第18話 ホルモンのクセ
評判のいい店は、接客や雰囲気がいい傾向は共通だが、『少し高くてもとても美味しい店』と『美味しさはそこそこだが安くてコスパのいい店』の二通りがある。
明美たちがいつも行く居酒屋はどちらかといえば前者に分類されるが、そこでだって後者のタイプの店の話は出てくるものだ。
「なるほど、こういう感じの店かー」
入り口のたたずまいを見るなり、「うんうん」とうなずきながら明美は言った。
「わたくし、あのお店で話を聞かなかったら、一生入らなかったと思います」
「まあ、確かに女子受けはしなさそうだし、入りにくさはあるよね」
ホルモン系の料理がメインの、いわゆる大衆酒場である。
いつもの店で評判を聞きつけて、早速やってきた、というわけである。
年季もさることながら、見た目にこだわっていないどころか無頓着で、掃除なども最低限しかやっていません、とでも言いたげな印象の店だった。しかし、まだ開店間もない頃の時間なのにすでに賑わっており、外からでも活気が感じられる。
入ってみれば、目に付くのはチープなテーブルにスツールと呼ぶのもためらわれるシンプルな丸椅子。床も少し油っぽい気がしてしまう。
客も大半はスーツ姿のおじさんたちで、アウェー感がものすごい。さくらが言う「一生入らなかった」という感想は決して大袈裟ではなかった。
「じゃあ、打ち合わせ、始めよっか」
わざと大きめの声でそう宣言して、明美はカウンターの隅の席に座った。
多くの酒飲みは礼儀も節度もわきまえているものだが、中には女性と見るや口説きに来るような酔客もいる。
特に、さくらのような外見も内面も大人しめの子は遭遇率も高いらしく、さくらに言い寄る酔っぱらいを明美があしらったり追い払ったりということも過去には何度かあった。そんな経験から、『大事な話をしてるから近寄ってくんな』というアピールをしておく、という予防線を張るようになった。
「明美さん、何を飲みます?」
「こういうお店だとホッピーかなあ」
「ホッピー……? っていうのは、ないみたいですね」
「え、マジで? うーん、まだ飲んだことないから飲んでみたかったんだけどなあ。廃れちゃったのかなあ。東京から少し外れると少なくなるのかなあ」
「ここ、焼酎ハイボールが特に安いですね」
「じゃあ、それにしよっかな。あとは串焼きを何本か頼むとして……」
「これ、美味しそうじゃないですか? ジャガバタ明太」
「おー、いいね。あと、モツのお店だし、モツ煮は頼まなきゃね」
「モツだけかと思ったら、結構いろいろあるんですね」
店の壁に掛けられたホワイトボードには、『肉入りオムレツ』『鯛のかぶと煮』『ぶつ切り刺身盛り合わせ』などの文字が並んでいる。しかも、どれもいつもの店の相場から考えると二割から三割は安い。
この安さだけでも、この賑わいの理由がわかろうというものだった。
「でも、安いと刺身とかって不安にならない? 信用できるってわかってるお店なら安いほど嬉しいけどさ」
「あ、わかります。当たり外れが大きそうって思っちゃいますよね」
「まあ、高くて外れたときが一番ダメージ大きいけど」
「二度と行かない案件ですよね、それ」
「うん。だから、きっとママさんはマグロにこだわったりするんだろうねー」
やがて、注文した酒と料理が運ばれてきた。酎ハイと、串焼きの盛り合わせ、ジャガバタ明太、そしてモツ煮。
二つに割って焦げ目が付くくらい焼き、焦げ目が付いたジャガイモに、明太子とたっぷりのマーガリンが添えられている。チープさがあるのは否めないが、それも含めて、ホクホクの芋の熱さで溶けるマーガリンと、そこに合わせる明太子の塩気と辛みで味が引き締まり、安定のベストマッチである。
そして、熱い芋を食べたあとの口には、酎ハイの冷たさと喉ごしが美味い。
「これはあれだね。高級な料理にはない美味さっていうか、格安グルメだからこその味わいというか」
「あ、なんとなくわかります。どっちが上とか下じゃなくて、こういうのを食べたい、って瞬間、ありますよね」
そして、モツである。
「そういえば、ママさんに連れて行ってもらったお店でもモツ焼き食べたけど、やっぱりモツって独特の臭みがあるよねえ」
「そうですね。ここのお店はあっちよりキツめですね」
そう言いつつも、さくらはかなりクセが強めのモツ煮を美味しそうにバクバクと食べ続けている。
「わたくしは、このくらいクセが強い方が好きですよ。クセがなくて食べやすいモツも美味しいと思いますけど、物足りないって思う部分もあるんですよね」
「なるほど、確かに好みは分かれそうなところだけど」
明美もクセや臭いが強いものは嫌いではないし、酒の肴にするなら好きな部類ではあるが、モツに関してはさくらより穏健派であるらしい。
「このお店、安いのも人気の理由ですけど、この一般受けより好きな人向けのモツの仕上げ方も大きな人気の理由なんじゃないかな、って思います」
「そういうもんかなー。まあでも、わたしらの仕事も、動画も、このモツに見習わなきゃいけない部分もあるのかもしれないよね」
「どうしたって、まず最大公約数を探ろうとするようなところがありますよね」
「そうそう。たくさんの人に好きになってほしいもんね。でもさ、それって結局、特徴がない、ってことにもなりかねないわけじゃない」
「そういう作品はたくさんある、となると、埋もれちゃいますよね。だから、次に供給がないところを狙って独占できれば、ってみんな考えるわけですけど……」
「人気のジャンルや作風はどこも飽和してるからねー。とはいえ、いきなりニッチなところを狙ってもだいたい討ち死になんだけどね」
「狭いジャンルで人気を得てる人って、長年それを続けてきた人が多い印象がありますよね。ずっと細々やってきたことが評価された、みたいな」
「継続は力なり、とはよく言ったものね」
「ですね。わたくしたちの業界、特に同人界隈では顕著ですけど、やっぱりファン目線では『人気が出てきたジャンルに最近乗り換えた作家』よりは『人気がない頃からずっとそのジャンルでこだわってきた作家』を応援したい、みたいな気持ちはありますよ」
「それねー、ホントわかる。まあ、新参でも面白ければOKだし、なんなら大好きなあの先生にこのジャンル書いてほしいなー、とかもあるけどね」
「そう思ってもらえるクリエイターになりたいです」
「ねー」
うなずきつつ、明美は串焼きの軟骨を手に取り、口に運んだ。
これは豚の軟骨だろうか。少なくとも、鶏ではないことはわかる。
肉もたっぷりとまとわりついた軟骨の串焼きは、実に美味しかった。
コリコリとした食感は絶妙な歯応えで、しかも骨の周りの肉がたっぷりと付着している。その肉にしっかりと脂が乗っていて、美味い肉とコリコリした軟骨のいいとこ取りの一串なのだ。
これが、王道だろう。周囲からも、しょっちゅう軟骨を含めた串焼きを注文する声が聞こえてくる。
「継続したら、わたしたちがやってることも力になるのかな……?」
不安がないと言えばウソになる。
というか、不安しかない。
だから、そんな弱音が漏れて出る。
「さあ」
さくらは酎ハイのグラスを置いて、首を傾げた。
「それはわかりませんけれど、もししんどいなら、動画作り、わたくしの負担を増やしてくれてもいいですよ?」
「え、そういうつもりで言ったわけじゃないけど……」
「個人的には、人気とか評判とかも大事ですけど、何より続けたいなって思ってるんです。明美さんと飲みに来るのも楽しいですし、それが動画みたいな形になるのも面白いですし」
「うん、まあ、わたしもそう思うけど」
「だから、まずは、楽しく続ける、ってことを最重要と考えるべきだと思うんですよね。もちろん、お互い動画が仕事とかにつながったら最高ですけど、それはおまけくらいに考えて、ついてきたらラッキー、って思うべきだと思うんです」
――なるほど。
さくらが言わんとすることを理解して、明美は大きくうなずいた。
「ダメだねー、一回仕事にしちゃうと、どうしても効率とか費用対効果とか、小賢しいことに頭が行っちゃって。面白いとか、楽しいとか、それが出発点なのにね」
「そうですよ。だから、面白さよりしんどさが上回ったら、遠慮なくわたくしに作業を振ってください」
そう言って、さくらは再度グラスを持ち上げ、乾杯しよう、という雰囲気を目線で伝えてきた。
それに応じて明美がグラスを持つなり、さくらは自身のグラスをコツン、とぶつけてくる。
「あらためて、まだまだ続ける動画制作に、乾杯」
「乾杯」
良い友人を持ったなあ、と素直に思いながら、酎ハイを口に運ぶ。
「あ、そうだ。明美さん、せっかくだから二軒目行きませんか? ちょっと歩きますけど、お酒も出してくれるラーメン屋さんがあるんですよ」
「え、ちょ、結構食べたのに、ラーメンって……」
「大丈夫ですよ、軽い肴もありますから!」
「待って、そういう店なら、日を変えて取材した方が……」
そんなやりとりを繰り広げながら、酒飲み二人の酔いは深まっていくのだった。
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