第28話「悲劇からの出会い」
28話「悲劇からの出会い」
人は嫌な事を忘れていかなければ、生きていけないという。
けれど、本当にそうなのだろうか?と緋色は思っていた。
楽しかった事は忘れてしまうのに、悪いことはフッとした瞬間に思い出す事が多いように感じる。
それは、緋色だけなのだろうか。
けれど、記憶を思い出してみて、緋色は始めてこの考えは正しいとわかった。
思い出した時に自分を傷つけないように、緋色は自分の記憶を消して行ったのだろう。
思い出した過去は、思い出したくなかった思い出だったかもしれない。
けれど、それだけではなかった。
辛い思い出もあるけれど、大切な思い出も沢山あるのだとわかったのだ。
「ん…………」
緋色が眩しさを感じ、ゆっくりと目を開ける。すると、見慣れたいつもの天井があった。
薄いレースのカーテンからは穏やかな光が差し込んでいる。そして、夏の匂いと共に、ピンクシュガーの香りも鼻に入ってくる。
泉の香りだ。
緋色は、ゆっくりと体を起こす。
すると、自分の手が何か掴まっているのがわかった。そちらを見ると、そこに緋色よりも大きくてゴツゴツした手が緋色の手を握りしめていたのだ。その手の正体は、もちろん泉だった。
「泉くん…………」
緋色はそう呟くと、体を起こして彼の髪に触れる。ふわふわとした彼の癖っけで柔らかい髪に触れるのが、緋色は好きだった。
泉は「年下扱いされてるみたいだね」と、あまり嬉しくはなかったようだが、緋色は少し残念だった。
「気持ちいい………」
そう呟いて、思わず微笑んでしまう。
彼がずっと見ていてくれた事を思い出し、緋色は不思議な気持ちになっていたけれど、これだけはわかった。
彼がいなければ、自分は記憶を取り戻しても微笑む事はなかっただろう。緋色はそう思った。
「………ぅん…………」
緋色が髪に触れていたのがくすぐったかったのか、ベット脇の床に座り込んだまま寝てしまっていた泉の瞼が小さく震えた。
そして、ぼんやりとした目で緋色を見た後、ハッとして「緋色ちゃん!」と、飛び起きた。
「………よかった、目覚めてくれて。体調は大丈夫?どこか辛いところはない?」
「うん。大丈夫だよ………心配してくれてありがとう。」
穏やかに微笑む緋色を見て、少し意外そうにしながらも、泉は安心した様子で緋色を見ていた。
「よかった…………男に襲われたって、聞いただけでも心配したのに、記憶まで戻ったなんて。一気に昔の記憶が戻ったら辛いだろ?………それに、あの事も………」
泉の表情が暗くなる。彼がいうあの事というのは事件の事だろう。
確かにその事を思い出すだけで、今でも震えが止まらなくなり、また泣いてしまうかもしれない。
けれど、思い出したのはそれだけではない。温かい記憶もあったのだ。
緋色はそれを彼に伝えたくて、いつもの笑顔のままで泉に話しかけた。
「確かにあの事件の事がきっかけでフラッシュバックを起こしてしまって………苦しくて、悲しくて、思い出さなければよかったとも思ったわ。でもね、それだけじゃないの。思い出したのはそれだけじゃない。泉くんの事もだよ。」
「………俺の事………も?」
緋色の言葉に、泉は驚いた顔を見せた後、顔を歪ませ瞳の奥が揺れていた。
「ねぇ………泉くん。私が忘れてしまっていた事を全部教えて。私の記憶があっているか、確かめたいの。私が泉くんを忘れてしまっていた時に、あなたは何をして、何を思っていたのかを………。私に聞かせて欲しいの。」
「…………でも、ただでさえ一気に記憶を戻したのに………君の負担になるんじゃ………」
「ならないよ。泉くんの事だよ。知りたいの……… 」
緋色は彼に近づき、泉の顔をまっすぐに見つめてお願いをする。
泉は戸惑いつつも、嬉しそうに微笑んでいた。その顔が、緋色は何よりも嬉しかった。
「わかった、話すよ。………でも、かなり長い話になると思うよ。それでもいい?」
「うん。話してほしい」
「………君が忘れたかった事も、話していいの?」
「………話してほしい。思い出したって事は、今の私には乗り越えられる事だと思うから」
「…………わかったよ、緋色ちゃん」
そういうと、泉はベットに上がり緋色と同じように座った。
そして、頭を撫でながら「でも辛くなったらちゃんと言ってね」と、念を押してくれた。
緋色が頷くと、泉は1度目を閉じて何かを考えていた。
そして、ゆっくりと瞼を開けると、緋色と泉が出会ったところから話を始めてくれる。
その声はとても穏やかで、大切な物語を話しているかのようだった。
★☆★
緋色と泉は同時期に両親を亡くしていた。
緋色は、事故で両親や親戚を亡くしており、5歳の時に施設に入所した。
泉は、結婚をしていない相手との子どもを妊娠した母親が、出産したはいいが育てられずに施設に置いていったと、聞かされていた。泉が0歳の頃だった。
そんな母親に育てられるよりも、施設に居た方が幸せだった。
そう思えるぐらいに、泉にとっては施設での生活は苦になるものではなかった。
その理由は、緋色に出会えたからだった。
彼女の記憶は曖昧だったけれど、6歳の泉は、何よりも緋色が大切だった。
泉が入所してきてから、緋色は泉をとてもよく可愛がっていたそうだ。
それも全て施設の人から聞いた話だ。
泉にとって、緋色は全てだった。
彼女に勉強を教えてもらい、友達の作り方を教えてもらい、本は楽しいものだと教えてくれた。
彼女はかなりの読書家で、図書館に行っては沢山の物語を借りていた。まだスラスラと字が読めなかった泉には話を教えてくれたり、朗読してくれたりと、本の魅力を伝えたのだ。
「私はファンタジーの物語が好きなのよ。この世界ではありえない、魔法を使ったり、竜がいたり、妖精がいたり、美味しそうな食べ物があったり………想像するだけでワクワクするわ。それに、1つの妖精を想像するだけで、一人一人違う妖精を考える………その度に新しい妖精が誕生するのよ。本って面白いよね」と、目をキラキラさせて話してくれたのを、泉は覚えていた。
きっと、緋色が物語が好きだから、泉は作家になろうと思ったのだろう。
彼女に喜んでもらいたい。笑ってもらいたい。そう、思っていた。
緋色は自分の前ではいつも笑顔だったけれど、夜になると泣いているのを知っていた。両親の記憶がある頃に亡くなってしまったのだ。緋色は、夜に部屋を抜け出して教会で祈るように泣いているのを見たことがあった。
月の光が教会に注がれ、ステンドグラスの光によって彼女は色とりどりに輝いていた。緋色は悲しんでいるのに、泉は妖精のように綺麗だなと思ってしまった。
そして、泉が緋色に近づくと彼女は涙を拭いていつものように「どうしたの?泉くん?」と微笑むのだ。
泉はそれがどうしても悔しかった。自分より年上の女の子に頼られるのは無理なのだとわかった。だからこそ、頼られる男になろう、とそう決めた。
泉は、緋色のために早く大きくなりたいと思い続けていた。
そして、ずっと一緒に居れるとも思っていた。
けれど、2人の別れはすぐに訪れる事になるのだ。
緋色に楪家の養子になる事が決まったのだった。
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