第12話 バルのステーキ

 さくらには常々、気になっている店があった。

 最寄りの駅から少し歩いたところにある小さな店である。大きく『肉』という文字を掲げてはいるが、焼き肉屋ではない。ステーキハウスとも少し趣が違う。

 看板には『バル』と書いてあった。

「あー、それ、要はバーのことよ。ほら、言語が変われば同じ綴りでも読み方が変わっちゃうじゃない」

 明美に尋ねると、あっさりと謎は解けてしまった。

「でも、バーって言うには雰囲気が……」

「まあ、日本人が考えるバーとは少し違うかもね。バルはイタリアやスペインの居酒屋みたいなもんだと思えばいいわよ」

「そうなんですか?」

「うん。ただ、本場ではファミレスとかコンビニとか喫茶店も兼ねてる感じかなあ」

「明美さん、ごめんなさい、どんなお店かちょっと想像できなくなってきました」

「そのくらい生活に密着してるってことよ。日本だと、肉中心のあっちの国の料理とお酒を出すお店、くらいの感じかしらね」

「なるほど……」

「気になってるお店でもあるの? 行ってみる?」

「行きましょう。どうせなら、今から行きませんか」

「まだお昼だけど」

「ランチもやってるみたいなんですよ」

「ランチで偵察か、確かにそれは悪くないかもね。じゃあ、案内してよ」

 そう言いながら、明美はすでに上着に手を伸ばして出かける気満々である。

 何ごとについても、決めたら即行動、というのはとても明美らしいな、とさくらは内心で少し笑ってしまった。


 その店は、小さな小屋のような外見をしていた。

 広くないし、ところどころにチープさもあるが、逆にそれが気取らず入れる安心感のようなものを生んでいた。

 木の床のみならず、壁やテーブルも木調で統一されており、全体的に『行ったこともない本場の生活に溶け込んだ店っぽく感じる』という効果を醸し出していた。

 昼食どきだが、まだそこまで混んではいない。さくらと明美以外は、四人がけのテーブルに家族が一組と、カウンター席に男性客が一人いるだけだった。

 案内されたテーブルには、『オススメランチ』と記されたランチ専用のメニューが置かれていた。

「一番のオススメはステーキの定食になります。オージービーフですが、すごく評判が良いですよ」

 席に着いてすぐ、水を持ってきてくれた店員が言った。

「夜だと、単品で一五〇〇円以上するんですよ、うちのステーキ」

 話を聞きながら、さくらはランチメニューに目を落とした。

 そこには、『ステーキランチ、ライスかパン、サラダ、味噌汁とドリンク付き九八〇円』と書いてある。

「確かにこれはお得ですね……」

「ふーむ、いいね。でも、他のも食べてみたいよね。このハンバーグのチーズフォンデュ風とか地鶏のグリルも美味しそうじゃない?」

「ですね。あの、単品で追加することってできますか?」

「あ、ええと、お昼はランチだけなんですけど、ちょっと待ってくださいね」

 店員は奥へと駆けていって何やら責任者と話し、戻ってきて、

「ランチにあるメニューの単品なら大丈夫だそうです!」

 と嬉しそうに言った。

 あ、気持ちいいお店だ、とさくらも嬉しくなる。客のオーダーに応えることができて嬉しい、という感情が伝わってくる。そういう店員がいる店というのは、たいてい味でも外れない。

 美味しい店には、良いスタッフが集まるものだ、というのがさくらの持論である。だから、スタッフが良い店は、逆説的に期待ができる。

「じゃあ、わたくしはステーキランチをライスで。あと、このハンバーグとチキングリルを単品でください」

「え、そんなに……?」

 店員が、大丈夫ですか、とでも言いたげな顔をする。

「あ、平気よ。この子、そのくらいなら腹八分目にも満たないから、一切れたりとも残したりしないわ」

 明美に言われて、店員は驚きに目を丸くした。

「え、すごく細いのに、そんなに召し上がるんですか……?」

「そうなのよ。まあ、わたしも少しつまむかもしれないけどね。あ、わたしは豚バラ肉の味噌チーズ焼きランチを」

「あ、はい、かしこまりました」

 店員はオーダーを取り終わって、仕事へと戻っていく。

「明美さんが頼んだの、なんていうか、すごく強い感じですね」

「でしょ。なんかこう、豚バラと味噌とチーズって、好きなもの全部合わせました的な強さがあるよね。それでつい頼んじゃった」

「はい、もうそれ絶対美味しいに決まってる、みたいな感じがあります」

「これ、夜もあるメニューなのかな? だったら、写真を撮っておきたいよね」

「あ、撮ります?」

 首を傾げつつも、さくらはスマホを取り出した。 

「うん、撮っておこうか。ランチ特集とかもネタが切れてきたらありだろうし、ライスとか写らないように撮っておけばかさ増しもできるし」

「え、それ、いいんですか?」

「逆に、ダメな理由ってなくない? フィクションが含まれます、って注釈はつけてるし。まあ、ウソはまずいから、夜にないメニューとか、違う店のメニューを混ぜ込むのはダメだと思うけど」

「でも、あの動画、ほぼ実話だって信じてる視聴者さんもいると思うんです」

「丸っきりのウソってことはないでしょ。実際、ランチでも来て食べてるし、写真も自分たちで撮ったものを使ってるわけだし」

「それはそうですけど」

「今までも、順番を入れ替えたり、一回の飲みを二回に分けて動画にしたり、別の日に食べたのをテーマに合うからって引っ張ってきたりしたことはあるよ」

「いいんでしょうか、そういうの……?」

「わたしとしては、面白くなるなら問題ないと思うけどね。脚色ってヤツよ。別に実話ですって明言してるわけでもないし、むしろフィクションですって言ってるし」

「でも、なんだか騙してるような気がしません……?」

「いやいや、さくらさんだって、絵でディフォルメしたりするでしょ? 誇張とか、足し引きとか。そういうのと一緒だって。面白くするための手法みたいなもんよ」

「あー、なるほど……」

 ほどなく、料理が運ばれてきた。

 やはり、目を引くのはステーキである。

 お得なランチ価格とはいえ、大きさに申し分はない。立派に一人前のステーキで、夜の価格でも適正な値段だろう、と思える。だからこそ、ランチのお得感は、実物を見た後の方が強まっていた。

「どれも美味しそうね。特に、チーズが皿でぐつぐつ言ってるハンバーグの香りの破壊力がヤバい」

「明美さんの豚バラ肉の味噌チーズ焼きもいい香りですよね」

「うん。豚の脂と味噌ダレが鉄皿の上で熱々になってたら、そりゃあ食欲も刺激されるよね」

 しかも、上にたっぷりとかけられた粉チーズが良い感じに溶け始めているのだから、視覚的にも食欲の刺激度数はかなり高い。

 いただきます、と二人は早速、ランチを食べ始めた。

 さくらが頼んだステーキは、しっかりと美味しい赤身肉だった。サシがたっぷり入った和牛のような柔らかさはないが、ほどよい抵抗がある噛み心地と、噛むほどに肉の旨味が染み出してくるのは快感だ。

 さくらとしても、柔らかすぎる肉よりも、このくらいの歯応えがある肉の方が好きだった。肉を食べている、という実感が強いのだ。

 一転して、地鶏のグリルは柔らかさが感動的だった。

 ナイフを入れればほとんど力を入れなくてもスッと切れる。それは口の中でも同じで、歯が触れた瞬間に噛み切れているような柔らかさと、鶏の香り、脂の甘味が混ざり合って口の中が幸福になるような鶏肉だった。

「いやー、この店、当たりね! 味噌とチーズの相性、合うに決まっているとは思ってたけど、想像以上だわ」

「ステーキも地鶏も美味しいですよ。これは、夜も来たくなりますよね」

「うん、近いうちに来よっか。こういう店だと、ワインが良いんだろうけど……わたし、ワインは詳しくないからなあ」

「別にビールとかハイボールでいいんじゃないですか?」

「まあ、そうなんだろうけど、ワインもいずれは勉強したい気はするのよね。まあ、日本酒もビールも洋酒も、こだわり始めたら底なし沼なのは知ってるからこそ躊躇してるんだけど」

「全部を深くやるのは無理ですよね……」

「ホントにね。財布と時間と内臓の観点から」

「もしかしたら、自分ではやれない部分をわたくしたちの動画で賄っている視聴者さんもいらっしゃるのかもしれないですよね」

「なるほど……その視点はなかった。でも、確かにワインやウイスキーの指南動画とか、見つけるとついつい視聴しちゃうのはあるわー」

「案外、入門編みたいな動画も需要があるのかもしれないですね。居酒屋って、最初に入ってみるまではちょっと抵抗あるじゃないですか。特に女子には」

「あー、いいね。ちょっと考えてみよっか」

 そんな話をしながらも、ステーキと地鶏のグリルとハンバーグのチーズフォンデュ風を平らげたさくらは、そっとメニューに手を伸ばすのだった。

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