居酒屋ほろのみ実況録

おかざき登

第1話 イカの姿造り

「それじゃ、乾杯」

「シリーズ完結、お疲れ様でした」

 明美とさくらは、日本酒で満たされたお猪口とビールが並々入ったジョッキをコツンと触れさせた。

 二人がよく行く居酒屋のカウンター席である。

「いつの間にか続刊がなくなるのも珍しくないご時世、ちゃんと完結できたのはマシな方だけど、実質的には売り上げ不振による打ち切りだもの、喜べないわよね」

 苦笑交じりに言って、明美は日本酒を口に含んだ。

 好きなはずの日本酒も、今日はいつもほど美味しくは感じられない。

「わたくしも、これで定期的な絵のお仕事は全滅です……」

 さくらもビールをあおってため息を吐いた。

 杵築明美は小説を書くことを生業としている。

 空野さくらはイラストを描くことを生業としている。

 これまで何度も本文とカバーや挿絵という形で一緒に仕事をしてきた二人が、また一つ仕事の終焉を迎えた打ち上げというか、お疲れ会というか、反省会のようなことを二人で始めたというわけだった。

「この業界も、どんどん世知辛くなってるもんねぇ。初版部数もどんどん下がってるし」

「お仕事のお話を頂いても、わたくし程度だと足下を見られて、赤字にしかならないような額を提示されることも増えた気がします」

「売れてる人は違うんだろうけどね。ああ、売れっ子になりたい……」

「ホントに、なりたいです……」

「読んでくれた人の感想とか、評判は悪くないんだけどねぇ」

 話自体も、カバーや挿絵も、ネットでエゴサーチする限りでは好評だったりする。それなりに長く続けている二人には、固定ファンも付いている。

 しかし、そこからなかなか広がらない。

「どうやって新しいファンを獲得するか、ですね」

「そうなのよね。新規層にどう情報を伝えて、どう興味を持ってもらうか、これに尽きるのよねぇ……」

 そんなところに、顔なじみの店員が料理を運んできた。

「どうしたんです、暗い顔して。はい、イカの姿造り、お待たせしました」

 二人の前に、大きなイカを丸々一杯分使った刺身が舟盛りで置かれた。

 透き通ったイカが細く切られながらも、元の形を組み立てるように置かれ、大根のツマや大葉、小さな黄色い菊の花で彩られている。

 イカの姿造りは、この店の名物メニューである。そこまで高いわけではないが、価格は時価で、仕入れ次第では「今日はありません」と言われることもある、店のこだわりが詰まった逸品である。

「ゲソはあとで天ぷらかフライにしてお出ししますけど、どっちがいいです?」

「あ、どうしよっか。わたしは日本酒飲んでるから天ぷらがいいけど、さくらさんはどう?」

「わたくしはどちらでも。天ぷらでもビールで美味しく頂けますし」

「はい、じゃあのちほど天ぷらでお持ちしますね」

 店員が去って行く。

「いつ見ても壮観よね、この店のイカの姿造り」

「はい。あ、写真に撮ってSNSにアップしましょう」

 そう言って、さくらはスマートフォンを取り出した。

「あ、待った。いえ、撮るのはいいんだけど、呟くの待って!」

「はい?」

「いや、わたしもフォローしてくれてる人たちに楽しんでもらえる書き込みをしなきゃ、とか思って写真をアップしたりするけど、そこに限界を感じてもいるのよ。なんていうか、広がりがないっていうか」

「まあ、こういう写真でちょっとくらいバズっても、ファンの獲得には影響してないように見えますよね。上手い絵描きさんだと、関連する絵をガンガン上げて人気を取ったりしてるみたいですけど……」

「さくらさん、丁寧に仕事するから、毎日絵を上げるとかしんどいよね」

「そうなんです」

 なんであれ、仕事が早いのは強みだが、創作の速度はDNAに刻まれた何かに起因している、と明美は思っていた。デビューまでにある程度の訓練を積めば、すぐに速度は頭打ちになる。そこから先は、何かを犠牲にしなければならない。

 クオリティか、実生活か、健康か。いずれにしても、無理をすることになり、ろくなことにならない。

「でも、SNSにイカの姿造りの写真を上げないで、どう使うんですか?」

 そう訊きつつも、さくらはイカの姿造りをスマホで写真に収めた。

「うん、ずっと、何かできることないかな、って考えてて、動画とか作れないかな、って思ったんだよね」

「動画? このイカで?」

「うん」

 うなずきつつ、明美はさくらのと自分の醤油皿両方に醤油を注いだ。

 そして細く切られたイカを数本、醤油皿に取り、わさびを載せて口へと運んだ。

 新鮮で透明なイカは、クニクニ感よりさくりと歯を立てれば切れるような食感が楽しい。淡泊でありながらも噛むほどに味が出るイカは、日本酒と合わせるには最高の肴である。

 干したり燻製にしたり漬け込んだりすれば旨味の塊のようになるのに、こうして刺身で食べるとあっさり淡泊なのだから、不思議な生き物である。

「グルメものって、時代に左右されずに一定の需要があると思うの。幸い、わたしもさくらさんも居酒屋で飲むの好きだし、どうせお金を使うなら有効に活用できないかな、って思って」

「え、でも、顔を出すのはちょっと……」

「出さない出さない」

 明美は笑って首を横に振った。

「文章書きと絵描きが顔出ししたってしょうがないじゃない。絵よ。さくらさんの絵と料理の写真で画面を構成して、わたしが話を書いてお話にするの」

「えっ、そんなこと、できるんですか?」

「まあ、たぶん。動画の制作とか編集の仕方についてはこれから勉強しなきゃだけど、今はほら、ボイスロイドだっけ? 文章を入力すれば声優さんの声で読み上げてくれるソフトもあるし」

「それは、とても面白そうですけど、明美さんの負担が多すぎませんか……?」

「そう? まあ、実際にやってみて、どう分担するかは調整していけばいいと思うし、言い出したのはわたしだから、多少はね?」

「じゃあ、他のお料理やお酒も写真に撮っておいた方がいいですか? あ、動画なら映像の方が……?」

「うーん、どういう動画にするかまだ決まってないからなんとも言えないけど、撮影だけでもしておけば何かに使えるかもね」

「いざとなれば絵の資料にするから、無駄にはなりませんけど」

「うん、そのくらいの気持ちでいいと思う。わたしも、味の感想とかメモを取っておいた方がいいかもなあ」

「スマホのカメラの解像度で大丈夫でしょうか……?」

「最初からそこまでの投資はちょっと躊躇しちゃうよね。ホントは、スマホより性能のいいちゃんとしたカメラも欲しいところだけど、わたしたちの技術じゃ高性能なのを買っても使いこなせないかもしれないし」

「資料撮影用にデジカメは持っていますけど、最近はあんまり使ってないんですよね。型が古いんで、スマホのカメラと性能的に大差ないというか、持ち運びやデータの共有とかを考えるとスマホの方が断然便利で」

「今のスマホ、どんどん性能がよくなってるもんね」

「そうなんです。数ヶ月前にスマホを最新機種に買い換えたら、これはもうデジカメは持ち歩かなくてもいいかな、って」

「あ、買い換えたんだ。いいなあ。じゃあ、さくらさん、撮影係、これからもお願いしていい?」

「はい、そのくらいならもちろんです。あとで写真も共有できるストレージを作っておいた方がいいですよね」

「話が早くて助かるー」

 ええと、と言いながら、さくらはメニューを手に取った。

「何か他の肴も頼んでおきます? どんな動画にするにせよ、ネタも素材も多い方がいいでしょうから、何品か写真を撮っておくのがいいと思うんです」

「え、まだこんなにイカがあるし、ゲソの天ぷらも来るし、ここまで結構いろいろ食べてるけど、まだ食べるの?」

「はい、だって、鶏の唐揚げって別腹なところがあるじゃないですか」

「えぇ……」

 一緒に飲みに来る度に明美は思うのだ。

 このおっとりとした小柄な美人の胃袋は、いったいどうなっているのだろうか、と。

 もちろん、その食べっぷりの気持ちよさも込みで、明美はこの友人と酒を楽しむ時間を大いに気に入っている。

 そして、その時間を有効活用する動画作成の企画が、こうしてひっそりと立ち上がったのだった。

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