第4話「揺れる感情」






   4話「揺れる感情」







 自分の小説のネタのために、結婚をして欲しい。

 そんな言葉でショックを受けるなんて、緋色自身思ってもいなかった。

 

 まだ会って1時間も経っていない人にこの出会いをネタにしたいと言われても、ただ怒るだけで悲しむ必要はないはずだった。


 それなのに、緋色の胸はズキズキと刺が刺さったように痛かった。

 


 どうして、こんな人と結婚の事を話しているのだろう。早く離れて出会わなかった事にして忘れてしまえばいい。

 普段の緋色ならそう思ってその場から逃げているはずなのに。それが出来ずにいた。



 「あの………どうかしましたか?」

 「…………え、あの。何でもありません。」



 泉が呆然とする緋色に近づこうと、1歩足を進める。ジャリッと砂を踏む音と、彼の気配を近くで感じ、緋色は足袋を履いた足のまま彼から離れるように身を引いた。



 やはり、男の人は何を考えているかわからない。怖い。

 そう思って、自分から泉と距離を取ったはずなのに、彼の甘い香りがしなくなったようで、緋色は切なくなってしまう。


 先ほどから揺れ動く自分の心の変化に、緋色は戸惑いを感じ始めていた。




 「あなたの名前を聞いても?」

 「え…………。あの、私の名前、呼んでいませんでしたか?」

 「あぁ……緋色さんであってましたか?追われてる人が名前を呼んでいるのが聞こえたので。」



 彼が緋色の名前を知っている理由は呆気なくわかってしまった。

 けれど、緋色はまだ疑問に残っていた。

 彼とぶつかり、名前を呼ばれる前にお見合いした音が自分の名前を呼んだだろうか。

 緋色はそれがまた不思議であり、謎に思えた。



 「私は楪緋色と言います。」

 「緋色さん、ですね。俺は26歳なので、きっと年下ですよね。泉と呼んでください。」

 「呼び捨てなんて………それに、まだ結婚の話しは終わってないですよね?」

 「俺はしたいと思ってますよ。」

 「…………そんな………。」



 はっきりと泉の気持ちを伝えられて、緋色は動揺してしまう。どうして、ネタのためにそこまで結婚したいと思うのか。普通ならあり得ない事のはずだ。


 困った顔をして彼を見つめていたせいか、小さい子どもをあやすかのように、泉は緋色に優しく微笑みかけた。



 「理由は何であれ、あなたが気になったのは事実です。突然ぶつかってきた着物のお姫様のような人が助けを求めてくるなんて、運命的ではないですか?」

 「お姫様………。もうそんな歳ではないですよ。」

 「年なんて関係ないですよ。緋色さんは、十分に魅力的な女性です。でないと、手を繋いで一緒に逃げて、助けたいなんて思わなかったかと。」

 「…………上手ですね。」

 「本心ですよ。」


 

 ネタのために結婚を申し込んだと思ったら、お姫様や運命だと言ってくる。やはり、不思議で少し変わった男のようだった。



 「何はともあれ、まずは家まで送ります。緋色さんの怪我も心配ですし、いつまでも足袋のや着物のままでは疲れてしまうので、移動しましょう。」

 「あ、待って自分で歩けるので………。」

 「タクシー乗るまでは抱っこしますよ。あ、それともおんぶがいいですか?」

 「…………抱っこでお願いします。」



 緋色が拒否する前に、泉はすでに緋色を抱き上げており、やはり彼は強気で頑固なのかもしれないと、緋色は改めて思った。





 そのまま有無を言わせず、タクシーを見つけるまで泉は緋色を抱っこをして歩き、また道行く人たちの注目の的になっていた。もちろん、空手選手だと気づく人もおり、泉は声を掛けられる度に笑顔を返していた。


 タクシーに乗って移動する時も、彼は優しかった。「傷は痛みませんか?」や「暑かったですよね。体調は大丈夫ですか?」と聞いてくるのだ。

 そんな彼にどう対応していいのかわからずに、緋色は困った顔を浮かべたまま無難な返事を返した。



 そして、タクシーが緋色の住むマンション前に着いた。建物の前に、緋色が降りると「緋色っ!」と呼びこちらに向かってくる男性が居た。黒のスーツを着こなし、少し白髪混じりの髪と髭を整えた長身の男性だった。見るからに紳士的な雰囲気がある人物だった。



 「あ、お父様…………。」



 緋色はばつの悪い顔を浮かべて、父親である楪望(ゆずりはのぞむ)を見つめた。望の顔には、少しの心配と怒りの顔を見せており、緋色はビクッとしてしまう。



 「どこへ行っていたんだ、緋色。見合いも途中で抜け出して………。心配していたんだぞ、緋色。」

 「お父様………申し訳ございません。」

 「一体今までどこに居たんだ?どうして見合いを断った?」

 「それは………。」

 「楪さん。」



 緋色への追求の言葉を止めたのは、後ろに立っていた泉だった。望は、緋色の事で頭が一杯になっていたのか、泉には全く気づいてないようで、声を聞いてやっと彼の方を向いた。



 「ん?………泉くん、君がどうしてここに?」

 「楪さん、すみません。連絡も出来ずに。」

 「いや、それはいいんだが。どうして、泉くんが緋色と一緒に居るんだ?」



 望は驚いたように2人をまじまじと見つめていた。父が泉の事を知っていたのに緋色は驚いたけれど、父にどう説明すればいいのかわからず、緋色は言葉を濁していた。

 そんな緋色の代わりに口を開いたのが泉だった。



 「楪さん。急なんですけど………実は、俺と緋色さんは結婚することになりました。」

 「っっ!!」

 「な、何だと………?」



 泉の言葉に、緋色も望も絶句し、驚いた顔を見せていた。

 あまりにも唐突な話しであるし、まだ緋色は結婚の事は承諾もしていないのだ。それなのに、彼は父である望に話しをしてしまった。

 緋色は、すぐに泉に駆け寄り「何で言ってしまうですか!?まだ決めてもいないのに。」と、怒った口調で言うが、「僕は決めましたので。」と、あっさりと返されてしまう。



 「そ、それに………お父様と泉さんが知り合いってどういう事なの?」

 「楪さんとは、昔からの知り合いなんだ。娘さんがいると話しは聞いていたけど………さっき、君の名字を聞いてもしかしたら、とは思ったんだけどね。」

 「そ、そんな………。お、お父様、結婚についてはまだ何も決めていないの。だから、さっきの話しは………。」



 緋色が焦って、黙り込む父に説得しようとした。けれど、驚いて固まっていた望の顔が、ニヤリとした微笑みに変わった瞬間。緋色は悪い予感がした。

 これは望が面白い事や、何かいい考えが決まった時の顔なのだ。



 「お、お父様………?」

 「なるほど。泉くんと緋色が結婚か。」

 「突然過ぎるわよね。私たち出会ったばかりだし。」

 「………いい考えだ。泉くんが結婚相手ならば、私も安心する。」

 「…………え?」

 「緋色、いい相手を見つけたな。先ほどの見合い相手より数倍いい結婚相手だろう。」

 「お、お父様、私は………。」



 緋色が唖然とする中、とても楽しそうに微笑み緋色と泉を見ていた。それを見て、泉もホッとした表情を見せていた。



 「楪さん。ありがとうございます。」

 「ちょっ、ちょっと………。」

 「これはおめでたい事だな。緋色、泉くんに幸せにして貰うのだぞ。」

 「お父様、私はまだ結婚なんて。」

 「緋色、おめでとう。」

 「お父様、話しを聞いてくださいー!」



 緋色は父親に詰め寄り、必死に言葉を掛けるけれど、望はとても満足そうに微笑むだけで、話しみ聞いてくれなかった。


 あっという間に父親公認の関係になってしまい、緋色は焦りと戸惑いと不安な気持ち持ちながらも、新しい出会いに少しの期待を感じていた。









 

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