第2話 牡蠣とほうれん草のソテー

 さくらのPCに明美からのメールが届いたのは、翌日のことだった。

 普段は砕けた口調で話す明美だが、メールの文面はお手本のようなビジネススタイルでお堅い感じである。

 内容としては、「使用したいと感じたボイスロイドをいくつかピックアップしたので、添付した資料や参考になりそうな動画を見ておいてくれ」というものだった。

 すごいなあ、とさくらはため息を吐いた。

 マイペース型だと自覚しているさくらには、この突き進んでいくような明美の行動力が眩しく見える。次々にアイデアを出して、企画を出して、こうしてすぐに実行のために一歩目を踏み出す。一緒に仕事をするときは、いつもこんなふうに、巻き込まれるようにして引っ張っていかれるのだ。

 どちらかといえば、さくらにとっては苦手に分類されるタイプである。自分のペースを乱してくる相手は、基本的にマイペース型にとっては敵なのだ。

 そういう人間とはなるべく距離を取るようにしてきたさくらだったが、明美だけは妙に馬が合い、仕事を抜きにしても付き合いが続いている。

「明美さんのことだから、後回しにしても怒らないだろうけど……」

 どんどん突き進むタイプの明美だが、さくらにまで同じ速度を求めることはない。むしろ、「無理しないで自分のペースで一番いい仕事をして」と言ってくれる。仕事以外でも、別にさくらに合わせてくれるわけではないが、さくらにも合わせることを要求しない、というのが明美の性格だった。


 それから二日。

 また、同じ店で落ち合い、さくらと明美は同じカウンター席に座っていた。

「ラフ、こんなに早く描いてくれてありがとう。急ぎすぎてない? 他のお仕事とか、影響出てない?」

「大丈夫です。もうデザインされているキャラをささっとアレンジしただけですし」

 明美が使いたいと言ってピックアップしてきたボイスロイドには、製品ごとにキャラクターが設定されている。

 もちろん、それを無視して声だけを使う選択もありうるだろうが、そのキャラクターにもファンが付いており、明美としてはその人気にもあやかりたいらしい。

「それでね、コンセプトなんだけど、『ボイスロイドの女の子が一人でお酒を飲みにいく』って内容にしようと思っていて」

「え? でも、最終的にこれにしようって決めたボイスロイドは二体いましたよね? ラフも二体分描きましたけど」

「うん。ほら、わたしは日本酒と魚介類が好きだけど、さくらさんはビールやハイボールでお肉系の方が好きでしょ?」

 明美が言うように、今日も、さくらが最初に頼んだ飲み物はハイボールだ。そして、明美が頼んだのは〆張鶴の吟撰という日本酒である。

「だったら、担当を分けるっていうか、別のキャラとしてそれぞれの好みを担当してもらうのがいいかな、って」

「でも、それなら二人出して会話させた方がいいんじゃないですか?」

「それも考えてるんだけどねー。画面上の構成とか、いろいろ考えてる途中だから、そうなるかもしれないけど」

「あ、そういえば、二人とも使うってことは、ボイスロイドも二つ買わないといけないんですよね」

「そうなるね。まあ、そのくらいの初期投資は構わないけど、いきなり初心者が欲張ってもろくなことにならないから、まずは一人を使って作ってみる、ってところからかな」

「なるほど……」

「まあ、それはそれとして、使うお酒や肴の画像はストックできるだけしておきたいわよね。撮ったら撮っただけ武器になるわけだし」

 言いながら、明美は壁に掛けられているホワイトボードに目をやった。そこには『本日のオススメ』が所狭しと何品も書いてある。

 どれにしようかなー、とホワイトボードを眺める明美の脇で、さくらも撮影に備えてスマホを取り出した。

 と、そんなところに、この店の責任者の一人である高齢の女性が通りかかった。

「あら、いらっしゃい。今日もお仕事のお話?」

 細身の、とても上品な老婦人である。店の名前が入ったエプロンを着けていなければ、戯れに庶民の居酒屋に訪れた老貴婦人に見えたかもしれない。

「あ、ママさん、お邪魔してます」

 ぺこり、とさくらは頭を下げた。

「ママさん、今日は何か面白いメニューってあります?」

 明美が訊いた。

「そうねえ、イチジクの揚げ出しなんてどう? 他のお店ではあんまりないメニューだと思うけど」

「うーん、さすがに攻めすぎのような……」

 明美が苦笑する。

「揚げ出しならカキもあるわよ」

「あ、牡蠣の揚げ出しとか、すごく美味しそう」

 きっと揚げ出しなら、日本酒だけでなく、ハイボールでも美味しく食べられるだろう。

「待って、さくらさん。ママさん、その揚げ出し、まさか果物の柿を揚げてたりなんてことはない……? そこのホワイトボードにはカタカナで書いてあるけど」

 明美に問い詰められて、ママさんはにっこりと優雅な笑みを浮かべた。

「オイスターの方の牡蠣も入ってるわよ、入ってないとさすがに怒られちゃうもの。でも、果物ってお料理に使っても美味しいのよ」

 上品な微笑みが、イタズラっぽく変わる。

 そして、さくらと明美は顔を見合わせた。

「なんでそういう攻め方をするかなあ」

「まあ、お店で出す以上、きっと美味しいんだとは思いますけど……」

「ネタとしては面白いけど、さすがに最初はもう少し一般的に美味しそうな食べ物の方がいいかなー」

「だったら、揚げ出しじゃないけど、牡蠣とほうれん草のソテーなんてどう? 二人とも一人暮らしでしょ? お野菜もちゃんと食べないとダメよ」

「あ、それ美味しそうね」

 明美の言葉に、さくらもうなずいた。

「はい、じゃあ、牡蠣とほうれん草のソテーね」

 早速、ママさんが伝票にペンを走らせ、注文をカウンターの向こうの調理場に伝えた。

「この店、なんかへんなところで茶目っ気があるよね」

 仕事に戻っていくママさんの背中を見やりながら、明美が呟く。

「基本的にちゃんと美味しいから、許されるんですよ、きっと」

 この店に二人が通っているのは、当然ながら料理が美味しいからだ。しかも、ときおり見かける妙なメニューも普通に美味しかったりするのだ。

「先に定番ものの写真が欲しいから、そういうのも頼んでおこっか。塩辛とか、お刺身とか、あ、アジのなめろうとかも」

「ビールやハイボールの定番なら、枝豆とか唐揚げとかですかね?」

「そうそう、そういうの。今使わなくても、いずれ絶対に使うから」

「なんだか、食べたいかどうかより必要かどうかで頼むものを決めるっていうのも新鮮ですね」

「原則、食べたいもの優先でいいと思うけどね。義務になっちゃうと楽しくなくなっちゃうから」

 そんな話をしているところに、牡蠣とほうれん草のソテーが運ばれてきた。

 鮮やかなほうれん草の緑色の中に、大粒の牡蠣がいくつも混ざっている見た目には飾り気もないが、火を通す前にまぶされた片栗粉が薄い衣のようになっており、少しの焦げ色と調味料の味を吸った色合い自体が食欲を刺激する。

「これは美味しそうですね」

 言いながら、さくらは牡蠣とほうれん草のソテーをスマホで写真に収めた。写真の善し悪しは今ひとつわからないので、角度や大きさを変えて、何枚か撮っておくことにする。

 ――なるべく料理に近づけて、画面一杯に収めた方が見栄えはいいかな……?

 写真一つとっても、試行錯誤が続きそうである。

「あ、美味しい。やっぱり牡蠣って火を通した方が美味しいよね。えっと、プリプリで、なんていうのはありきたりかなあ……」

 ブツブツ言いながら、明美も自分のスマホを取り出して、どうやら感想をメモっているらしい。

 さくらも、牡蠣とほうれん草を一緒に箸でつまみ、口に入れた。

 大きな牡蠣は、火が通っても張りとみずみずしさを失っていない。噛めば適度な弾力があり、濃厚なエキスが飛び出してくる。

 その味が柔らかいほうれん草の食感や甘さと相まって、口の中が幸せになる。何より、身体にいいほうれん草もしっかり食べているという事実が心にも優しい。

「これ、美味しいですね。牡蠣って炒めものとかにもいいのかもしれません」

「ねー。牡蠣は生もフライも牡蠣単体でシンプルに、っていうイメージだけど、他の素材と合わせてもこんなに美味しいんだね」

 うん、とさくらもうなずいた。

 この美味しさを、動画というのはどのくらい伝えられるのだろう。

 きっと、伝わる度合いが増えれば増えるほどに、見てくれる人にも楽しんでもらえるのだろう、と思いながら、さくらはハイボールを一口飲んだ。


 翌日、さくらは一人分のキャラクターの絵を表情の差分など、明美の指定通りに仕上げ、メールに添付して送った。

 明美の手によって動画がネット上にアップされたのは、さらにその翌日のことだった。

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