第7話 こだわりのおでん
それからしばらく経って、今度は明美からさくらに『おでん屋にリベンジしよう』というメールを送った。
気持ちの整理が付いたというのもあるが、何より、一度目の出来事をほぼそのまま動画にしたので、それに対するリベンジ回のための取材をしたかったのである。
一も二もなくOKの返事をくれたさくらとともに、明美は二度目のおでん屋へと向かった。
おでん鍋が客の目に付くところになく、洒落たバーのような雰囲気の店。
そのことはすでにわかっているのだから、もう戸惑いはない。前回と同じ席に座って、前回は食べなかったおでんダネを中心に攻めていく。
「イワシつみれをください。あと、玉子を。さくらさんは?」
「ええと、厚焼き玉子がおでんに入るの、気になります。それから、ゴボウ巻きを」
かしこまりました、とバーテンのような出で立ちの店主は恭しく一礼して、カウンターの中からさらに奥、客からは見えない調理場へと消えていく。
前回同様、おでんのわりには出てくるまでに時間がかかる。
しかし、それももうわかっていることなので、気にせずお通しでちびちびと酒を味わいながら待つ。
まず、最初に出てきたイワシつみれを二人でつまむ。
「え、イワシつみれってこんなにふわふわでしたっけ……?」
さくらが驚いたように言った。
明美も同じ感想だった。
イワシつみれには、ざらつくような荒さがあるものだ。
なのに、このイワシつみれにはそれがない。驚くほどなめらかで、柔らかい。かといって、イワシ特有の風味や味わいが損なわれているわけではない。
「前回から思ってたけど、味に関してはすごいハイレベルよね」
「同感です」
次いで、つみれ以外のおでんダネも運ばれてくる。
茶色く染まったゆで玉子を割ってみれば、白身はかなり中心に近いところまでおでん出汁の色が浸透している。しっかり火が通ったパサパサっぽい黄身も、おでんの具としては正解だ。この黄身におでん出汁を染み込ませて食べるのが美味いのだ。
特にこの店のおでん出汁は濃厚なので、ただの玉子が驚くほど味わい深くなっている。
「明美さん、これ、すごいですよ」
そういってさくらが指し示したのは、厚焼き玉子だった。
ごく普通の、どこにでもありそうな厚焼き玉子だが、それがおでん出汁に浸っており、さくらの箸によって半分に割られている。
「おでんの玉子なら、ゆで玉子の方が美味しいと思うんだけど」
そう言いながら、明美も残り半分の厚焼き玉子を食べてみた。
「――!」
ひと噛みで、評価がひっくり返った。
厚焼き玉子は、ひっくり返しながら層を作るように巻きながら作っていく。その層に、しっかりと濃厚なおでん出汁が入りこんでいる。
噛むほどに、おでんの味が染み出してくるのだ。
「うわ、厚焼き玉子をおでんに入れようって考えた人、天才すぎない……?」
「わたくしもそう思います。最近だと、コンビニとかにもあるみたいですよ、厚焼き玉子」
「え、ホントに? そういえば、コンビニのおでんって最近買ってないなあ」
きっと、今後はますます縁遠くなるだろう。こんなに美味しいおでんを知ってしまったのだから。
そして、第一陣として頼んだ最後の一つ、ゴボウ巻き。
これが、さらに明美とさくらに衝撃を与えた。
細長い練り物に芯のようにゴボウが入っているこのおでんダネ、比較的一般的な、というか、わりとよく見る具である。もちろん、明美だってこれまでに何度となく食べているし、どんな味かも知っている。
だからこそ、驚いた。
まず、ゴボウにほんのりとシャキッとした歯応えが残っている。明美が知っているゴボウ巻きのゴボウは、しっかりと火が通っていて柔らかいばかりだったのに。
さらには、ゴボウの香りと風味が飛ばずにちゃんと残っている。その香りが、練り物の歯応え、おでん出汁の味と混ざり合うことで他の練り物と明確に違う個性になっていた。
明美のこれまでのゴボウ巻き経験の中で、常識が覆るような味覚だった。
なぜゴボウを練り物で巻く、というおでんダネを作ったのか。その理由がハッキリと理解できる気がした。
このゴボウの風味があればこそ、この味わいこそ、ゴボウ巻きが生まれた理由なのだろう、と。
「こうなってくると、メニューにあるおでんダネは全部制覇したくなっちゃいますね」
さくらの言葉に、明美は心から賛同してうなずいた。
そして、そのメニューを開き、すみません、とバーテンのような店主に手を挙げて声をかけた。
「ええと、次は……」
「失礼ながら、大根はお召し上がりにならないのですか?」
店主から尋ねられた。
「あ、えっと、大根は前に来たときに食べたから、今日はまだ食べてないものを選ぼうかなって」
「なるほど、そうでしたか。いえ、すみません、うちで大根を召し上がらないお客様は珍しいものですから」
「そうですよね、おでん屋さんで大根を頼まないの、やっぱり少数派ですよね」
「それもありますが、やはり一番こだわっていますので。お好きな方は、お一人で五個も六個も頼まれますよ」
でしょうね、とうなずきつつ、会話が生まれたならこれはチャンス、と、
「すみません、わたし、普通はおでん屋さんって大きなおでん鍋がどーんっておいてあって、みたいな印象があったんですよ。そうしない理由って何かあるんですか?」
そう訊いてみた。
「そうですね、まず衛生面の問題があります。鍋に埃が落ちたり虫が入ることもありますし。それに何より、煮込みすぎると具の美味しさが損なわれてしまいます。味の管理が難しいんです」
ゴボウ巻きを食べた後では、なるほど、とうなずかざるを得なかった。
ゴボウに絶妙な食感と香りが残っているのは、つまり『煮すぎていない』ということなのだろう。
「素人考えだと、煮込めば煮込むほど美味しくなるだろうって思っちゃいますけど、そんなとこはないんですね」
「そうですね。大根でさえ、やはり煮込みすぎれば大根のよさがどんどん薄まってしまうんです。スペースのない屋台などでは大鍋で煮続けるのも仕方ないですが、こうして店を構え調理スペースを用意できているのですから、やはり大鍋のパフォーマンスより味にこそこだわりたい、と考えております」
店主の回答はよどみない。もしかしたら、同じ質問を受けることが少なくないのかもしれない。
「当店では、すべての具材を注文を受けてから最高の状態でお出しするよう心がけています。なので、おでんなのにどうしても少し時間がかかってしまうのですが、味わって頂ければご理解頂けるものと信じておりますので」
その言葉には、信念があった。
そして、しっかりと味わったからこそ、そのこだわりの価値が理解できる。
「じゃあ、大根をください。あと、茄子を」
「わたくしは、がんもどきとちくわぶが食べたいです」
「かしこまりました。うちはずっと継ぎ足している濃厚なおでん出汁も自慢なんです。その出汁を使った小うどんなどもございますので、是非〆にどうぞ」
店主が仕事に戻った後、うーん、と明美は唸ってしまった。
「どうですか? 評価、保留した意味はありました?」
そう訊いてきたさくらの穏やかな笑顔は、すでに明美の答えを確信しているに違いなかった。
「うん、慌てて『風情がないからダメ』なんて言わなくてよかった、って思ってる。それでも、どこかそれが引っかかってたから、前回はちゃんと味わえなかったのかも、って思うくらい今日は美味しいよ」
「それも動画にするんですか? なんていうか、先入観に引っ張られて正しく判断できなかった、ってあんまりカッコいいことじゃないですけど」
「するよ。っていうか、それこそ包み隠さずしなきゃダメだと思う。恥ずかしがってるようじゃ物書きはだめよ。むしろ、それこそ面白くさらけ出せなきゃ」
「じゃあ、取材は成功ですね」
「うん、大成功だと思う。結果に結びつくかどうかはわからないけどね」
「それは別の話ですよ。明美さんが納得のいく作品を作れるなら、今はそれが成功だと思います」
「そう言ってもらえると助かるわ」
いい店を見つけた。
明美は心の底からそう思っていた。
それだけでも、動画を作り始めた意味があった、と。
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