第2話「壊れた眼鏡」
2話「壊れた眼鏡」
手を握る彼は何者なのだろうか?
何故、会ったばかりの人を助けるために彼は緋色の手を引いて走っているのだろうか。
夏になったばかり蒸し暑い昼間。汗を流しながら、動きにくい着物で必死に彼に着いていきながらも、この繋いだ手を離したくない。
緋色は呆然としながら、その男性を見つめていた。
「…………いっ…………。」
先ほどから足の裏は痛んでいたけれど、我慢出来ないほどではなかった。けれど、鋭い石かガラスでも踏んでしまったのか、突然右足の裏に激痛が走り、緋色は足を止めてしまった。
突然止まった緋色を心配して、男は素早く振り向いた。そして、草履を履いていない、白い足袋のままの緋色を見て、驚いた顔をした。
そして、緋色の足元にしゃがみ、「すみません!気づかなくて………。」と、何故か彼が謝ってくれる。
「いえ。私が勝手に足袋のままで出てきたのが悪いので………。」
「私の肩に掴まって。傷を見せてください。」
「あ………。」
男は緋色の足を優しく掴み、足の裏を確認している。緋色は慌てて彼の肩に手を置く。
けれど、ここはそれなりに通行量がある道路だ。ただでさえ、緋色は着物を着ているので目立つというのに、目の前の彼はしゃがんで緋色の足に触れているのだ。すれ違う人達が、ちらちらとこちらを見ているのがわかり、緋色は恥ずかしくなってしまう。
「あぁ………何かで切れてしまったのか、血が出てますね。」
「そう…………それぐらい、大丈夫だから手を離してくれない?」
「ダメですよ。このまま歩いて、傷が更に増えたり、菌が入ったら大変です。」
「でも、歩かなければどこにも行けない………。」
「すみません。失礼します。」
緋色が言葉を言い終わる前に、男は小さく頭を下げたかと思うと、緋色の体を軽々と抱き上げた。
「………あぁ…………ちょっと………!!」
ふわりの体が浮いて、そのまま彼の腕で抱かれてしまう。所謂、お姫様抱っこと言われる形で、その男に体を持ち上げられ、緋色は咄嗟に彼にしがみついてしまう。
「そうです。ちゃんと掴まっていてくださいね。」
「ち、違うわ!怖いから、掴んだだけよ。ねぇ、離して頂戴、お願いっ!」
「俺、力には自信があるので、大丈夫です。」
得意気に笑いながらそういう男に、緋色はすぐに反論する。
「そうじゃないわ。………は、恥ずかしいのよ。だから、下ろして………!」
「では、顔を隠しててください。タクシーが見つかるまで、こうしてますから。」
「もう、いいから下ろして!」
「ダメです。下ろしません。」
「…………………。」
ほんわかな雰囲気を持つ彼だったが、意外と性格は頑固のようだ。
ニコニコしながら、そう言った彼を見て緋色は諦めるしかないな、と思って彼の胸に顔を埋めて恥ずかしさを紛れさせようとした。
けれど、彼から香る甘い香りに、更に恥ずかしくなってしまうのだった。
彼は薬局で消毒液と絆創膏を買い、近くの公園で手当てをしてくれた。
小さな公園で、遊具は滑り台とブランコしかない。そのため、遊んでいる子どもや休んでいる大人も居なく、無人だった。
「よし。これで大丈夫ですよ。」
「…………ありがとう。」
「あとは、靴を買って帰りますか?」
「ううん。もうこのまま帰ります。……あ、眼鏡の弁償はさせてください。。」
そう言って、鞄から財布を取り出そうとした緋色を見て、彼は「いいですよ!」と止めた。
けれど、人にぶつかり物を壊してしまったのに何もしないわけにはいかない。
「でも……………。」
「あの…………1つ、聞いてもいいですか?」
「何?」
「お見合い、どうして逃げてきたんですか?」
着物を着た女性が、高級料亭から草履も履かずに飛び出して来たのだ。お見合いをしていたのだろうというのは、何となく想像が着くだろう。
初めて会った人に、何故話さなきゃいけないのか。そんな気持ちもあった。けれど、ここまで助けてもらったのに、何も話さないのも申し訳なくなり、緋色は小さな声で話しを始めた。
「お父様のがどうしてもって言うお見合いだったの。もう31歳だし、そろそろ結婚して欲しいみたいだったし。お見合いに行くぐらいならいいかなって思ったんだけど………。その、お相手、私には合わなくて。それで、逃げてきてしまったの。」
「………そうだったんですね。」
緋色は大きくため息をついた。
1度話し始めたら、止まらなくなり一気に話しをしてしまった。
会ったばかりの人に、しかも自分よりも年下であろう男性に何を話しているのだろうと、緋色は苦笑してしまう。
けれど、何も言わずに聞いてくれる彼の存在は今は嬉しかった。
「………また、お見合いしろって言われちゃうかもしれないな………。」
「そんなに結婚したくないんですか?」
「………そう、ね。………だって、本当に好きってわからなくて。私の気持ちも、相手の気持ちも。それが本当なのかなんて、わからないじゃない。………だから、少し怖いの。」
「それって、誰かを好きになったことがないってことですか?」
「…………好き………そんな人、いなかった………?」
緋色は、すぐに「そんな人なんていないわ。」と言おうと思った。
けど、その言葉に違和感を覚えたのだ。
付き合った人も、好きになった人も今までいないはずなのに、チクッと胸が痛んだのだ。そして、何故か切ない気持ちにさせられた。
「どうしたんですか?」
「………え。なんでもないわ。………好きなった人なんていないの。だから、結婚するのもよくわからない。…………けど、父親が決めた結婚相手と結婚するのは嫌だわ。」
「そう、ですか…………。」
その男は、緋色の言葉を聞いた瞬間、困った表情を見せていた。何故彼がそんな顔をするのかはわからなかった。けれど、人の恋愛の話しなど聞いてもどうしていいのかわからないのは当然だな、と緋色は自分が愚痴を洩らしてしまった事を反省した。
「ごめんなさい。変な話しをしてしまって。………これ、眼鏡の修理代。もし、それで足りなかったら………。」
緋色は財布から数枚のお札を取りだし、彼に渡そうとした
「それは受け取れません。」
「私が悪いのだから、受け取って。」
「…………お金じゃなくてもいいですか?」
「え………何を言って………。」
お金を持ったままの緋色の手を、男は握りしめた。大きくて温かい手だ。
そして、真っ直ぐ緋色を見つめる目は赤茶色をしており、トパーズのようだった。
「お金はいりません。………だから、俺と結婚してくれませんか?」
名前を知らない目の前の男。
そんな彼からの突然のプロポーズに、緋色はしばらくの間、声を出せずに唖然としてしまったのだった。
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