第7話「夜の電話」






   7話「夜の電話」





 着物を脱ぎ、湯船に浸かり、緋色は気持ちを落ち着かせた。暑い日でも、お風呂入ると気分がゆったりとするから不思議だ。


 緋色は目を瞑りながら、今日の出来事を思い出す。いつもと同じ事を繰り返す、平凡な日々を生きてきた緋色にとって、今日は大事件のように目まぐるしい1日だった。運命を変える日、とってもおかしくない日になったのだ。


 父である望に頼まれたお見合い。相手との相性の悪さや、結婚への不安から緋色はその場を逃げ出した。そこで出会ったのが、泉だった。逃げるのを助けてくれて、傷の手当てまでしてくれた。そして、初めて会ったはずなのに、緋色が見合いを嫌がっている話すと、突然結婚を申し込んできた。

 そして、望にもそれを伝え、あっという間に本当に結婚する話しになってしまったのだ。



 「どうして、私なんかと結婚しようと思ったんだろう。楽しくなんかないはずなのにな。」



 緋色はため息混じりにそう呟く。

 読書好きで、休みの日は図書館や本屋に行ったり、カフェでお茶を飲みながら本を読むのが好きな地味な生活だった。今、流行りのものなどはわからないし、SNSなどにも全く興味がない。そんな自分が年下の男にプロポーズされるなど、全く想像していなかった。

 社長令嬢のため、お金や地位が目的の人が集まってきた事もあるけれど、彼はそのどちらも持っているようだったので、それには当てはまらないだろう。

 となると、泉は何故緋色に興味を持ってくれたのか。


 彼が小説家で、ネタになる出会いと結婚だからと話したのも少し納得は出来る。

 けれど、泉の表情や態度から、緋色にはある考えが芽生えていた。



 「………もしかして、記憶がなくなる前の私と知り合いだったの?」



 そう思わせることは沢山あった。

 名前を知っていたこと。話すときに少し切なく微笑むこと。望と知り合いだったこと。緋色が彼が眼鏡をしているという事を知っていたこと。


 そこまで思い出して、ハッとした。



 「あ………泉さんの眼鏡、買わないと……………。」



 ぶつかって彼の眼鏡を壊してしまったのだ。弁償しなければいけない。今度のデートの時に買おう。そう思った。

 デートなど記憶がある内では初めての事だ。

 どんな所へ出掛けて、どんな事をするのか。今からドキドキしてしまう。



 「泉くん、か………。」


 敬語や名前の呼び方を変えよう。そう提案してくれたのは泉だった。くん付けで彼の名前を呼ぶだけで、妙にくすぐったい気分になる。


 そして、独り言を言いながら思ったのは、「独り事のように話せばいいのかな。」とわかったのだ。それなら出来そうだ、と緋色は思い付いた事にニッコリとしてしまう。




 「デート…………って、どんな服着ればいいんだろう。………ダメだ、フラフラしてきたわ。」



 そんな事を考えているうちに、長風呂になってしまいフラフラになりながら、湯船から出たのだった。



 




 その日から、夜になると毎日泉から電話があった。

 どんな所に行きたいか、好きな食べ物は何か、仕事はどうだったか。デートの話しや世間話が多かった。その時間がくると、緋色はそわそわしまうようになっていた。その時間を楽しみにしている自分がいたのだ。





 

 「あの、明日のデートなんだけど………1ヶ所だけあるんだけど……行ってもいいかな?」



 デートの約束をしている日の前日の夜。

 いつもより少しだけ遅い時間に彼から電話があった。デートプランをいろいろ考えてくれているようで、緋色も楽しみにしていた。そのプランを途中で変えてしまうのが申し訳なかったが、どうしても行きたいところがあったので、泉にお願いすることにしたのだ。



 初めて出会ってから約1週間。

 敬語を使ってしまうこともあったが、少しずつ普通の話し方に慣れてきていた。それには、泉を驚いていたので、「一人で考えてる時の話し方をすればいいってわかったの。」と言うと、納得した様子で笑っていた。



 『行きたいところ?その場所によるけど………なるべく行けるようにするよ。ちなみに、どこに行きたいの?』

 「あの、眼鏡屋さんに行きたいの………。」

 『もしかして、あの時の俺の眼鏡の代わりを買おうと思ってる?』

 「うん。壊してしまったのは私だから。やっぱり弁償させて欲しいの。でも、眼鏡は好みもあるし、泉くんが欲しいものがいいかなって思ってて。だから、時間があったら行かせて欲しい。」

 『本を読むときぐらいしか使ってないんだけど………。でも、初めての緋色ちゃんからのプレゼントなら嬉しいかな。』



 少し迷っていたようだが、泉は眼鏡を買うのを了承してくれたようで、電話口から明るい声が聞こえた。その声を聞いて、緋色はホッした。



 「よかった。じゃあ、明日行ってもいいかな?」

 『うん、大丈夫だよ。ありがとう、緋色ちゃん。』

 「いえ………。」

 『じゃあ、明日は家まで迎えに行くから。楽しみにしてる。』

 「…………私も、です。」



 どう返していいのかわからず、本心のままにそう言うと、泉がクスクスと笑う声が耳元で聞こえてきた。

 何か変なことを言ってしまっただろうかと、緋色は心配になってしまう。



 『敬語になってるよ。』

 「あ…………。」

 『きっと、顔を真っ赤にしながら言ってるのかな、って想像したら可愛いなって思って。』

 「可愛いって………年上だし、そんな事ないよ…………。」

 『年上とか関係ないよ。初めて会ったときからずっと可愛いって思ってるよ。』




 甘い言葉に緋色は更に顔や首を赤くしてしまう。これを泉に見られたら、また笑われてしまうだろうと思いながらも、彼の言葉にドキドキしてしまっている自分がいるのに気づいた。

 彼のペースにのまれてしまっているのは、わかっていた。けれど、泉が言っている「運命」という言葉が頭をちらつく。

 そういう出会いなんて、作り物の物語だけだと思っていた。けれど、もしかしたら本当にあるのかもしれない。

 そんな子どもみたいな思いを持ってしまうのだ。


 泉ならば、信じてもいいのではないか。

 彼と一緒に居れば幸せになれるんじゃないか。


 出会った瞬間に恋に落ちる。

 そんな事があるのならば、運命なのかもしれいと思ってしまう。




 『明日のデートでは、緋色さんをもっとドキドキさせるから。俺を少しずつ好きになって。』



 そんな彼からの言葉に、緋色は戸惑いを感じながらも期待が大きくなってしまうのだった。

 それと同時に彼に「昔の私を知っているの?」と聞きたいと思いつつも、それが出来ないでいた。

 

 

 自分の思い違いかもしれない。

 そう自分に言い聞かせて、緋色は泉には聞いていないのだ。

 


 昔の自分を知るのが何となく怖く思ってしまい、緋色は目を背けるのだった。





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