第9話「有名人」






   9話「有名人」





 泉が連れてきてくれたのは水族館だった。

 しかし、普通の水族館ではない。イルカのショーがとても凝っており、光や音、そして映像との融合が売りになっているようだった。

 


 「すごい!ここに来て見たかったんです。動物で1番イルカが好きなんです。」

 「喜んでもらえてよかった。緋色ちゃん、興奮しすぎて、敬語に戻ってるよ。」

 「あ………ごめんなさい。」

 「いいよ。ショーの席はもう取ってあるからゆっくり館内を見て回ろう。イルカに触れる時間もあるみたいだし。」

 「うん。」



 泉は自然に緋色の手を繋いで、経路を順番に歩いていく。

 緋色は少しドキッとしたものの、少し落ち着いていた。それは、道中に彼と沢山話をしたからかもしれない。

 泉の気遣いに感謝しながら、緋色は初めてのデートを楽しんでいた。

 一つ一つの水槽をジッと見つめたり、写真を撮ったり、2人で神秘的な空間を堪能しながら進み、イルカのショーでは歓声を上げながら楽しんでいた。



 「すごかったね!イルカが跳んだ瞬間、花びらの光が舞ったり、宇宙空間になったり!」

 「そうだね。イルカもなんだか楽しそうだったね。」



 緋色の興奮した様子を馬鹿にすることもなく、泉は話しを聞いてくれる。笑顔を見て、泉も楽しいのかなと思うと、緋色は嬉しかった。



 「素敵なショーを見せてくれてありがとう。なんだから、白碧蒼のファンタジーの世界に入ったみたいで嬉しかった。」

 「緋色ちゃん…………。」 



 泉はふんわりとした笑みを浮かべて、優しく緋色に話しかけた。



 「年下の俺が言うのも変だけど………緋色ちゃんは本当にいい子だね。」

 「え…………。」

 「そう言ってもらえて、俺も嬉しいよ。」

 「うん…………。」



 ただ自分の思ったことを伝えただけなのに彼は喜んでくれる。そんな瞬間が胸がとくんっと幸せな音で鳴る。

 やはり、彼は不思議な人だった。



 その後は、お土産屋でお揃いのイルカのストラップを買ったり、近くの海が見えるレストランで遅めのランチをしたりと、2人の時間を楽しんだ。


 半日でわかったことは、泉はいろんな知識を持っていて頭の回転が早いこと。そして、女性のエスコートにも慣れていること。意外にも甘いものが好きなこと。


些細な事だけれど、昨日まではわからなかったことだ。

 緋色は少しずつ泉を知れたような気がして、微笑んでしまう。




 けれど、ちょっとした瞬間に「これは恋なのか。」という疑問と「どうして彼は私の好きなものばかり知ってるんだろう。」という疑念も持ってしまうのだった。



 「あ、あれって、松雪泉選手じゃない?」

 「え………どこどこ!?」

 「ほら、窓際に席に女の人と座ってる………。」



 レストランで食後のコーヒーを飲んでいると、不意に近くの席に座る笑い女性の会話が耳に入った。その女性も驚いていたようで、声が大きくなっており、周りの人たちにも聞こえあっという間に視線が泉と緋色に向いてしまった。



 「あ………あの、なんかバレてしまったみたいだけど、大丈夫?帰った方がいいんじゃ………。」

 「あぁ、いいのいいの。俺は一般人の女性と付き合ってるって言ってるから、みんな知ってる事だしね。週刊誌に書かれる心配もないんだ。」

 「そ、そうなんだ……………。」



 何気なく言った泉の言葉。


 それは昔に、知らない一般人の彼女と付き合っていたという事になるのだろう。

 有名な選手で、容姿も性格も良いとなれば、女性にも人気があるはずだ。当たり前の事なのに、胸が痛んでしまう。そんな資格も自分にはないはずなのに、と緋色はまた塞ぎ混みそうになると、泉が緋色の手に自分の手を重ねた。じんわりと彼の熱を感じると、不思議とホッとしてしまう。



 「泉くん?」

 「やっぱり少し騒がしいので出ようか。コーヒーはテイクアウト出来るみたいだから、それを貰って行こうかな。」

 「う、うん…………。」



 そういうと泉は緋色の手を引いてさっさと会計を済ませ、コーヒーを持ちながら店を出てしまう。

 緋色が周りの様子が気になっているのに気づいて対応してくれたのがわからないほど、緋色は鈍感ではなかった。



 「泉くん、ありがとう。」

 「いえ!僕もコーヒー飲みたかったので。」



 本当に紳士的な人だなと心の中で再度感謝をしながら、アイスコーヒーを受け取った。一口飲むとさっぱりとした中に甘さも感じられる。きっと、泉が甘めに注文してくれたのだろう。


 

 「帰り道の途中にショッピングモールがあるんだ。そこに寄るね。」

 「泉くんが好きなの見つかるといいんだけど。」

 「楽しみだなぁー。緋色ちゃんからのプレゼント。」



 眼鏡を買ってもらえるのが嬉しいのか、泉は繋いだ手をブンブンとふりながら歩き始める。そうやってはしゃぐ姿は少年のようで、やっぱり若いなと感じてしまうのだ。



 泉は動いてもずれないようなスポーツタイプの眼鏡を選んでいた。「読書用じゃなかったの?」と聞くと、「また緋色ちゃんとぶつかっても壊れないように。」と言って笑った。

 彼が選んだのは、スッキリとしたフレームがほとんどない眼鏡だった。

 泉は遠視だというから驚きだった。近くを見ると目がむずむずしてくるそうだ。遠視用のレンズをつけてもらうため、出来上がりには時間がかかる。

 その間、2人はショッピングモールを歩くことにした。



 「本当に良かったの?結構高価なものだったけど………。」

 「泉くんが気に入ったものの方がいいと思うよ。だから、気にしないで。」

 「ありがとう。出来上がりが楽しみだなぁー。」



 スキップでもしてしまいそうなほど上機嫌な泉を見て、緋色も壊してしまったものを弁償するだけなのに、何故か嬉しくなってしまう。泉を見つめながらクスクスと微笑んでいると、近くに本屋がある事に気づいた。



 「あ、小説買いに行ってもいいかな?」

 「うん。緋色ちゃんが読んでるの俺も読んでみたいな。」

 「趣味が一緒だといいんだけど………。」

 「一緒だよ。」

 「え…………。」



 断言するように言う泉に、緋色は驚き泉を不思議そうに見つめてしまう。

 すると、泉はハッとして少し焦った様子で訂正の言葉を紡いだ。



 「俺の小説が好きだってことは趣味は同じだと思わない?」

 「………そう、だね。」



 泉の説明に納得はしつつも、やはり彼の言動は昔の自分を彼は知っているように感じてしまう。


 緋色は少し考え込みながら店内を歩いてると、雑誌コーナーに目が留まった。



 「あ………あれって、泉くん?」

 「ん?あー………あの撮影って今月号だったのか。そうだよ、俺です。」

 「雑誌の表紙………。」

 「だから、俺は結構有名人だって言ったのに。」

 「そうだけど………。」



 緋色は泉が表紙の雑誌を手に取り、眺める。それは、スポーツ雑誌のようだが、ジャージや、シューズ、オフのコーデなどが載っていた。若い年齢のスポーツマン向きの雑誌のようだった。

 そこに空手家の松雪泉として巻頭表紙で特集が組まれていた。道着姿のものもあれば、普段着のものやスーツ姿のものもあった。どれも慣れたように表情で笑顔のものもあれば、無表情やニヒルなものもあった。どこからどうみてもモデルそのものだった。



 「すごいね…………。」

 「あ、見惚れちゃった?」

 「う、うん?でも、………本当にモデルさんなんだね。」

 「モデルじゃないよ。ただの空手家。昔から出ることが多くて慣れちゃっただけだよ。目の前で自分が載ってる雑誌を見られるのには、まだ慣れてないけどね。」



 そういうと、泉は恥ずかしそうに頬をかいた。



 「そうだよね。ごめん。」



 緋色はすぐに雑誌を閉じて棚に戻した。


 隣を見ると、先程まで見ていた雑誌と同じ顔の男性がニコニコと微笑んでいる。




 緋色は自分の旦那様になるのはすごい人なのだと、改めて感じてしまったのだった。




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