第5話「知りたいです」
5話「知りたいです」
トントン拍子に進む時は、物事が上手くいったり、良い縁だと言われている。
もし、それが本当の事ならば、泉との縁は良い傾向なのかもしれない。
けれど、1日で結婚まで決まってしまうのは、あまりに急なような気がしてしまうのだ。
「お父様、待ってください。私はまだ結婚なんてしたくありません。私の気持ちを聞いてから決めてください。」
ゆらゆらと揺らぐ感情のせいで、自分の気持ちがわからなくなってしまった緋色は、もう1度、父に説得する事にした。
1度冷静になって考えたい。今すぐに結論を出す必要はないのではないか。そんな気持ちを父にぶつけた。
苦手な父とは話をする機会も少なく、緋色から父を避けている事も多かった。そのため、自分の気持ちを正面から伝える事は少なかったかもしれない。
けれど、望は緋色にいつも優しかった。父ならわかってくれるはずだ。
そんな甘い気持ちがあった。
「緋色。私はおまえに、あの見合いが大切なものだと伝えたのを覚えているかい?」
「………はい。」
「見合い相手は怒ってはいなかったが、緋色が出ていってしまったことで、何か自分が悪い事をしてしまったのかもしれないと、悲しんでいたよ。」
それを聞いて、緋色はハッとした。
自分の勝手な思いでお見合いの途中でただ抜け出してきてしまった。相手にはほとんど説明しなかった。それでは、相手はどうして緋色が嫌になってしまったのかがわからなかっただろう。
緋色の行動が人を傷つけた。
それを今さら知ったのだ。
「……………すみません。」
緋色は弱々しく返事をする。
この歳になって父に怒られてしまうのは、本当に恥ずかしかったし、情けなかった。
けれど、自分のした事が本当に悪いことだったと、緋色は自覚し反省をしていた。
いつかちゃんと謝らないといけない。そう思った。
「………これで相手が怒ってしまい、仕事も円滑にいかなくなったら、大変だったんだ。1つの縁が何よりも大切だというのを覚えておきなさい。」
「はい………。」
「お見合い相手には、私から伝えておく。相手を納得させるには、何か理由がいるのがわかるな?」
「…………だから、結婚相手を………。」
緋色は望の考えを理解して、恐る恐る望の顔を見つめた。
父が考えている事は、きっとこうだった。お見合い相手に、緋色は結婚したい相手がいた。それを知らずに父が勝手にお見合いを決めてしまったため、逃げてしまった。そう、説明しようと思っているのだと、理解した。
確かに、それだと相手は納得するかもしれない。
「……だが、緋色をその見合いのだけのために結婚して欲しいと思って言っているのではないんだ。泉くんはおまえにとって、本当にいい人だ。今、その理由がわからなくてもいい。だけど、きっといつか………この意味がわかるはずだ。………だって、緋色………おまえは………。」
「楪さん。」
何かを緋色に伝えようとした望を止めたのは、泉だった。
望と緋色は同時に彼の方を見る。
すると、彼は悲しげに微笑みながら、ゆっくりと首を横に振った。
「泉くん………。」
「楪さん。………いいんです。まだ、その時ではありません。」
「………そう、だったな。悪い。」
「……………。」
泉が何を話そうとしていたのかを望は理解しているようだった。
けれど、緋色には何もわからない。
2人の神妙な雰囲気に、ただ不安になる事しか出来なかった。
「緋色、今日は疲れただろう。ゆっくり休んでくれ。お見合いを引き受けてくれて、ありがとう。」
「お父様………いえ。こちらこそ、すみませんでした。」
「泉くんとの事は、緋色に任せるよ。…………2人で話し合ってくれ。」
そういうと望は、泉に挨拶をした後に停めてあった黒い車に乗り込んで颯爽と去ってしまった。
望が何を伝えようとしたのか。
緋色のその言葉が聞きたくて、車が行ってしまった後も、しばらくその道を見つめていた。
「緋色さん。家に戻ってください。楪さんも言っていましたが、いろんな事があって疲れているでしょうし。」
「え、えぇ………。」
緋色は戸惑いながら泉を見つめた。
すると、泉はクスクスと楽しそうに微笑み、緋色に視線を返してくれる。
「………緋色さん。今日助けたお礼にお茶をご馳走してくれませんか?」
「え………えぇ………。」
「………そんな、離れたくないみたいな顔されてしまうと、帰りにくいです。」
「なっ…………そんな顔してないです!」
「していましたよ。」
緋色をからかうのが楽しいのか、そういうとまた楽しそうに泉は笑った。
泉は、自分より本当に年下なのだろうか。そんな疑問さえわいてきてしまう。
「私服に着替えてくるから、待っててくれますか?」
「え、緋色さんのお部屋でいいですよ?」
「………ダメです。恋人でもない男の人を1人で入れるわけには………。」
「結婚するかもしれないのに?」
「………それはそう、だけど………。」
確かに泉の言う通り、恋人ではないけれど結婚の話しが出ている相手だ。
だったら、部屋に来ても問題ないのかもしれない。そんな風に思ってしまうから、泉の言葉は不思議だった。
「では案内してください。行きましょう!」
「ちょっ、ちょっと……だから、抱っこしなくていいですから。」
また、彼にひょいと抱き上げられてしまい、緋色は強引な彼の言われるがままに、なってしまっていた。それでも、先程よりも心が軽くなっているのだ。
本当に泉は不思議な人だった。
小さな部屋に、男の人と2人きり。
そんな経験がなかったので、緋色は鼓動が早くなり、おろおろとして緊張してしまっていた。
大好きな紅茶の準備をしながらも、彼の気配を感じては気になりすぎて間違えそうになってしまっていた。
「ど、どうぞ………。あのお菓子とかはあんまり良いものがなくて。」
「気を使わなくていいですよ。」
ソファに座っていた泉の前に紅茶とお菓子を置いて、緋色は彼の隣である床に座り込んだ。すると、泉は「そんな所に座ってないで、隣に座ってください。」と、苦笑しながら言ったので、断るのも悪いと思い、緋色はドキドキしながら彼の隣に腰を下ろした。
一人暮らしの、部屋にあるソファのため。そこまで大きな作りにはなっていない。そのため、緋色と泉の肩が触れてしまいそうになるほどに一気に近くなり、緋色はすぐに体が熱くなった。
気を紛らわせるために、自分のカップの紅茶を飲もうと手を伸ばすと、何かが頬に微かに触れたような気がして、緋色はちらりと横に視線を向けた。
すると、泉が緋色のストレートの黒い髪に触れていたのだ。指で大切なものに触るように、優しく触れている。
「………え………。」
「………緋色さん、何か期待してるのかなーって思って。触ってみました。」
「き、期待なんかしてません!」
「だって、さっきからそわそわしてて落ち着きないので。」
「それは緊張しているだけです。ここの家に男の人が来たこともないですし、その………たぶん男の人と2人きりになった事もないので。」
「…………そうなんですね………。」
30歳を過ぎて男の人にも慣れていないなんて、バカにされたり、珍しがられたりするのかと思っていた。
けれど、泉の反応は全く違うものだった。
安心して微笑んでいたのだ。
そんな彼の笑顔の意味がわからずに、緋色は泉が触れる髪をジッと見つめていた。
「緋色さん。俺は確かに結婚の理由はありえない事かもしれない。でも、それでも緋色さんじゃないと、結婚したいと思わなかったと思うんだ。」
「どうして………ですか?」
「緋色さん、だから。」
泉の指が髪をとかすように、毛先までゆっくりと下へ移動する。
すとん、と心に落ちる言葉だった。
「緋色さんを好きになりたいと思っています。……いや、なるってもうわかっているんです。………緋色さんにも好きになって貰うように頑張ります。だから、僕を知るために………好きになるために、結婚してくれませんか?」
どうして泉は自分を見る時にそんなに悲しげに見るのだろうか。
そんな風に思いながら、泉の瞳を見つめた。
彼の意思の強さを表すのように、視線はまっすぐで強いものだった。強さの中にも、優しさもある。それは緋色向けられたものだからこそ、緋色は感じ取れた。
誰しもが初対面で出会い、お互いにどんな人なのかを探り合い、そして、知っていく。
そして、いろんな感情を育てていくのだ。
育てるためには、一緒に過ごすことが1番なのだ。
会って初日でのプロポーズ。
緋色の返事は、「私も、………知りたいです。」だった。
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