第21話 店選びの基準
意外すぎるさくらの告白に、明美は耳を疑った。
「今、なんて?」
「ですから、わたくし、食べ放題ってあんまり好きじゃないんですよ」
もう何度目かの、蕎麦屋の席での話である。もちろん、テーブルには蕎麦ではなく酒と肴が並んでいるのはいつもの風景だ。
「またまた、冗談ばっかり」
明美の言葉に、さくらは眉根を寄せて頬を膨らませた。
「たくさん食べる人はみんな食べ放題が好き、とか思っていたんですか?」
「あ、マジなんだ。ごめん、そう思ってた」
「いえ、別に怒ってはいませんけど……。そんなことはないんですよ。『たくさん食べたい』は『たくさん食べられさえすればいい』とは違うんです」
「まあ、それはそうだろうけど」
「よくテレビなんかで、食べ放題で何をどのくらい食べたら元が取れるか、みたいな話をやってるじゃないですか。ああいうの、特に許せなくて」
さくらは拳を握りしめて力説し始めた。
「もちろん、美味しいものを安くたくさん食べられたら嬉しいですよ。でも、どうしてもわたくしもコスパや損得を考えちゃって、純粋に楽しめてない気がして」
「なるほどね、それはちょっとわかるかも」
明美はうなずいた。
「ホントはカレーを食べたいのに、となりにローストビーフがあったら、なんかそっちを食べとかないと損した気分になっちゃうとか」
「そうそう! そうなんですよ!」
うんうん、とさくらは首を縦に何度も振る。
「どっちも食べればいいんじゃない? あたしは後半にその迷いはちょっと重いけど、さくらさんならペロッといけちゃうでしょ」
「それはそうなんですけど、でも、どっちにしても、迷った時点で何を選んでも負けなんですよ。初志貫徹してカレーを食べても損した気になりますし、ローストビーフを食べても値段で料理を選んだ浅ましさみたいなものを感じちゃいますし、両方食べてもなんだか踊らされた気がしちゃうんです」
「さくらさん、それはさすがに面倒くさいよ」
明美は苦笑しながら言った。
「わかってます。だからイヤなんですよ」
さくらも、唇を尖らせる。
「まあでも、お値段って普通に頼んだって考慮には入るじゃない。今の財布の中身とか、あたし、気にしないときなんてないよ?」
「それでも、頼んだあとはお料理やお酒に集中して向き合えるじゃないですか」
「そういうもんかなあ……」
わかる気はする。でも、完全に納得できるわけでもない。
「でもさ、あたしも、いかに得するか、みたいなのはあんまり好きじゃないかな。食事のお値段って、材料費だけじゃないよね。内装とか雰囲気とか、あとはいかに楽しい時間を過ごすか、みたいな、全部ひっくるめたことに対するお金だと思うから」
「ですよね。ひっきりなしに忙しくお料理を取りに行かなきゃいけなくて、一緒にいった人とゆっくり話せない、みたいな雰囲気もちょっと」
「そこは割り切って、あくせくせずにのんびり楽しめばいいじゃない」
「そうなんですけどぉ、やっぱり、それだと損をしたような気分になっちゃうじゃないですか」
「おっと、堂々巡り感があるね」
「なんかすみません」
今度は、さくらが苦笑しながら謝った。
「ううん、いいのいいの。こだわりなんて人それぞれだし」
言いながら、明美はかまぼこにわさび醤油をつけて口に入れ、それを手酌の日本酒で追撃した。
板わさ、いわゆるかまぼこの刺身は蕎麦屋で飲むなら定番の肴である。
「このお店、とにかく安いじゃないですか」
冷や奴をつまみながら、さくらが言った。
「うん」
素直に同意する。
例えば、二人で来る度に頼むおつまみセットは、冷や奴、板わさ、小海老の天ぷら、〆の小盛りのざる蕎麦で千円ちょっとである。
それを肴に軽く飲むくらいなら、二千円程度で納めることも可能だ。
他にも三〇〇円程度のちょっとした料理も多く、夜には居酒屋として利用する仕事帰りのサラリーマンも多い。
蕎麦がきや鴨など、モノによっては少し価格帯が上がるが、それでも、いつものママさんの店に比べたら全体的に安い。もちろん、味についてはいつもの店の方が上だが、値段を考えたらそこまで不満に思うほどではない。
「でも、安ければいい、っていう話でもないですよね?」
「うん、そうね」
コストのことだけを考えるなら、家で飲むのが一番安い。もちろん、家飲みでもお金をかけることはいくらでもできるが、下限もぐっと低くなる。
「なんていうかさ、安くてお得感や美味しさをしっかり出してるお店の努力とか自負とか、そういうのって飲み食いすればわりと伝わってくるじゃない」
「はい」
「それって、お高いお店の誇りとか自負とか、そういうのと同じだとあたしは思ってるんだよね」
高くて美味いは当たり前、なんて言う人もいるが、高くとも品質の良い材料を見分け、それを活かせる技量を磨くのはプロのプロたる所以である。
同様に、限られた範囲の材料で価格と満足感を両立させる知恵と工夫は、やはり等しくプロの仕事なのだ。
「なんていうのかな、方向性とやり方が違うだけでさ。あたしは、そういうのが感じられるお店が好きかな」
高級な店でも、気に入らない場合はある。そういう店に味は遠く及ばなくても、安くて好きになる店もある。もちろん、どんなに安くても二度目はない店も、ある。
「わたくしもそう思います。結局、払うお金にどのくらい納得できるか、ってことなのかな、って思うんです」
「まあ、食べ放題をやってるお店も、相当頑張ってやってると思うけどね」
「それはそうでしょうけど、それと合う合わないは別はじゃないですか」
「そうね」
すごく良い店だと感じても、通うに至らない店、というのもある。
少し味付けが好みじゃなかったり、お酒のラインナップが気に入らなかったり、内装が落ち着かなかったり、どうも店の人とソリが合わなかったり。
「結局は、相性とか縁とか、そういうことなのかな」
「ですねえ」
「あ、厚揚げの甘辛焼き、頼もうと思うんだけど、さくらさんも食べるよね?」
「はい、もちろん頂きます。だったら、一緒に鴨つくねと出汁巻き玉子も頼みたいんですけど」
「いいねいいね」
追加でそのくらい頼んでも、まだまだ安い。
財布への負担を考えなくていい気楽さの中で、仲の良い友人と飲む。
そうした用途には、本当にこの店は適しているのだった。
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