第3話 山芋のフライ
一晩で一五〇〇回再生というのは、果たして多いのか少ないのか。
朝、起きるなりPCをチェックして、その数字に明美は首を傾げた。
初めてのことで右も左もわからない。とはいえ、まったく反応がないことさえも想定していたのだから、少なくとも、最悪のスタートだけは避けられたのだろう。
いずれにしても、こうして明美とさくらはスタートを切ったのだ。
「見ましたよ、明美さん」
翌日の夕方、いつもの居酒屋で落ち合うなり、さくらは言った。
「すごいですね。もう三〇〇〇回以上再生されてるじゃないですか」
「うーん、どうなんだろうね。なんだかんだいって、地味な動画でしょ? 動かないキャラクターが喋って、料理やお酒の写真を紙芝居みたいに入れ替えるだけだし。すぐに飽きられないといいんだけど」
明美も文章のプロである以上、少しでも面白くなるように、と気は配っている。しかし、読んでもらうための文章と、読み上げて聞いてもらう文章ではかなり違うのだ、と動画を作りながら強く実感していた。
「わたくしは、グルメ系エッセイみたいで面白いなって思いましたけど」
「ありがと。身内にでも、そう言ってもらえると自信が出てくるわ」
いえいえ、と言いながら、さくらが明美のとなりに座る。座るなり、さくらは目ざとく明美の飲み物に気がついたようだった。いつもは日本酒派の明美が、生ビール(中ジョッキ)を頼んでいることに。
「珍しいですね、今日は日本酒じゃないんですか?」
「あ、うん。ほら、企画上、ビールとかハイボールに合う肴もまんべんなく取り上げた方がいいでしょ? 今日はそっちの画像ストックを増やしたいなって思って」
「なるほど。じゃあ、わたくしも鶏の唐揚げを頼んでいいですか?」
「もちろん」
「では、すみません」
さくらは馴染みの店員に声をかけて、
「ハイボールを。それと、鶏の唐揚げと、鶏の唐揚げおろしポン酢をくださいな」
と注文を告げた。
「え、両方頼むの……?」
「はい。だって、サッパリ食べられるものも欲しいじゃないですか」
「それが唐揚げである必要はどこにもないと思うんだけど……」
そう言いつつも、そういえばこういう人だった、と明美は苦笑した。
「さくらさんって、大根おろしとかポン酢とか梅肉とか大葉とか、そういうのが加わると揚げものの油分は無視して『サッパリ系』って言いそうよね」
「え? 違うんですか?」
皮肉交じりの冗談のつもりが、真顔で首を傾げられてしまい、明美は敗北感にも似た脱力感に苛まれるのだった。
二種の唐揚げも運ばれてきて、二人は改めて、
「動画作り、お疲れ様でした」
「いえいえ、指定通りのイラスト、表情差分まで描いてもらっちゃって、ありがとうございました」
と、ジョッキとグラスをコツンとぶつけた。
「わたくしはいつもの仕事と同じで絵を描いただけですけど、明美さんは初めてのことだらけで大変だったんじゃないですか?」
「いやぁ、一度ソフトの使い方がわかっちゃえばそんなでもないかなー。最近はフリーソフトもすごくよくできてるし」
「すごいですね……。わたくしなんか、そういうのはさっぱりで……。同業者の人には、口や表情を自動で動かすツールに対応したイラスト素材の配布の仕方とか、一度教わったことがあるんですけど、ちんぷんかんぷんで」
「へえ、そんなのもあるんだ。言われてみれば、イラストの表情がアニメーションしてる動画とか、結構あるような気も」
「ごめんなさい、あのときちゃんと覚えておけば、今回の絵もそうやれたのに」
「いやいや、いきなりそれをやるのはわたしも無理だったと思うから。それに、口や目が動いてることが再生数の決定打にはならないでしょ」
「だといいんですけど……」
「せっかく始動したのに、そんなところで落ち込まないでよ。ほら、食べよ」
そう言って、さくらの方へと唐揚げの皿を押しやり、明美も一つ、箸で唐揚げを持ち上げて口に運んだ。
揚げたての熱さと、衣のサクサク感がたまらない。その内側にある鶏肉もジューシーで、生姜とニンニクが香る味付けもついつい箸が伸びる美味しさだ。
「美味しいですよね、このお店のの唐揚げ」
さくらも笑顔で唐揚げを頬張り、ハイボールをごくごくと飲んでいる。
少しホッとして、明美も口の中の油をビールのシュワシュワ感で洗い流した。ほろ苦いビールの風味が、油のしつこさをリセットしてくれる。
「まあ、書いて終わりじゃないから、ちょっと面倒は面倒だけどね。特に、声を作るのが手間かなー」
「ボイスロイド、でしたっけ?」
「うん。音声ソフト、そこそこいいお値段だからすごくよくできてるんだけど、どうしてもときどき読み方やイントネーションがおかしくて、そういうのは手動で修正しないといけないんだよね」
「あ、そういえば、ボイスロイドを使ってる動画で、ときどき変な読み方してたりするのをみかけますよね」
「あるね。一回作ると、気持ちはわかるよ。文章流し込んで、一気に読ませて、それで保存して終わり、で済むなら超楽だもん」
「明美さんには、そういうことはできませんよね」
「うん、そうね、無理。言葉にこだわりが持てなくなったら、物書きとしては終わりでしょ」
明美は即答して、今度はおろしポン酢の唐揚げをかじった。
唐揚げ自体が美味しいのだから、相性のいい食材を合わせて味を変えた料理が美味しくないはずがない。サッパリとしていても、唐揚げは唐揚げなので、当然、ビールとの相性は抜群だ。
ですよねえ、と言いながら、さくらが唐揚げを食べる手は止まらない。すでにノーマル唐揚げは、そのほとんどがさくらの胃袋に収まってしまっている。
「もう唐揚げがなくなっちゃいますね。次の揚げものを頼みましょう」
そう言って、さくらは「すみませーん!」と手を上げて店側に注文の意思を伝えた。
「はいはい、ただいま。あら、いらっしゃい」
さくらの呼びかけでやってきたのは、この店のママさんだった。
「ねえ、もしかして、うちのお料理を動画? っていうの? インターネットに載せたのって、貴女たち?」
明美とさくらはハイボールを噴き出しそうなくらい驚いて、顔を見合わせた。
「え、ママさん、動画サイトとか見るんですか?」
意外そうな顔で訊いたさくらの質問には、明美もまったくの同意見だった。そもそも、ネットを使っているという印象自体がまるでない。
「まさか。バイトの子がね、この動画のお皿とテーブルの感じ、うちの店じゃないですか、って見つけてきたのよ」
なるほど、とうなずいて、明美は「実は」と経緯を話し、勝手に料理の写真を使ったことを謝罪した。
「あら、別にいいのよ。お料理の写真をインターネットに載せるの、今は普通にみんなやってるでしょう? 悪く言われたわけでもないし。でも、ほら、どうせならお店の名前も出してくれたらいいのに、ってね、思うじゃない?」
ママさんが怒らず笑ってくれたことには胸を撫で下ろしたが、そう言われてしまっては、明美としても、
「あ、はい。じゃあ、次からはお店の名前も出させてもらいますね」
と答えるしかない。
「あら、なんだか無理強いしたみたいでごめんなさいね。それで、追加のご注文だったかしら?」
「はい。山芋のフライをください。あと、明美さんにビールのお代わりを」
「あ、気を遣わせちゃってごめん」
「いえいえ。明美さん、お酒強いから飲むの早いですもんね」
「山芋フライと、中生ね、はいはい」
ママさんは伝票に書き込み、カウンターの奥の調理場に伝えながら仕事に戻っていった。
「いやー、こんなにすぐに身バレするとは……。顔を出してるわけでもないのに」
「ネットの怖さを再確認しましたよね。悪い人たちじゃないからいいですけど……」
「そうねよね。わたしたちの場合、知名度も欲しいからまったく相手にされないのも困るけど、写真のちょっとした情報から何がバレるかわからないし、これからはもっと注意しないとね」
やがて、頼んだ山芋のフライが運ばれてきた。
普通のフライドポテトより分厚くカットされた山芋が薄い衣を纏い、数本。その脇には、明太子とマヨネーズをベースにしたピンク色のソースが添えられている。
その特製ソースを絡めてかじれば、熱々ホクホクの食感の中、中心部にはほんのりと山芋らしいシャキッとした歯応えと粘りが残っている。
そこに明太子の辛みと風味、マヨネーズの塩気と酸味が加わることで、山芋の甘さが何倍にも引き出される。
「これ、すごいね。フライにしてこんな濃いソースつけても、山芋の味わいがぐわーって来るんだもん」
「はい。刻み海苔とお醤油で食べるサッパリの山芋と、同じ素材なんだってことがしっかりわかる味わいですよね。それでも、揚げものとしても明太子ソースの濃い味でも、ビールやハイボールとの相性をちゃんと手に入れているという」
その通りだ、と明美はうなずいた。簡単に作っているように見えて、どんなソースと合わせるか、という部分までしっかり計算されているのだろう。
「きっと、写真もこの山芋みたいなものなんですよね」
山芋のフライをかじりながら、さくらが言った。
「え?」
「どんなに加工しても、少しくらい気を遣っても、本質が変わらない以上、きっとわかる人にはわかっちゃうんですよ」
「まあねー」
お店の人にダイレクトに見られてしまえば、そりゃあわかってしまうのだろう。
――今後は、そういうことも考えながらやらないとなあ。
そう考えながら、明美は冷たいビールを喉に流し込んだ。
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