第10話「涙の意味」






   10話「涙の意味」




 視線を感じる。


 過剰になってしまったのかもしれないけれど、先程よりも視線が集まってきているように緋色は思ってしまった。

 それは、隣を歩く彼が写る雑誌を見てしまったからからだとわかってはいる。けれど、それでも気になるものは気になるのだ。


 あんなにかっこよくて、人気のある人が自分と結婚をするなどありえないのではないか。

 自分に自信のない緋色は、先程から視線を下に向けてばかりだった。


 だが、泉はというと緋色とは全く違う様子だった。



 「嬉しいなぁ。緋色ちゃんからのプレゼント。似合ってるかな?」

 「う、うん………似合ってるよ。」

 「よかった。大切にしますね。ありがとうございます。」

 「ううん。私が壊してしまったのが悪いんだから………。」



 出来上がった眼鏡をさっそくかけて、ニコニコと微笑んでいる。お店のショーウィンドーに映る自分を見ては、嬉しそうに笑っている。まるで、おもちゃを家って貰ってはしゃぐ子どももようだった。

 泉にそんなにもよろこんでもらえたのは、緋色も嬉しかった。

 けれど、休日のショッピングモールは人が多く、彼は目立つ。いくら眼鏡をかけたとしても、空手家の松雪泉だと気づく人をいるようで、ちらちらとこちらを見ているのだ。


 緋色は俯き、彼の手をギュッと握りしめた。


 すると、泉は緋色の異変に気づき、そしてすぐに理由を理解したのか「………ごめん。行こうか。」と呟き、緋色の手を強く握りしめて、足早にその場から去った。






 泉の車に乗り込むと、緋色はホッと息を吐いた。

 すると、ふわりと甘い香りを感じたと同時に、緋色は彼の腕に閉じ込められていた。

 泉が運転席に乗り、緋色を抱き寄せたのだ。体が彼に引き寄せられる。甘い香りと彼の温かさを感じながら、ただ驚くことしか出来ない。



 「い、泉くん…………?」

 「ごめん、緋色ちゃん…………。あなたはまだ見られることに慣れてないのに、大丈夫だからと何の配慮もしないで。………いろんな人の視線、気になってたよね。」

 「………泉くん。」



 泉の声が耳元で聞こえる。


 ドキドキしながらも、彼の悲しげな声に緋色は申し訳ない気持ちでいっぱいになる。

 泉が悪いわけではない。

 自分の自信のなさがいけないのだ。



 「泉くんが悪い訳ではないから。でもね、どうして、泉くんみたいな人が私を選んでくれたのか、わからなくて。もっといい人はいたはずなのに………。ネタになる出会い方かもしれないけど、でもそれだけで私と結婚するのは勿体ないって思えて…………。」




 緋色は泉の体を押して、彼から離れようとする、けれど、彼に強い力でまた胸の中に収まってしまう。




 「泉くん?………ねぇ、離して………。」

 「離したくない。」

 「…………どうしたの?」

 「俺は、緋色ちゃんは可愛いって思う。隣に居てくれて幸せだって思うし、それだけで笑顔になれるんだ。………緋色ちゃんだってわかるだろ?俺がずっと笑っているの。出会って1週間しか経ってないのに、好きだって言ったら、なんだか軽い気持ちみたいだけど………どんどんあなたに惹かれてる。知れば知るほど、君に魅了されてるんだ。」

 「…………泉くん…………。」




 今度は泉から体を離す。


 けれど、鼻と鼻とかぶつかってしまいそうなほど近い距離で、緋色は頬を染めてしまう。だが、泉のまっすぐな視線を感じ、目を逸らす事が出来ない。



 「僕は緋色ちゃんがいいんだ。松雪泉はあなたを選んだ。周りの人だって、みんな綺麗だとか可愛いって言ってるはずだよ。緋色ちゃんが気づいてないだけだ。………それでも、まだ見られることに、慣れなくて気になるのなら俺を見てて。俺は緋色ちゃんが愛おしいって思うのは絶対だから。」



 そういうと、泉はニッコリと微笑んで「よしよし。」と頭を撫でてくれる。

 何故そんな事をしてくれるんだろう、と思ったら自分の頬に温かい感触があった。そこで、やっと、泣いているのだと緋色はわかった。



 「あれ………私…………。」

 「きっと、緊張の糸が切れちゃったんだね。我慢させてごめんね。」

 「そんな………っっ………!!」



 頬や目の下についた涙を拭こうと手を伸ばしたが、それより先に泉がペロリと頬を舐めたのだ。

 緋色はあまりの事に驚いて、体を離してしまう。


 すると、悪戯っ子のように緋色はニヤリと笑った。



 「泣いてる顔も可愛いね。」

 「な、舐めないで………!」

 「ははは。ごめんごめん。」



 全く反省をしていない様子の泉に避難の声を上げるが、彼は楽しそうに笑うばかりだった。


 緋色自身何故、自分が泣いてしまったのか、わからなかった。

 けれど、それが悲しいからではないのだけは、緋色の心が温かくなっていたのでわかった。

 



 「緋色さん………。緋色さんに、受け取って欲しいものがあるんです。」


 

 そういうと、泉が持っていた小さな鞄から何かを取り出した。

 


 「本当はこんな所で渡すつもりじゃなかったんだけど…………。」



 ショッピングモールの広い地下の駐車場。

 いくら端で壁に向けて駐車したとは言えど、車も人も後ろでは通っている。けれど、車の中は2人だけのものだった。


 泉が緋色に、手渡したもの。

 それは光沢のある黒色をした、小さな箱だった。

 緋色はそれを見た瞬間にドクンッと大きく胸が鳴った。

 ふわりと軽いその箱を見つめる。

 ドキドキしながら、その箱の蓋を開ける。




 すると、そこにはキラキラの光り輝くシルバーの指輪があった。透明な宝石はダイヤモンドだろう。大きな石が中央についており、それを支えるように繊細なリングがついていた。





 「………泉くん、これって………。」



 

 緊張した声で、彼を見つめながらそう言うと、彼も同じように表情を固くしながらも微笑んで、緋色を見守っていた。





 「緋色さん。ずっとずっと守るから。俺と結婚してくれませんか?」





 彼の言葉を聞いて涙したのは何故だろう。

 デートを楽しみにしていたのは何故なのか。

 彼と釣り合えるような女性になりたいと願ったのは何故か。



 それを考えれば、自分の答えはわかっている。緋色はそれを実感していた。



 結婚の理由がおかしくても、まだ本当の恋なのかわからなくても、結婚はきっかけなんじゃないか。

 

 彼と一緒にいると笑顔になれるし、ドキドキする。泉をもっと知りたいと思う。

 昔の彼も今の彼も、全てを。

 そう思えることが、緋色の本当の気持ち。



 緋色は泉に惹かれている。




 緋色は、その箱を自分の胸に引き寄せて、優しく抱きしめるように手で包んだ。




 「はい。……私も泉くんと一緒に居たい………です。」




 緋色は瞳に涙を溜めたまま、彼に返事をした。

 するの、泉は一瞬目を大きくしたけれど、すぐに嬉しそうにそして、瞳を潤めてニッコリと微笑んだ。


 ホッとしたような、嬉しいような、そんな温かな笑みだった。




 「ありがとう、緋色ちゃん。俺は絶対に君を守りぬくよ。」




 そういうと、緋色が持っていた箱から指輪を取り、緋色の左手を取り薬指にはめてくれる。


 その婚約指輪は緋色の薬指にピッタリだった。




 「とてもよく似合ってるよ。」

 「ありがとう。」

 「これで…………これで、やっと君は俺のものだね。」




 優しい声でそう言う泉の左の瞳から、ポロッと一粒の涙が落ちた。



 それが頬をつたって落ちるのを、なんて綺麗だな、と思いながら見つめていた。



 彼の涙の本当の意味は、緋色にはまだわからなかった。







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