4.死神が来る
孫助は落ち着きなく書斎の中を歩く回っていた。
それは、ユダの帰りの遅さに何とも言えない不安を感じていたからである。
彼女ならば何があっても必ず帰るという、そういう自信があったために帰らぬ彼女に対する不安は、より一層強いものとなった……。
そして彼の手元に白鐘から一つの箱が届く。
片手でも持てなくはないくらいのすこし大きめの箱。リボンも結ばれている。
だが彼は感じていた。
その箱から死の香りを。
リボンをほどき、箱を開く。
息を飲む。
案の定。
案の定だった。
そこにはユダの首が入っていた。
首の横には小さなメッセージカード。
『そちらの禁忌狩りはこの通りもういない。首を洗って待っていろ』。
そう書かれていた。
孫助は一生懸命に考える。
これはあくまで脅しである、とはわかっている。
だが、この文章は白鐘の誤解が如実に表れている。
「賭けに出るか」
孫助は呟き、警備兵を集める。
彼の語る作戦は単純明快。
白鐘家に突入するというものだった。
手紙を読むに、白鐘家はユダを完全に始末しきったと勘違いしている。
だが、ユダは夕能であり不死身である。
首を切ったくらいでは死なない。
つまり彼らはそれに気づかず、黒鐘家をあおっているのだ。
だとすれば、ユダを回収しさえすればこちらにも勝機は生まれる。
戦力は元に戻る上、こちらにはこのようなメッセージカードという証拠もある。
孫助にはこのメッセージカードの狙いもまたなんとなくわかっていた。
巫女誘拐の時に使われた方法と同じく、戦力の二分化だ。
そうすることによって屋敷の戦力を削ってしまおう、と。
孫助は、巫女が誘拐された今白鐘が狙っているのが自分の殺害であるということを知っていた。
こうやって動いた以上、白鐘は自分を絶対に殺しに来る……。
ではどこに殺しに来るか。
無論、屋敷だ。
白鐘の連中は、警備兵を割いて白鐘家にユダを救いに、もしくはただ単に白鐘家を倒すために向かわせて、孫助自身は屋敷にとどまるだろうと考えるだろう。
自分だってそう考えると孫助は思う。
だからこそ、孫助は数回に分けて屋敷内の全勢力を屋敷へと向かわせる。
それが彼の最後の作戦であった。
数時間後、孫助率いる警備兵たちは白鐘の屋敷へと足を踏み入れた。
警備兵が数人いるが倒せない数ではない。
何せ黒鐘はほとんど全勢力である。
即座に彼らを無力化させ、巫女とユダを探させる。
巫女は思ったよりも早く見つかった。
だが、ユダと白鐘三十郎の姿は何処にもなかった。
これ以上の長居は無用だ、と孫助は警備兵たちを少しずつ外へと出していく。
だがそこで彼はようやく異変に気が付いた。
匂い。
焦げの匂い。
外からも騒ぐ声が聞こえてきた。
彼はそこでようやく悟る。
白鐘は自分たちよりも一枚上手で。
自分の屋敷を囮に黒鐘をおびき寄せて焼き討ちにしようとしているということを。
僅か十分たらずの突入作戦であった。
だが、火事を起こすには十分すぎる時間。
迫りくる炎。
燃え盛り、逃げ場はない。
彼は、死と敗北を悟るほかなかった。
黒鐘屋敷に響く高笑い、その声の主は白鐘三十郎。
白鐘家の当主であった。
彼は黒鐘屋敷書斎から窓越しに、遠くに燃える白鐘の屋敷を見ていた。
作戦がうまくいったことを喜びつつ、彼はソファーに腰かける。手で軽く撫でてにんまりと微笑む。
今日からこの屋敷が白鐘邸となるのだ。
巫女呼びまでまだ数日ある状況でこうもうまく事が運ぶとは……と三十郎は書斎の扉を見つめた。
そして愚者のことを思い出し、忌々し気に舌打ちをした。
その愚者ことサイコウルフは一体どこにいるのかと言えば、彼は黒鐘屋敷一階倉庫に両手両足を縄で縛られて転がっていた。
目を覚まして、どうにかできないと試行錯誤するが縄はきつく身動きも取れない。
口は動くが、今叫んでも無駄だということは目の前を見ればわかる。
そこには警備兵の足。
白銀の警備兵がウルフを見下ろしていた。
これだけ近距離に警備兵がいるなら下手に動くことはできないな、と頭は冷静に考える。
だがその片隅でユダはどうなったのか、という疑問が堂々巡りしていた。
ウルフの目は辺りを見渡す。
一目で倉庫だとわかる其処には、二人の警備兵が立っていた。
入口付近に一人と部屋中央部に一人。
部屋の中に窓はなかった。
出入り可能なのは入り口だけで、二人の隙を突き脱出するのは楽ではないだろう。
そう考えて視線を動かしていると、警備兵の立つ部屋中央部の床に転がる黒い影をとらえた。
それはユダであった。
首も完全に生えている。
警備兵は彼女を執拗に蹴っていた。
それを認識した直後、ウルフの顔が何者かに持ち上げられる。
それは入り口付近に立っていた警備兵であった。
「ようやく起きたか」
そうつぶやくと警備兵はウルフの顔面にこぶしを勢いよくめり込ませる。
彼の顔はゆがみ、血を吐く。
警備兵は彼の顔を持ち上げたまま、苦しむ表情を見て笑っている。
「ご当主様がてめぇの裏切りにどれほど怒っているかわかるか?」
こぶしがもう一度めり込む。
ウルフの唇は震えながら「ちがう」とつぶやく。
本当に彼は裏切ってなどいなかった。
依頼の内容を受けて、いかに黒鐘家を無力化するかを念頭に置き働いていた。
だが……とウルフは思う。
自分に尾行が付けられており喫茶店でユダと仲良さげに語らう自分の姿が目的されていたなら、それに疑念が芽生えるのも仕方ない。
ユダと結託し白鐘家をつぶしてしまおうなどと考えられてもおかしくはない。
それに、ここまで詳しく白鐘の情報を知ってしまっているウルフを、三十郎は生かしておくわけにはいかないと考えたのかもしれない。
鼻が曲がる。
唇は切れるし、口内に広がる血の味が気持ち悪い。
思考もだんだんとぼやけていくのがわかる。
警備兵の笑い声は頭を叩くかの如く響いてくる。
その笑い声の中に、違う笑い声も含まれている。
警備兵ではなく、それはユダ。
彼女もまた縄で両手両足を縛られて暴行を受けていたが、弱る様子などない笑い声をあげている。
ウルフを殴る警備兵の手も止まり、ユダを蹴る足もまた動きを止めた。
ユダは壊れたように、無邪気な子供のように声を上げる。
見つめる警備兵の瞳は、恐怖に凍っているように見えた。
「滑稽だな。勝者になったつもりで敗北者を蹂躙するのがさぞ楽しかろうな」
冷たい……。
その言葉は本当に唇から発されたのか、そう疑うほどにその言葉からは感情という者が読み取れなかった。
「残念だがいつまでもも君たちの番ではない。次は私たちの番だ」
警備兵の動きがすこし固まる。
彼らにとっての恐怖は、ユダのこの動じぬ態度だった。
何度も蹴られたというのに笑うことさえ容易く行ったこの女の考えが、彼らには全く読めなかった。
「あっはっはっは」
次の笑い声はユダのものではなかった。
これはウルフの野太く明るい笑い声であった。
「なるほどそうかい。はっはっは」
二人の笑い声の響く倉庫の中、二人の警備兵は気が狂うような気持であった。
散々痛めつけたものの笑い声は、きっと空元気に過ぎないと言い聞かせても恐ろしいものだ。
一人の警備兵が呟く。
「落ち着け。これは罠だ。この女の手口を我々は知っている。先の内通者騒ぎでもあったようにこんなもんはハッタリだ。無視を決め込みさえすれば何の問題もないのだ」
それにもう一人の警備兵も頷く。
彼らは動かなかった。
笑う二人を見下ろしたままただ時間が過ぎるのを待った。
そうして、時がたつのを待つ彼らのもとに、扉をたたく音が届いた。
入口付近の者が扉ごしに外に尋ねる。
「なんだ」
「至急開けてくれ。手紙が……」
外の者が呟いた瞬間!
声たかだかにユダは叫んだ。
「死神が来たんだな」
同調するようにウルフの笑い声も上がる。
警備兵はユダとウルフを蹴り、黙らせようとするがそんなものは効かない。
「手紙の内容は!」
「差出人不明だが、内容は……血だ。この手紙は血で書かれている!」
「なんと!なんと書かれているんだ」
警備兵が急かすように叫ぶ。
外の警備兵は答えた。
「白鐘家皆殺しのご案内 ユダ」
その声が聞こえた瞬間。
動揺、笑い声による不安の増長が働き、警備兵の思考は一瞬空白となる。
そしてそれは隙である。
ユダは微かに微笑む。
唇が艶やかに光る。
そして、唇は動いた。
「来い……! 弥勒!!」
言葉とともに扉を突き破り一本の錫杖が飛び込んでくる。
その錫杖は入り口付近の警備兵の横をすり抜け、ユダを蹴っていた男を薙ぎ払い、彼女の手を縛っていた縄を断ち切った。
両手がフリーになり、その両手で床をつき勢いよく立ち上がる。
縛られたままだった足の縄を、続けて錫杖が切る。そうして彼女の手のひらは錫杖をつかんだ。
錫杖……その名は、弥勒。
しゃらんと優雅な音を立て、華麗に参上した弥勒をユダは振り回して入り口付近の警備兵を扉ごと吹き飛ばした。
そしてユダは錫杖でウルフの縄を切る。
「助かったぜ」
床に倒れていたせいで汚れた体をぱんぱんと叩いて埃をはらう。
「お前が私のハッタリに即座に乗ってくれたおかげだ」
ユダは短くそう言うと扉を踏み越え倉庫の外に出た。
「さぁ長居は無用だ。さっさと逃げるぞ」
彼女の言葉に頷き、ウルフは素早く立ち上がった。
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