第6話 おでん鍋の是非

 飲みに行ったときに、決まって頼む飲みものや料理というのはあるものだ。それどころか、足繁く毎回通う店というのもある。

 しかし、動画にする以上、毎回同じ料理を取り上げても仕方がない。そして、同じ店ばかり何度も使っていては、いずれメニューも枯渇してしまう。明美とさくらが一番気に入っている店は恒常のメニューも、季節やその日の仕入れによる『本日のオススメ』的な日替わりメニューもかなり豊富ではあるが、それでも無限ではない。

 必然的に、新規開拓は必須となってくる。

 ましてや、週一のペースで動画を上げていこう、となれば、なるべく早く定期的にネタに使えそうな店を見つけておく必要がある。

「寒い時期ですし、おでん屋さんとかどうですか?」

 さくらからそんなメールが届いたのは、そんな理由で新しい店探しを頼んでいたからだった。

 現状、動画の編集を分業するのは効率的ではない、と明美は判断した。内容の構成から文章起こし、実際の動画上での演出までは「それぞれの意図を共有する」という工程が効果に対して重すぎるのである。

 なので、必要なキャラクターの絵が完成してからは、さくらには取材で撮ってきた写真の整理や管理、他に必要な効果音や背景などのフリー素材探し、そして店探しや予約などの雑用を引き受けてもらっていた。

「いいね、おでん」

 そう返信して、日程を調整すれば、取材という名の二人飲み会はすぐに現実のものになるのだ。


「お店の大きなおでん鍋ってさ、動画映えしそうよね」

 おでん屋までの夜道を歩きながら、明美は言った。最近はすっかり、「何が動画に映えるか」を優先して考えるようになってしまっている。SNS映えばかりを考えている人たちの気持ちが少しわかったような気がしていた。

「ホームページでメニューも少し確認したんですけど、ちょっと珍しい具材もあるみたいですよ」

「いいね、そういうの」

 みんなが知っていて、惹かれる王道は強い。誰もが一目見て「美味しそう」と思うのはこっちだし、それこそが共感を生む主力である。

 そして、珍しいもの、初めて見るもの、面白いものが添えられるとなおいい。

 あとは、味だ。動画で味は伝わらないが、やはり美味しいものを食べて美味しいと伝えたい。そこについては、ネタに困ってもウソはつきたいくない。

「あ、ここです」

 さくらに先導されて、明美も店の中に足を踏み入れた。

 おでん屋の中に。

「……おでん屋?」

 明美は店内を見回して、首を傾げた。

 木調の壁や床の薄暗い店内は、まるで小洒落たバーのような印象である。

 カウンターもあるが、そこに想像していたおでん鍋の姿は影も形もなかった。

「いらっしゃいませ。カウンター席でよろしいですか?」

 カウンターの中からそう声をかけてきた男性の姿も、おでん屋の親父というよりはダンディなバーテンダーといった趣だ。

「あ、はい。ええと、おでん屋さん……ですよね?」

 勧められたカウンター席に座りながら、明美は訊いていた。

「はい、少しはおでん以外のものもございますが」

 にこやかにバーテン風の男性は答えて、明美とさくらの目の前にメニューを広げて置いた。

 メニューに並んでいるのは、大根、玉子、はんぺん、コンニャク、ちくわ、ゴボウ巻き、イワシつみれ、餅入り巾着等々、お馴染みのおでんの具材だ。

「じゃあ、とりあえず日本酒を……ええと、八海山を」

「わたくしはビールで」

「かしこまりました」

 一礼してカウンターの奥に戻る男性の立ち居振る舞いは、やはりおでん屋っぽくなくて、混乱してしまいそうになる。

「でも、若い女性にはこういう店構えと内装の方がいいのかもしれないですよね」

 さくらが言った。

「なるほど……。確かに、昭和っぽいおでん屋さんよりは、女友達を誘って来やすいってのはあるかも」

 メニューを見ても、おでん以外には『明太ポテトサラダ』や『チーズ包み揚げ』など、女性受けを狙っていそうな品も少なくない。

 さらにメニューをめくってみれば、牡蠣、ツブ貝、タコ串などの海鮮ものや、鶏ハラミ、牛すじなどの肉枠、プチトマト、茄子、里芋などの野菜系、タコ焼きや玉子焼きなどの変わりダネも多い。

 面白いお店ではある。

 雰囲気も、接客も、おでん屋と考えなければ、かなり良好だ。

 しかし、それと天秤にかけてみても、大きなおでん鍋の風情というのは捨てがたいように明美には思えてしまう。

 やがて、先ほどのバーテン風男性が、頼んだ酒とお通しのザーサイが入った小鉢を運んできた。

「お料理はどうなさいますか?」

「じゃあ、大根と、厚揚げ、あと餅入り巾着を二つずつ。さくらさんは何か食べたいもの、ある?」

「ええと、牡蠣とプチトマトが気になります」

「じゃあ、それも二人分で」

「かしこまりました」

 おでんと言えば、すぐに出てくるもの、という印象が強い。煮ている鍋から皿に取って出すだけ、なはずだからだ。

 しかし、頼んだおでんが出てくるまでには少し待たされることになった。他の居酒屋の料理を待つのと同程度なので、遅すぎるとまでは思わないが、おでんと考えるとどうなのだろう、と思ってしまう。

 だが、出された大根を箸で割ってみて、そんな些細な不満はどこかへと飛んでいってしまった。

 芯の方まで飴色に染まった大根は、二人揃って「わあ……」と声を上げてしまうほどに美味しそうな見た目と香りだった。

 口に入れて、さらに驚く。

 柔らかく煮られているが、大根の風味と歯応えはほんのりと残っていて、これ以上煮たらそれらが損なわれてしまうのではないか、という絶妙な仕上がりなのだ。

 それに、何よりおでんの出汁が驚くほどに濃厚で、深い。

「美味しいです……!」

「うん、誇張抜きで、生涯で一番美味しいおでんの大根かも……」

 そうなると、他のおでんダネの味も俄然気になってくる。

 厚揚げ。これにも濃厚なおでん出汁がしっかりと染みており、堅実な美味しさになっている。

 餅入り巾着もそうだ。出汁が美味しいから、その味をしっかりと含む油揚げも餅もこの上なく美味しい。 

「これは思っていた以上ね……!」

「ですね。牡蠣とか、すごいですよ。しっかり味は染みてるのに、全然固くなってなくて、プリプリなんです」

「え、ホントに? それ、日本酒に最高のヤツじゃん!」

 言われて明美も牡蠣に箸を伸ばす。箸でつまみ上げただけで、その柔らかさが指に伝わってくる。

 口に含めば、歯や舌に伝わってくる感触は、牡蠣フライの中身などの『火は通っているが本来のプリプリ感は損なわれていない』という状態にかなり近い。

「ウソ……。貝って煮たら煮るほど固く小さくなっちゃうもんなのに……」

「すごいですよね」

 確かにすごい。おそらくは他のおでんダネとは別に煮ているのだろうが、それにしたって火加減が絶妙すぎる。

 となれば、変わりダネのプチトマトも気になってくる。

 そもそも、トマトとおでんが合うのだろうか。明美にとっては、試したことはもちろん、考えたことさえない未知の組み合わせである。

 そもそも、トマト煮味は染みるのだろうか。シチューやソースにトマトを使う場合、どちらかといえば自分の味で染めていく立場の食べ物ではないのか。

 おそるおそる、口に入れてみる。

 表面には、当然おでんの味がある。当然だ。おでん出汁に浸っていたのだから、おでん出汁で濡れている。

 そして、噛んでみると――、

 弾けるように出てきたトマトの酸味がおでん出汁の味と混ざり合う。

 その両者の味の相性が、驚くほどにいい。

「何これ、美味しい……!」

「ですよね、トマトとおでんがこんなに合うなんて」

 感動と一緒にプチトマトを飲み込んで、明美は箸を置いた。

「ねえ、さくらさん。一度このお店はこれで出ない? 食べ足りない分は、ラーメンでも奢るから」

「え? いいですけど、どうしたんですか?」

「ここ、美味しいと思うの。でも、どうしても最初に期待したおでん鍋を眺めながらの期待が捨てきれないから、先入観が出ちゃうと思うのよ」

「あ、なるほど。今日は終わりにして、一度気持ちを整理してからまた来たい、ってことですね」

「うん。こういうお店なんだ、ってわかったわけだから、次はそのつもりでまっさらな気持ちで来たいなって」

「でも、取材としては失敗じゃないですか。次の動画のネタ、足ります?」

「それはどうにでもなるよ。前に飲みに行ったときの写真とかもあるし。なんなら、今日思ったことをそのまま動画にしてもいいと思うし」

「わかりました。じゃあ、今日の分の写真はいつも通り整理しておきますね」

「うん、ありがと」

 こうして、明美とさくらは早めに店を出た。

 気に入らなかったからではなく、新鮮な気持ちで次に来たときに楽しむための布石として。

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