第10話 刀削麺と中華

 いつもの居酒屋で、「そういえば」とさくらはスマホの画面を明美に示した。

「写真フォルダを整理してたら、懐かしい写真が出てきたんですよ」

「え、どれどれ?」

 明美は示された画面を見やる。

 そこには、何年か前に二人で中華を食べに行ったときの写真が表示されていた。

「あー、そんなこともあったっけ。確か、刀削麺のお店よね?」

「そうです、そうです」

 刀削麺は、文字通り生地の塊を専用の刃物で削るようにして作る麺である。柳の葉のような形状になる麺は、均一ではない厚みが独特の食感を生む。

「あの店、麺はもちろんだけど、他の料理もかなり本格的だったよね」

「はい。確か、二人でドラゴンハイボールを飲んだんですよ」

「そうそう。あれ、美味しいよね」

 ハイボールはウイスキーを使うものや、焼酎ベースのもの、いわゆる酎ハイなどが有名だが、紹興酒を使うこともある。紹興酒ベースのハイボールを、ドラゴンハイボールと銘打って提供する中華料理屋も最近では多い。

「紹興酒って、クセが強いじゃない。まあ、それが好きな人にとっては良さなんだろうけど、わたしはあんまり得意じゃないんだよね。でも、これがハイボールになるとすごくいい感じになるのよね」

「度数も強めですから、ゴクゴク飲むタイプのお酒じゃないですよね、紹興酒って。でも、ハイボールにすることで、中華料理との相性もグッと上がってる気がします」

「さくらさん、脂っこい料理をビールやハイボールで食べるの、好きだもんねえ」

「はい。脂を爽やかな炭酸系のお酒で洗い流すのがたまらないんですよ」

「まあ、わかるけど」

 苦笑した明美はというと、それも嫌いではないが、日本酒をちびちびやる方が好みだったりする。

「実際、中華って前菜のカテゴリーからして結構脂っこかったりするもんね。この店も揚げ茄子とかあったし」

「えー、美味しかったじゃないですか、揚げ茄子。ネギと酢がきいたさっぱり味でしたし」

「いやいや、ソースがさっぱりでも揚げ茄子は揚げ茄子だからね? 確かに美味しいけどさ、揚げ茄子」

「うーん、やっぱり、麻婆豆腐を先に頼んだ方がよかったでしょうか?」

「前菜が麻婆豆腐ってのもどうかと思うんだけど」

「でも、揚げ茄子よりは軽めなのでは?」

「さくらさんの中で麻婆豆腐ってどんな位置づけなのよ……」

「だって、豆腐ってヘルシーじゃないですか」

「うん、まあ、豆腐自体はね……」

 とはいえ、麻婆豆腐は基本みたいなところがある。中華で飲むなら、外したくないメニューである。

 複数人で飲みに行けば、たいてい誰かが初手か、その次くらいで頼んでいる。麻婆豆腐には、明美もそんな印象を持っていた。

「まあ、実際、あのときもかなり早めに頼んでたよね、麻婆豆腐」

「ですね」

 麻婆豆腐は店の方向性を探る試金石のようなところがある。日本人向けにマイルドな調整をしているのか、それとも本場の味を再現する尖った味付けなのか、それをチェックするには便利な料理なのだ。

 ちなみに今話題に出ている店の麻婆豆腐は、あまり日本人に媚びてはいなかった。山椒の刺激がかなり強烈だった、と明美は記憶している。

「わたし、麻婆豆腐みたいな辛い料理も好きだけど、中華の塩炒めが好きなのよね。海鮮と野菜の炒めものとか」

「あ、美味しいですよね。イカとかエビとかブロッコリーとかゴロゴロ入ってる感じの炒めもの」

「ああいう料理ってさ、中華の一連の流れでは癒やしだと思うのよ。どうしても辛い料理とか、香辛料の強い料理が多いじゃない。そういうのが嫌いなわけじゃないんだけど、どうしても続いちゃうことってあるから」

「一度に頼むと、意図しなくてもそういう順番になっちゃうこと、ありますもんね」

「そうそう。一緒に食べるつもりで頼んだけど、どっちかが遅れちゃうとかね」

「ある程度は仕方ないですけど、ランチとかで一緒に食べようと頼んだのに、先に出てきたラーメンを食べ終わってもチャーハンが出てこなかったりすると、さすがにモヤッとすること、ありますよね」

「半チャーハンじゃないあたりがさくらさんらしいけど」

 ラーメン半チャーハンセットとかなら、一緒に出てくるのではないだろうか、と思わなくもない。

「そんなことより、あの店で一番印象的だったのは、さくらさんに『肴、次は何を頼もうか?』って訊いたときだけどね」

「わたくし、何か変なことを言いましたか?」

 さくらが首を傾げる。

「言ったよ。肴にチャーハンを頼もうって!」

「えー。本格中華のパラパラチャーハンは青島ビールやドラゴンハイボールと最高に合うんですよ?」

「別に否定はしないけど、よりによってそれを選ぶ? みたいなとこあるじゃん。餃子とか酢豚とかエビチリとか、選択肢はたくさんあるんだからさ」

「美味しいんですけどねえ。チャーハンとお酒……」

「わたしは特に、お酒とごはんは分けたいタチだからってのはあるけどね」

 明美としては、例えば寿司も〆につまむならともかく酒に合わせるなら刺身がいい、というのが持論である。もちろん、寿司と酒を合わせたい人の好みを否定するわけではないが、「美味しいですよ」と言われても「好みじゃないです」としか言えないのだ。

「個人的には、エビのフリットみたいなガーリック揚げが一番ドラゴンハイボールを美味しく飲めたと思うけどなあ」

「あ、あれは美味しかったですよね!」

 エビにサクサクの衣をつけて、たっぷりの唐辛子にまみれた盛りつけで出てくる料理である。衣に唐辛子の辛さとニンニクの香りが染み込んでおり、じんわりとした辛さと香ばしさを衣のサクサク、エビのプリプリと楽しめる、そんな一皿である。

 揚げものの油っこさと、辛み、風味、そのすべてがドラゴンハイボールと最高の相性おいう恐るべき料理だった。

 明美としては、その料理のために少し遠いその中華料理店にまた行きたくなる、というレベルの好きさ加減である。

 スマホの写真をスライドさせて、エビのガーリック揚げの写真を探す。

 見つけた写真は、記憶以上に唐辛子まみれで、ものすごく辛そうだった。さすがに唐辛子を一緒に食べればかなり辛いだろうが、エビのフライだけなら実際にはそこまで辛くはない。

「これだけ写真が残ってたら、中華料理回ができそうね」

「ホントですか? 一回分、ネタが浮きましたね」

「うん、助かるわ。ネタや写真のストックなんて、たくさんあって困るもんじゃないからねえ」

 取材とはいっても、ただの自腹の飲みである。動画で収益があるわけでもない以上、取材を行えば行うほど赤字になっていくことになる。

 もちろん、居酒屋や飲食店で飲むこと自体は趣味なので散財を厭うところではないが、時間もお金も無限にあるわけではないのだ。

「まあ、刀削麺を食べられるお店なんてそう多いわけじゃないし、あらためて取材で行きたいって思いはあるけどね」

「はい、美味しかったですよね、刀削麺。確か、ネギチャーシューと担々麺風のをお互い頼んでシェアしたんですよね」

「違うわよ。わたしはもうお腹いっぱいだって言ってるのに、二人分頼んでさくらさんがほとんど全部食べちゃったのよ」

「……そうでしたっけ?」

「わたし、どっちも一口ずつ食べただけよ」

「……あれ?」

 真顔で首を傾げているあたり、さくらの中では「一杯ずつ一緒に食べた」ということになっているのだろう。逆に言えば、そのくらい当たり前なこととしてその量を食べている、ということでもある。

 ――動画では、もっと誇張して大食いキャラにしてもいいのかなあ……。

 苦笑を浮かべつつ愛すべき相棒を見やって、それにしても現実はすぐに創作の世界を飛び越えていくんだよなあ、と明美はため息を吐くのだった。

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