第19話 ボツになる店
もう少しアジアみも欲しいのではないか。
そう言い出したのは、さくらだった。
明美の部屋で、動画の作り方についてのレクチャー中のことである。今のところ大きく作業分担を変えるつもりはないものの、最悪の場合に備えて、どちらも専門分野以外の作業についてはできるようにしておいた方がいいだろう、という判断である。
「和食ってアジアでしょ? あと中華も」
「あ、いえ、そうなんですけど、ほら、東南アジア系ってことですよ」
「ああ、そういう……。いわゆるエスニック的な」
「はい! フォーとかナシゴレンとかガパオとか!」
「本来は『エスニック』って『民族的な』って意味で、東南アジアに限定した言葉じゃないんだけどね」
「え、そうなんですか?」
「日本でエスニックって言えば、ほぼ間違いなく東南アジア風みたいな意味になるけど、本来はね」
「初めて知りました……」
「まあ、確かにこれまでの動画では取り上げてないジャンルよね。近くに良いお店がないか、ちょっと探してみよっか」
明美は動画編集用のフリーソフトを最小化し、ネットで地元の名前とアジア、エスニックなどのキーワードを打ち込んで検索をかけてみる。
「何軒かありますね」
「ねー。この辺り、飲食店はかなり多いから、わたしたちみたいな人間にとっては助かるよね」
「最寄り駅は結構いろんな線が交差してるのに、どういうわけか発展の仕方が飲食系に振り切れてますよね」
「ホントにね。あ、こことか良さそうじゃない? ベトナム料理屋さんだって」
「いいですね、美味しそう。あれ、でも、この通りにベトナム料理屋さんなんてありましたっけ……?」
「言われてみれば。ちょっと待って、店名で検索してみる」
詳しく調べてみると――、
「あ、このお店、二年前になくなってる」
「ですよね。その場所、今はラーメン屋さんですもん」
「他のお店だとちょっと遠いかな……? 一駅二駅だけど、電車に乗らないと……あれ、こっちのお店も潰れちゃってるみたい」
うーん、と明美はうなり声を上げた。
「この辺りだと、ベトナム料理とかタイ料理って人気ないのかなあ」
「実際、わたくしたちも好んで頻繁に食べに行く感じではないですけど……」
「そうね。印象としては、好きな人はドハマリする、みたいな感じよね」
「言い出しておいてなんですけど、近くにないなら諦めましょうか」
「アジアはアジアでも、焼き肉屋さんならそこそこあるけどね。実情はともかく、焼肉なら韓国料理ってことで」
「あー、焼肉、いいですね。そういえば、焼肉回ってやってませんよね」
「どうしても高くつくから、敬遠してたってのはあるよね」
明美はそう言って苦笑した。
居酒屋で飲むのだって安いわけではない。が、それでも美味しい肉を食べようと思えば、他の店では飲みもの込みのお値段を肉だけで覚悟しなければならない、という印象はどうしても拭えなかった。
しかし、焼肉というのは常に人気が高いごちそうである。高級な外食といえば真っ先に出てくるのは焼肉か寿司のどちらかを思い浮かべる人も多いだろう。
「焼肉で飲むビール、美味しいよねえ……」
「明美さんはマッコリかなって思ってました」
「あー、うん、マッコリもいいね」
そんな話を始めれば、もう完全に腹も舌も焼肉を求めて止まなくなってしまった。
「せっかくだし、新規開拓も兼ねて評判のいいお店を探そっか」
あとはもう、いつもの流れであった。
その店は、ずいぶんと年季が入った外観だった。
老舗と言えば聞こえはいいが、もう少し修繕なり補修なりできないものか、と明美は思ってしまう。
とはいえ、年季というのはそれだけ長く商売を続けられたという証拠であり、それだけの期間、愛され続けてきたという証明なのだ。
入ってみれば、内装も外観同様にだいぶ古ぼけて、椅子や壁など、ところどころガムテープで補修してある有り様だった。
とはいえ、肝心なのは味である。それ以外は、最低限でも構わない、というのが明美のスタンスである。
席に着いてメニューを開き、とりあえず二人して生ビールの中ジョッキと、タン塩、ロース、カルビの基本的なところを注文する。
店員が卓上ロースターに火を入れていくのを脇目に見つつ、店内を見回してみる。まだ夕方、開店直後の時間帯とはいえ、他に客はいない。
ネットでの評判はかなりよかったので、早い時間帯とはいえガラガラなのはかなり意外である。
少し不安になり始めて、明美は、
「口コミサイトだけじゃなくて、もう少し調べた方がよかったかな」
と呟いた。
「まあ、若干不安ではありますけど、食べてみてからですよ」
「まあね」
やがて、頼んだ飲みものと肉が運ばれてくる。
その肉を見て、明美の不安はますます深まった。サシが入っていればいいというモノではないが、あまりいい色には見えず、量も少ない。
焼いてみて、食べてみて、「ああ、やっぱり……」と明美は深いため息を吐いた。
肉が固い。無論、固くても美味い赤身系の肉だってあるが、そういう次元ではない。カルビも脂が少しクドい。
不味いとまでは言わないが、これなら近所のスーパーで買ってきた肉をホットプレートで焼いても大差はない。これでせめて量が多いなら、値段のわりにたくさん食べられる、という美点になるのだが、そういうわけでもない。
――これは、外れを掴んじゃったなあ。
どうやらさくらも同じ感想だったらしく、目で「追加注文はなしで」と語りかけてきていた。
頼んだ分を食べ終えて店を出て、やれやれ、と二人は肩を落とした。
新規開拓にはこういうリスクが常につきまとう。こればかりは、どうしようもない。
「なんでこれで評価が高かったんでしょう……?」
「さあ……。最近はお金で評判を操作してるサイトもあるとか聞くし、もしかしたら昔と味が変わったとか、何かあったのかもね」
しかし、どんな事情があれ、先ほどの店には良さを見出せなかった。それがすべてである。おそらく、何かよほど特殊な事情が発生しない限り、明美があの店に行くことはないだろう。
「そういえば、一応お肉の写真は撮りましたけど、動画にします……?」
「うーん」
明美は腕を組んで少し考えこんだ。
「新規開拓に失敗した話って、需要あるのかな……」
「さあ、どうでしょう……」
「個人的にはさ、お店の良いところをピックアップしていきたいんだよね。ほとんどのお店は名前を出してないけど、たぶんその気になれば探せそうじゃない」
「いつものお店、ママさんの要請でお名前出しちゃってますもんね。そこを起点に近くのお店から当たっていく、みたいなことをやれば、見つけることも可能かもしれません」
「うん。まあ、それは別にいいんだけど、だからこそ、お店を否定するだけの動画はあんまりやりたくないかな。もちろんウソをつく気はないけど、極力良いところを探していきたいっていうか」
「良いと思ったお店に二回目に行って、ダメなところが見つかったらどうするんです?」
「いや、それはハッキリ言うよ。このお店は、いいところもあるけど、これはダメかも、って」
「あー、なるほど。まずは良いところを見つけてから、ってことですね」
「そうそう。だから、今回はボツかなあ」
「ですねぇ」
なんとなくモヤモヤしたものを抱えて、そんな会話を交わしながら、夜道を歩く。
「……飲み直します?」
「そうね。いつもの店にしよっか。さすがに二連続で外れを引いたらショックが起きすぎるし」
「ですね」
量が少なかったわりに、妙に口の中を脂っこくしてくれた焼肉の口直しに、美味い刺身と日本酒というのも悪くはないだろう。
こういうとき、絶対に外れない行きつけがあることがとても心強い。
あるいは、胸を張って知り合いを連れて行ける店を知っている、ということは一つの財産とである、と言っても過言はないだろう、とも。
そういう店が動画作成を通じて増やしていければいいな、と明美は思うのだった。
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