第27話「思い出した君」






   27話「思い出した君」






   ★★★




 何故追いかけないのか。

 早く彼女を追いかけなければいけない。

 そう思っているのに、泉はその場に立ち尽くしていた。


 緋色の言葉が頭の中でぐるぐると響いてきた。


 いつかはバレてしまう事だった。

 必死に隠していても、彼女に嘘をついていても、ボロが出てしまう。

 きっと一緒に暮らしていく中で、不可解に思っていた事も多かっただろう。それでも、緋色は泉を信じてくれていた。

 記憶のない彼女が誰かを信じるというのは、どんなに勇気が必要だっただろうか。


 そして、彼女に信頼されている証でもあったはずだ。



 それを泉は裏切ったのだ。

 嘘をつき、必死に秘密を隠していた。

 彼女に知られたてしても、彼女がまた苦しむのなら…………と、話すこのは出来なかった。



 「本当に彼女はそれを望んでいるのか…………?」



 泉は、彼女が落とした紙袋を拾い上げた。

 先程から周囲には甘い香りが漂っている。馴染みのある香りだった。

 その袋には何が入っているのか、泉にはすぐ

わかった。


 中を見ると、予想通り泉が使用している香水の割れた瓶が入っていた。彼女が会社を出た後に香水を買いに行ったのだろうと思っていた。


 その他に、何かラッピングされた物が入っているのに気づいた。香水で濡れてしまっているそれを泉は開けてみる。

 すると、そこにはピンクシュガーと同じロゴが入った、ボディーソープとハンドクリームが入っていた。それを見て、泉はハッとした。



 彼女が残業だと嘘をついて、買い物をしに行っていた。何故、泉に内緒にしていたのか。泉の好きな香水と同じシリーズを買ってラッピングをしていたのか。

 それを見て、何も気づかないほど泉は鈍感ではなかった。



 「緋色ちゃん…………」



 泉はその紙袋を家の庭に置き、やっとの事で動き始めた。


 緋色が去って行った後を追いかけた。








 彼女は過去を知りたがっている。

 自分の事を知ろうとしてくれている。


 それなのに、嘘をついてまで彼女に秘密にしなければいけないのだろうか。


 彼女がまた苦しみ、悲しみのならば、自分が隣にいて抱きしめ支えてあげればいいのではないか。そのために、泉はまた彼女の隣りに居る事を決めたのだから。



 泉は、グッと力を入れて手を握りしめる。

 すると、左手に冷たい感触を感じた。

 彼女とお揃いの結婚指輪だった。



 「早く彼女を見つけないと…………。」



 泉はスマホをつけて、彼女の場所を探そうとした。きっと、そう遠くには行っていないはずだと思った。




 「もう、君に嘘はつかない。だから無事でいてくれ。」




 泉は、夜の街を颯爽と走り、緋色を見つけるべく、繁華街を目指したのだった。











   ☆☆☆




 「今日はそいつにすんのか?まぁ、育ちの良さそうな女だし。金はありそうだからゆくゆくは客になるかもしれないけど………俺の好みじゃねーんだけど」

 「じゃあ、俺だけ相手するからいいさ。薬使えば1発で落ちるさ」




 車に乗っていた強面の男は、あまり乗り気ではないようだが、緋色の肩をガッチリと掴んでいる男は、緋色を逃がそうとしなかった。


 緋色は抵抗するけれど、女の力では敵うはずもなかった。声を出そうとしてるけれど、怖くて大きな声が出ない。震える声で止めてと言うのが精一杯だった。



 「おねえーさん。車へどうぞー」

 「おい、ふざけるのはいいから早くしろ。目立ちすぎると後々面倒だぞ。」

 「わかったよ………。おら、さっさと車に乗れっ!」

 「やっ…………!!」




 銀髪の男が緋色の頭を掴んだ時だった。

 彼の腕から「カチカチッ」という音が聞こえた。腕時計だ。今時、珍しい手巻き時計なのだろうか。秒針の音が鳴っていた。


 

 その小さな音が、緋色の頭の中に響いた。



 それと同時に、車の中に居た男が煙草をつけるためにライターの火を付けた。



 その火も一瞬だったはずなのに、緋色の頭ではゆっくりと揺れる火がずっと灯って見えた。


 


 暗い夜道。揺れる小さな火。時計の音。そして、男の人が自分に触れる感触。



 全てを感じたとき、緋色の脳内では、ある映像が映し出された。



 それは忘れていた記憶。


 忘れたかった過去。



 「あ、あ…………」

 「あ?どうした、お姉さん?そんなに怖がらなくても……………。」




 その男が緋色の体を持ち上げて、無理矢理でも車に入れようとした時だった。

 緋色の様子が、一転したのだ。茫然と1点を見つめ、口を開けており、体には力が入っていなかった。

 異変に気づいた銀髪の男が、怪訝な顔で緋色の表情を伺う。



 「いや………いやーーーー!!こわい、助けて…………っっ!ぁぁぁ…………思い出したくないっっ!」

 「………何だ、こいつ!?やっぱり薬で頭おかしくなってんじゃねーの?」


 

 銀髪の男は緋色が騒ぎ出した事に驚き、すぐに緋色から手を離した。

 すると、緋色は道路にしゃがみ込み頭を抱えて泣き始めた。



 「やだ………やだ…………。こんなところに居たくない…………こわぃこわい…………」

 「だめだ………そいつの事は置いてくぞ。今ので、人が気づき始めた」

 「あ、あぁ………」



 車の中にいた強面の男が、咄嗟にそう判断すると車を降りて運転席に向かう。銀髪の男は、緋色を車の傍から離そうと腕を引っ張った時、足音が聞こえた。



 「おまえらっ!!何をしてるっ!」

 「あぁ?………やべぇ、警察だ…………!」



 2人の視線の先には、大声を張り上げて自分達の元へと駆け寄る2人の警察の姿が見えた。制服を着て、手には警棒を持っていた。


 緋色が騒いだ声を聞きつけた来たのだろう。車のすぐ傍まで来ていた。後ろには彼らの仲間と思われるパトカーまで来ている。



 「おい、早く車に乗れ!逃げるぞっ!女は置いてけっ」

 「わかってるっ!」

 「待て!逃げるな!」



 銀髪の男が車に乗り込んだ途端に、白のワンボックスカ―は勢いよく走り出した。



 「椋先輩!どうしますか?」

 「お前はパトカーに乗ってあいつら追いかけろっ!」

 「了解しました!」

 「遥斗、逃がすなよっ!」



 若い方の警察官は手を挙げながら走りだし、すぐにパトカーに乗り、緋色を襲った車を追跡し始めた。


 椋と呼ばれた黒髪の男は、座り込んで震える緋色に駆け寄り声を掛けた。



 「大丈夫ですか?どうしました?」

 「いやっ!!こわいこわいこわい…………思い出したくない………」

 「………何があった?俺は警察だ…………」

 


 警察の声掛けが耳に入らないほど、緋色は混乱しパニックを起こしていた。



 「襲われただけじゃないのか………薬のようでもないし………」

 


 震え怯える女の肩を抱きながら、椋は女性警官を呼ぼうと他の警察に連絡をしている時だった。



 「緋色っ!!」



 その名前を呼ばれた瞬間、座り込んでいた緋色はビクッと体を震わせて声の主を見た。

 そこには汗だくになってこちらに向かってくる1人の男性が居た。



 「…………ぁぁ………いず、みくん…………」



 朦朧とした視線のまま、緋色は彼を見つめた。パニックになっていた緋色だったけれど、彼を見た途端に呼吸も少し安定し、不安そうにしていた表情も和らいだ。

 そんな緋色の様子を見て、駆けつけた警察官も彼女の知り合いだとわかった。



 「どうしたんだ、緋色っっ!」

 「この女性の知り合いか?」

 「俺の妻です。何があったんですか?」

 


 焦り戸惑いながら椋と呼ばれた警察官に、泉は問いただすと、椋はゆっくりと状況を説明した。



 「ここをパトロールしている時に、女性が絡まれてると言われてね。そこに向かう途中に、その女性が大声を出して騒ぎ始めていたんだ。どうやら2人組の男に連れていかれる寸前だったようで、もう1人の警察官が襲った男達の車を追っているよ」

 「そう、でしたか…………」

 「けれど、どうして君の奥さんはこんなにパニックを起こしているんだ?以前に何かあったのか?」



 椋が心配そうに、泉に聞く。泉は震え不安そうに自分を見つめる緋色を抱きしめながら、椋に説明をした。



 「昔、事件があってその恐怖から記憶を失っているんです。………今まで忘れていたはずなのに。きっと、襲われた事がきっかけでフラッシュバックが起こったのだと思います」

 「なるほど………今は事情聴取は無理そうだな。身元確認と連絡先だけ聞いていいですか。夫婦だと確認後に帰宅してもらっていいので」



 椋は立ち上がり、本部に連絡をし始める。



 「緋色………大丈夫だから………」

 「泉くん………わ、私………」

 「うん、ゆっくりでいから。何か痛いところでもあるのか?」



 緋色の震える手を、泉や優しく握りしめながら、ゆっくりと緋色の肩を抱き背中をさする。

 はーはーっと呼吸をし、涙を流し続ける緋色を見て、あまりの痛々しい姿に、悔しさを滲ませていた。


 緋色は、ゆっくりと、そして小さな声で泉に向けて言葉を発した。



 「泉くん………私、思い出した………の。昔の私に何があったのか…………」



 ボロボロと涙をこぼし、口元を歪ませてそう言った緋色を、泉は目を大きくして驚いた表情で見つめた。



 「ごめんなさい………泉くん」



 緋色は少しずつ意識が遠退いていくのがわかった。けれど、それだけは彼に伝えなければ。

 

 彼を見つめた、そう言葉を残した後。


 緋色はまた目を閉じたのだった。




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