゃわないように気をつけないと」
「あら、貴女たちは大丈夫よ。だって、本当に美味しそうに飲み食いするし、お料理を残したことも一度もないじゃない」
「それはまあ、最低限の礼儀というか、当たり前の話というか」
「そうね。でも、本当に重要なのはその最低限だけなのよ。写真を撮るにしても、ネットに上げるにしても、ちゃんとそこをわかってくれている人ばかりなら問題になんかならないわ」
串焼きを食べながら、穏やかにママさんは話を続ける。
「写真を撮らなくても疎まれる人もいれば、貴女たちみたいに撮って感謝される人もいる。でも、その差は初めて会った人ではわからないから、とりあえず対策としては『スマホ禁止』とか『撮影禁止』にするくらいしかやりようがないのよね」
「やっぱり、困ったお客さんっているんですか?」
さくらの質問に、ママさんは苦笑した。
「そりゃあ、たまにはね。お酒も入るから、どうしたってトラブルはなくならないわよ」
「そんな様子、お店で見た記憶はないけどなあ」
通い始めてもう何年にもなる明美だが、実際、品のいい客が多い、という印象しかない。
「そりゃあ、貴女たちが来るのは開店直後だし、その時間帯なら深酒になっちゃう人も少ないもの」
「ああ、なるほど……」
明美とさくらがなるべく開店直後に店を利用するのは、混んでいないからである。写真を撮る都合上、どうしても混んでくると他の客の目が気になるし、写り込みにも注意を払わなければならない。
もちろん、せっかくの自由業なのだから、その恩恵を最大限利用してやろう、という思惑もゼロではない。
「最終的には、信頼関係なのよね、お店とお客の関係も。貴女たちが写真を撮り始めたり動画を作り始めても、楽しそうなことをやってるな、としか思わなかったもの。それで迷惑がかかるかも、なんて思いもしないわよ」
「そう思って頂けると助かります」
「それだけ貴女たちがいいお客さんだったってことよ。でも、このお店は初めてだから、お店側も貴女たちを信用していいのかわからない、ということよね」
確かにそれはその通りだ。
それはつまり、何度か作ってきた新規開拓編の取材と撮影では、より気を遣わなければならなかった、ということでもある。すぎてしまったことは仕方ないが、これからは留意しなくてはならない問題だ。
「もし、どうしてもっていうなら、私から大将に話を通してあげるけど」
ママさんの言葉に、明美は即、「いいえ」と首を横に振った。
「お店の方針は、何より尊重されるべきだと思っています。それを曲げるようなワガママを通してまで作る動画に意味なんかないです」
「わたくしも、明美さんの言う通りだと思います」
ママさんは「うん」と満足げにうなずいた。
「貴女たちならそう言うと思ったわ。さ、じゃあ、ここではもう切り上げて、次のお店に行きましょうか」
「え」
「何を意外そうな顔をしているの。こういうお店はサッと飲んでサッと出るものよ。次は、近くに知り合いが新装開店したお店があるからそこにしましょう。そっちは腰を据えるのにいいお店よ」
想像以上にタフなママさんの飲み方に、二人が顔を見合わせた。
どうやら、まだまだ夜は長そうである。
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