第20話 醸造所のビール
暑くなってくれば、ビールを飲む機会も増えてくる。
明美は一年を通して日本酒を飲むことが多いが、それでも、暑い日には「まずはビールにしようかな」と条件反射的に思ってしまう日も増えてくるというものだ。
「ビールにもさ、いろいろあるじゃない」
「ドライとか何番搾りとかプレミアムとか、そういうのですか?」
「まあ、各メーカーがいろいろ出してるのもそうだけど、知り合いにクラフトビール好きでご当地を飛び回ってる人がいるのよ」
「クラフトビール……ああ、地ビールですか」
「そうそう。なんかすごく美味しそうだし、楽しそうだな、と思って」
「わたくしも、ビールは好きですけど、あんまりクラフトビールって飲んだことないんですよね」
「お、じゃあ、近場に飲めるところがないか探してみる? わたしもよく知らないから、完全に手探りになるけど」
「面白そうですね。動画のネタとしても興味深いですし」
「そういうこと」
こうなってしまえば、話は早いのがここのところの明美とさくらなのだった。
ネットで調べてみれば、最寄り駅のすぐ近くに小さな醸造所があり、そこに併設されたビアバーで造ったビールを飲むことができるらしい。
その店に足を運んだ二人は、早速、入り口側のカウンター席に陣取った。そこなら、店員がビールを注ぐ様子を目の前で見られるから、というのが大きな理由である。
「エール、ホワイト、ブラック……」
地元の地名の下に、そんな単語がついたビールをここでは造っているらしい。
エールは柑橘系の香りと鮮烈な苦みが特徴的な大人の味。
ホワイトは、バナナやマンゴーのような濃厚な甘みの豊かさ。
ブラックはまるでコーヒーのような焙煎の香りが高い味わい。
そのどれもが、有名大手メーカーのビールしか知らなかった明美とさくらには衝撃的な美味しさだった。
「びっくりしたわ。ビールの概念が覆るわね」
「はい。このホワイトなんて、とっても甘くて、カクテルだって言われたら信じちゃいそうです」
驚く二人に、カウンターの中から若い店員が笑った。
「どうしても日本ではラガータイプが主流ですから、初めての方はみなさん驚かれるんですよね」
聞けば、ビールにも様々な種類があり、地域や醸造所ごとにワインや日本酒に負けない多種多様な個性を持っているのだという。
「じゃあ、ワインで言うマリアージュみたいな、相性の良い組み合わせとか、そういうセオリーみたいなのもあるんですか?」
明美の質問に、店員は「もちろん」とうなずいた。
「いろいろありますが、一番わかりやすいのは『色で合わせる』というやり方ですね。もちろん例外はあるんですが、例えば淡い色のビールには白やそれに近い淡い色の食材やソースを合わせ、色の濃いビールには黒やそれに近い食べ物を合わせる、というものです」
「白い食品……チーズとか豆腐とか?」
「チキンもお肉の色としては白くなりますよね、火を通すと」
「黒系の食品ってなんだろ。焼いたお肉とか?」
「黒まで行くと焦げちゃってますけど、たぶんビールの文化圏で黒系だと、そうなんじゃないかなって思います。海苔とか想定しないでしょうし」
「まあ、そうね。考え方そのものは、ワインや日本酒と同じよね。繊細な味のモノには繊細なモノを、濃くて強い味のモノには、しっかりした味のモノを、と」
「お詳しいですね」
それは社交辞令なのであろうが、言われた明美としても悪い気はしない。
「ちなみに、店員のお兄さんなら、彼女が飲んでるホワイトにはどんなおつまみを合わせますか?」
メニューを開きながら、明美は尋ねてみた。
「そうですね……プチトマトのカプレーゼなんていかがでしょうか。チーズの白で淡い色のホワイトとはセオリー通りですし、フルーティな味わいのホワイトはトマトの甘味や酸味とも合うと思います」
「美味しそう。じゃあ、それをくださいな」
迷いもせず、さくらが提案されたプチトマトのカプレーゼを注文する。
「ありがとうございます」
「じゃあ、わたしが飲んでるブラックには?」
「そうですね。当店では和牛を使ったメニューもオススメなのですが、安直に肉に行くよりは、燻製の盛り合わせなどいかがでしょう? 焙煎の香りとスモークの香りはとても相性が良いと思います」
「なるほど。じゃあ、それもください」
プチトマトのカプレーゼは、ずいぶんと洒落た一皿だった。半分に切ったプチトマトと、同じくらいのサイズのチーズがワンセットになって六つ。オリーブオイルや黒コショウがかかっている。
燻製の盛り合わせは、ウズラの卵、チーズ二種、さらにいぶりがっこを薄く削いだスモークチーズで巻いたもの、チョリソー、レバー、樺太ししゃも、いわゆるカペリンと、かなりの種類が一皿に少しずつ並んでいる。
チーズとトマトが合うのは言わずもがな、燻製もそれぞれ個性があり、どれもが美味しくてビールが進む。
「なんていうか、ビールの概念がずいぶん変わったよね」
「ですね。ビールと言えば揚げもの、みたいに思ってましたけど、クラフトビールはそれぞれの個性に合わせて肴を選ぶのが楽しそうです」
「最終的には、お酒の楽しさってそこに行き着くのかもね」
そんな話をしていると、店員が、
「とはいえ、クラフトビールは、メーカーさんのビールのセオリー通りの肴を合わせても美味しいですよ。例えば当店のフライドポテトはアンチョビ味なんですが、どのビールにも抜群に合うと自負しております」
「じゃあそれも」
「それもください」
ほぼ同時に、明美とさくらは言っていた。
「ありがとうございます。そこまで即断して頂けるとは思いませんでした」
ちょっと驚きが混ざったような、はにかんだ笑顔で店員が言う。
「だって、カプレーゼも燻製盛り合わせも美味しかったから」
「お店の人が、一番何がオススメかを知ってるわけですもんねえ」
「わたしたち、クラフトビールについても詳しくないし」
もちろん、それは『きちんと味で納得させてくれる』という前置きがあってこその信頼である。当然、オススメされた料理や酒が美味しくなかったら、もう一度その店を訪れることはない。
酒と肴同様、店と客にも相性というモノはあるのだ。
そして、不思議とその相性の第一印象は外れない。
出汁巻き玉子が美味しいとか、煮込みが美味しいとか、シメサバが美味しいとか、酒飲みはだいたい各々の良い店判別法を持っていたりするのだが――、
まず第一に、店側が薦めてくる料理がちゃんと美味い、というのはかなり手堅い、と明美は考えている。
そういう店は、まっとうに『客をつなぎ止めようとしている』のだ。そして、海千山千の酔客をつなぎ止める一番の方法は、美味い酒と料理をちゃんと出す、ということに尽きるのである。
接客がいい、雰囲気がいい、店主の人柄がいい、などはその次の問題なのだ。
そういう意味では、この店は「かなりよさそう」と明美は感じていた。
きっと、近いうちにまた訪ねることになるだろう。そう、美味しいビールを飲みたくなったときに。
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