第3話「プロポーズの理由」






   3話「プロポーズの理由」




 目の前でプロポーズをしてくる男を見て、緋色は何て不思議な人なのだろうと、思った。

 

 いきなりぶつかってきて、眼鏡を壊されたのに怒りもしない。お見合いから逃げて来たと知ると、一緒に走って逃げてくれた。怪我をしたのを見れば抱き上げてくれ、傷の手当てまでしてくれたのだ。

 

 これが知り合いだったのならば、まだ理解は出来たかもしれない。

 しかし、彼とは先ほど会ったばかりの人なのだ。


 その彼に、告白もされずにプロポーズをされるとは思ってもいるはずもなく、緋色は唖然としてしまった。



 「あ、あの………結婚って私とですか?」

 「はい。もちろんです。」



 驚いている緋色とは違い、向かい合う彼は真剣な顔だけれど、どこか楽しそうに微笑んでいる。

 緋色は怪訝な顔を浮かべて、その男を見つめた。



 「………出会ってすぐの女性にプロポーズ出来きるんですか?……初めて会った人と結婚なんて………考えられません。」

 「では、また親の見合いを受け、いつかは親の決めた人と結婚するのですか?」

 「そ、それは………。」



 男のいう言葉は、緋色に現実を突きつけるものだった。自分では思っていても、他人から言われるとやはり現実味を感じてしまうものだ。

 いつかは、見合い相手と結婚するのだろう。そんな事を思ってしまっていた。

 男性が苦手な自分が、恋愛など出来るはずもない。そう決めつけていたから、自分で相手を見つけることすらしていなかった。



 「今は初めての会った人ですが、これからは知り合いになります。それに初めはみんな「初めまして」なんです。自分でいうのはおかしいかもしれませんが、俺は変な人ではありませんよ。」

 「………自分で普通は言わないです。」

 「そうですね。」



 男は楽しそうに笑っている。

 突然のプロポーズに動揺しているのは自分だけのようで、緋色は何だか悔しくなってしまう。


 「で、でも………私、こう見えても小さな会社の社長令嬢なんです。……相手を選ばなきゃいけなくて………。」

 「俺は松雪泉。………俺の事、知りませんか?」

 「え………。」



 松雪泉(まつゆきいずみ)。


 その名前を聞いて、緋色の胸がドキンッと跳ねた。

 けれど、緋色はその名前を聞いたこともないし、思い出す事もない。それなのに、どうして名前を聞いただけでドキドキしてしまうのだろうか。不思議な感覚に緋色は襲われていた。



 「聞いたこと、ありませんか?」

 「えぇ……申し訳ないけど、わかりません。」

 「そうですか……俺もまだまだですね。」



 苦笑を浮かべる泉を見て、緋色はどうしてそんな顔をするのかわからずに、首を傾げて返事を待った。すると、少し恥ずかしそうに頭をかきながら、泉は詳しい話しを教えてくれた。



 「俺、これでも有名な空手の選手なんです。テレビでも紹介してもらってるし、世界大会とかにも出てたんですよ?」

 「え、えぇ………そうなんですか?!ご、ごめんなさい。私、全く知らなくて。テレビもあまり見ないので………。」

 「そうですよね。」



 泉は、緋色の反応を見て何故か懐かしそうに微笑んでいた。

 泉が有名な空手の選手ならば、どこかで聞いた事のある名前だったのかもしれない。それで、胸がドキドキしたのか。そう思い少し残念な気持ちになった。



 「空手の選手というのだけではダメなら、俺のお嫁さん候補にだけ、僕の秘密を教えますね。」

 「…………お嫁さん候補ではないんですけどね………。」

 「聞きたいですか?」

 「………気になりはします。」



 緋色の反応を見て、面白そうに微笑みながら、泉は緋色の耳元に顔を寄せた。

 彼の吐息と、甘い香りを感じてしまい、緋色は一気に顔を赤く染めてしまう。

 先ほど抱きしめられた時以上に、ドキドキしてしまう。



 「ちょっ………近いです………。」

 「実は、俺………本も書いていて、白碧蒼(はくへきあお)という作家を知っていますか?」

 「………え………白碧蒼………。」

 「本名の漢字をただ色に直しただけの名前なんですけどね。ほんの1部の人しか僕が作家をしているのは知らないんですよ?」

 「……………。」

 「あの、もしかして知りませんでしたか?」



 急に黙り込んだ緋色を、泉が心配そうに顔を覗き込む。すると、緋色は目をキラキラさせて彼に近づいたのだ。



 「白碧蒼の白碧って、泉鏡花の作品から取ったんですか?」

 「………え?」

 「もしかして、泉さんの泉ってそこからきてるんですか?作品にもいろんな色の名前が出てきますけど、そういうのが好きなんですか?」

 「ちょっ………落ち着いてください。」



 先ほどとは全く違う緋色の様子に、泉は驚いている様子だった。けれど、そんな緋色を見て、泉は嬉しそうに笑った。



 「もしかして、白碧蒼の本、読んでくれてたの?」

 「え…………あ、はい………。その……実は、とても好きな作家さんの1人だったもので。つい………。」



 緋色は自分が興奮しすぎていた事にやっと気づき、申し訳なさそうにしながら泉の顔を見つめた。それ見て、泉はくくくっと笑った。



 「あ………笑わないでください。」

 「いや、ごめんなさい。何だか嬉しくて………。俺なんて全く有名な作家じゃないから、

好きな人がいるなんて嬉しくて。それに、内緒にしているから、こうやってファンの声を聞けるのがなかなかないから、すごく新鮮でした。」

 「そんな事ないですよ。有名ですよね。あんなに長いシリーズ物を書いているのですから。」

 「そう言って貰えると嬉しいです。」



 少し照れ笑いを浮かべながら笑う彼は、どこか少年のように嬉しそうだった。



 「話しが逸れてしまいましたが……。空手家としてではなく、作家として。あなたと結婚するのに相応しくはないですか?」

 「そ、それは………。」



 泉の才能や社会的地位はかなり高い方だろう。どちらかというと、緋色の方が低いと思ってしまうぐらいだった。


 緋色が知らないだけで、空手の選手としては有名なのだろう。モデルのような外見で、しかも世界の舞台で戦えるぐらい強いというのは、女性の注目の的になるはずだ。


 それに、作家である白碧蒼は、泉は有名ではないと話していたが、かなり人気のある作家だった。日本風な名前とは違って、魔法やドラゴンなどが出てくるファンタジー小説が有名な作家だった。緋色は、かなりの読書家でファンタジー小説が1番好きだった。そのため、白碧蒼は当然知っている作家だった。



 そんなすごい人が、自分に結婚を申し込むなど、おかしな話だと緋色は思ってしまう。お金も地位も、泉は持っているはずなので、父親の財産目当てではないだろう。


 それに、緋色の家柄は確かに社長令嬢かもしれない。けれど、それは実家であるし、緋色自身は中小企業の会社の事務でしかなく、給料だってあまり良くない。そんな緋色と結婚したい理由がわからなかった。


 緋色はしばらく考えた後に、彼の問い掛けに返事をした。

 駆け引きは苦手なので、思ったことを伝えよう。そう思った。



 「楪家は確かに会社を経営していますが、父親が1代で築き上げたまだ小さな会社です。そんな小さな会社社長の娘と、あなたのような優秀な方が結婚するメリットがわからないのです。楪家として泉さんと結婚する方がメリットは大きいと思うのです。」


 

 緋色は自分の手を合わせてギュッと握りながら、彼に思いを伝えた。

 目の前の彼には、どう伝わるだろうか?

 逆に利用されるのなら嫌だと思ってしまうだろうか。そんなに小さな会社ならば断られてしまうだろうか。

 そんな風に考えていた。



 そこまで考えて、緋色は自分の思いにハッとした。

 いつの間には、自分は泉に結婚する事を取り消しにされるのを怖がっているのだ。彼が「やはり結婚の話はなかった事にしましょう。」と返事をされるのではないかと、ビクビクしているのだ。

 それが意味することはただ1つだ。

 緋色は、彼が気になり始めているのだ。



 それに気づき、緋色は自分の考えが恥ずかしくなり顔を赤くした。先ほどまで、結婚の事など考えられない、冗談だと思っていたのに。

 

 彼に優しくされたから?

 彼が白碧蒼だったから?

 彼がかっこいいから?

 それとも、妙に懐かしさを感じる不思議な存在だからなのか?



 今の緋色にはわからなかった。

 けれど、気になり始めているのは、自分でもわかっていた。



 「それなら、結婚して貰えますよね?あなたもお見合いから逃れられて、君のご実家にも損はない。それなら………。」

 「まっ、待ってください。………どうして、そこまで、私と結婚したいと言ってくれるのですか?全くメリットがわからないんです。」



 彼の言葉を遮ってそう言うと、泉は「あぁ、なるほど………。」と言い、少し考えた後に、ゆっくりと口を開いた。



 「………そうですね。………俺は小説を書いているので、ネタになるかなって思ったんです。」



 笑顔でそういう泉の言葉に、緋色は大きな衝撃を受けてしまった。


 何故か泣き出しそうになったのを、緋色は必死に顔に出ないようにと我慢して、「そう、ですか……。」と、固い表情のまま微笑するのが精一杯だった。




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