第8話 居酒屋のおにぎり

 動画の本数も増えてくると、シリーズとしての認知度も上がってくる。毎回見てくれる人も徐々に増えていっている手応えはあった。

 固定客の獲得は嬉しい限りである。自分が作ったモノの価値を認め、また見にきてくれるのだから、作り手の明美としては嬉しくないはずがない。

 とはいえ、最初の動画こそ一万再生の大台になんとか届いたものの、依然として伸びるペースは緩やかなままだった。

「ジワジワとでも伸びてるわけですし、ファンも付いてるんですから、きっと何かのきっかけでぐーんと伸びることもありえると思いますよ」

 というのが、さくらの評である。

 いずれにしても、「継続することで人気が高まることもあるだろう」というのが、現状での明美とさくらの共通見解だった。


 いつもの居酒屋にいつものように二人で赴き、メニューの『本日のオススメ』を見ながら次の動画のテーマを考える。

「そろそろ春をテーマにしてもいいんじゃないですか? ほら、メバルとかありますよ」

「春告魚、だもんねえ。でも、春って言い切るにはまだ寒いかなあ」

 メバル以外にも、ホタルイカ、新タマネギ、フキノトウなど、春の食材を使った料理の名前が多く並んでいる。

 とはいえ、刺身のラインナップを見れば、未だに冬の味覚も多数並んでいる。サワラなどは春の魚などと書くものだから春の印象だが、関東では寒サワラといって冬の魚だったりする。

「春というより、ちょうど冬と春の境目なのかもしれないわね」

「じゃあ、季節の変わり目を楽しむ、なんてテーマはどうですか?」

「あ、それいいわね。冬を惜しんで、同時に春を寿ぐ、なんて素敵かも」

「やった! わたくし、フキノトウの天ぷらが食べたいです! ハイボールより、ちょっと良い焼酎をロックで飲みたい気分です」

「あー。いいよね、フキノトウ。んー、サワラは食べておこうかなあ。これでシーズン最後かもしれないし」

 そんな話をしているところに、「いらっしゃい」とママさんが注文を取りにやってきた。

「そうそう、この前、動画にうちの店の名前を出してくれたんでしょう?」

「ええ、まあ、お店から名前を出して、と言われちゃうと、出さないわけにはいかないかなって思いまして」

 基本的に、明美は「動画では店の情報は明言しない」ことにしている。写り込んだ背景や料理、皿などから特定されることは仕方ないと思うが、お店の名前を出してしまえば、ダメなところについて言及しにくくなってしまう。

 なるべく良いところを意識的に探していきたい、とも思っているが、ダメなところは容赦なく批判する、というつもりがなければ、きっと面白さは半減してしまう、というのがポリシーなのである。

 とはいえ、お店ありきの動画である。

 お店側が「やめてくれ」と言うことはできないし、お店側が「こうしてほしい」と言うのであれば、なるべくそれに沿った形でやっていきたい、というのも本心だった。

 言うまでもなく、今後、他のお店で名前を出したい場合には、きちんと店側の許可を得るつもりなのは言うまでもない。

「昨日ね、動画を見て来ました、っていうお客様がいらっしゃったのよ」

「え、ホントですか?」

「明美さん、やりましたね!」

 もちろん、それは明美たちが目指すものではない。しかし、動画を見て「食べてみたい、行ってみたい」と思ってもらえたなら、それは狙い通りに相手の心を動かせたということに他ならない。表現をする者にとって、最高の賛辞であった。

「しかもね、その人、山形から来たって言うのよ」

「は……?」

 明美たちが住んでいるのも、この店があるのも、首都圏の端の方である。言うまでもなく、新幹線を使って行き来しなければならない距離だ。

「も、もちろん、何かのついでなんですよね……?」

 さくらがおそるおそる訊いた。

「それはそうよ。詳しくは聞いてないけど、お仕事で出張したついでだったんじゃないかしら。でも、宿は横浜に取ってるって言ってたから、ここまで来るのも一苦労だと思うのよね」

 少なくとも、東京を横断して来なければならない位置関係にある。

「なんていうか、ありがたいことですね……」

 ママさんは「動画を作ってくれてありがとう」と言うが、明美たちからすれば、この店が魅力的だからこその結果である。

 と、近くのテーブル席で食事をしていた二人組の若い女性の一人が立ち上がり、明美たちの方へと歩み寄ってきた。

「あの、すみません、お話が聞こえてしまったので、もしかしてと思って。私たちも、今日は動画を見て来たんです。動画って、一人居酒屋のあれですよね?」

「あらあら。それは嬉しいわね」

 ママさんは上機嫌で、

「お近くにお住まいなの?」

 と尋ねた。

「いえ、岐阜です。一昨日から観劇メインの旅行に来てて、帰りに寄らせてもらった感じで」

「そうなんですか。え、まさか宿がすごく遠いなんてことは……」

「いえ、今日は泊まらずここで飲み食いしたら帰路につきます。これから夜行バスに乗るんです」

「まあ、それは大変ね。もしよかったら、おにぎりでも持っていきますか? うちのお店は食べきれなかったお客様のために持ち帰り用の容器も置いてますから、ちょっとしたお弁当ならご用意できますよ」

「いいんですか? 助かります、是非お願いします!」

 嬉しそうなお客の顔に、ママさんも総合を崩した。

「せっかく遠くから来てくれたんですもの。おにぎり二つのお値段で、唐揚げと漬けものはサービスでお付けしますね。お二人分でいいかしら?」

 こういう心遣いがこの店が繁盛する理由なんだろうなあ、と明美とさくらは顔を見合わせて笑った。

「ここのおにぎり、梅や明太子も美味しいですけど、鮭がオススメですよ。鮭のフレークが自家製なんで、しっとり感と脂の旨味がしっかり残ってるんですよ」

 明美のアドバイスに、遠方からの視聴者は、

「本当ですか。じゃあ、是非鮭おにぎり二個でお願いします」

 とママさんに告げた。

「はい、鮭おにぎりね」

「なんだか、わたくし、鮭が食べたくなりました。百年の孤独のロックとハラス焼き、ください」

 さくらも次いで注文する。

「わたしは〆張鶴と、初志貫徹でサワラのお刺身を」

「ありがとうございます。少しお待ちくださいね」

 ママさんが注文を取るだけ取って、仕事へと戻っていく。

 視聴者の女性も、「ホント美味しくて、来てよかったです。これからも動画を楽しみにしてますね」と席に戻っていった。

 そのテーブルでの様子をチラリと見ただけでも、嘘偽りなく満喫している様子が見て取れた。

「なんだか嬉しいですね」

「うん」

 明美もさくらも、ついつい口元が綻んでしまうのを隠せていなかった。

 今日は、いつも以上に美味しい酒が飲めそうである。

 そして、〆に頼む料理が何になるのかは、もうすでに決まったようなものだった。

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