3.失墜

 白鐘の屋敷は夜の月の微かな光の下にその輪郭を覗かす。


 名の通り白い屋敷は、心なしか普段よりもにぎわっているように見えた。


 実際に騒ぎ立てているわけではない。


 邸内に漂う雰囲気というものが外にも漏れているようなものだ。


 その原因たる当主の書斎には、愚者と三十郎が二人だけ。


 愚者は静かな外を窓から見下ろしている。


 三十郎はソファーに腰かけ酒のボトルを傾けグラスに注いでいる。


「君も飲まないか」


「結構だ。酔ってもすぐに酔いがさめちまうはずさ」


 振り向きもせずに愚者は言うが、三十郎は首をかしげる。


 グラス一杯に注いだ酒を口元に運び一口含む。


 それは、今日の『巫女誘拐』の成功からくる勝利の幸福で普段よりも美味しく感じた。


「巫女はすでに白鐘の手にある。黒鐘も手を尽くしてくるだろうが、守りさえすれば問題はない。今日くらいは酒も飲んでよいだろう。依頼主が言っているんだ」


「俺はその依頼主サマの予期していない事態に対応するためにこうしてシラフのまんまなのさ。黒鐘が雇ったアイツなら、多少の力業で奪い返しに来てもおかしくはない」


 三十郎のグラスを傾ける手が止まる。


 酔いもさめたようで、警備兵に一言告げようと立ち上がろうとするが、愚者はそれを制止する。


「まぁアイツもそんな手段にはギリギリまで出ないはずだ。ある程度までは静かに攻めてくるはずさ」


「静かに……」


「外をみなぁ」


 愚者が窓をこんこんと手で叩く。


 三十郎は立ち上がってそちらに寄って窓の外をじっと見つめていた。


 数人の影が屋敷の門をくぐっている。


「あれは」


 三十郎が呟き、書斎から飛び出る。


 耳をすませば一階が騒がしいことが分かった。


 何かと思い、急いで階段を下りていくが……銃声が数発響きわたった。


 彼の顔中に汗が噴き出る。


 素早く階段を降り切って、玄関の方を覗き込むとそこには男数人が倒れていた。


 それを囲むように警備兵が立っている。


 動揺し立ち尽くしたままの三十郎の真横を通り抜けて愚者は警備兵に近寄り、肩を叩いた。


「この死体はなんだ」


「……黒鐘に送り込んでいた内通者の面々です。正体がバレたらしい匿ってくれ、と。まだバレただけだが証拠が見つかっては殺されるのも時間の問題だとぬかしましたので……」


「口封じをしたと」


 首を掻きながら呆れたように愚者はあくびをする。


 そして警備兵数人の顔を見て不満そうに目を細めた。


「ぐ、愚者。内通者がバレたということは……」


「いや、ハッタリだ。あの脅えようは敵の禁忌狩りが不特定多数に心を揺さぶるように声をかけたんだろうさ」


「でも万が一バレていれば……」


「バレたところで何だ。殺しちまったんだからどうしようも……」


 愚者はそれ以降、黙ったまま虚空を見つめていた。


 三十郎はその様子に戸惑いながらも、愚者の次の言葉を待つばかり。


 しばらくしても言葉はなく、とりあえず彼らはこの現場を片付けて普段通りの白鐘家に戻す必要があった……。




「カシラが頭が切れようと、下の者がミスをすればその影響はカシラに関係なく環境に出るものだ」


 巫女誘拐より数日が経ち巫女呼びの日も近づく中、巫女が帰ってこない苛立ち、焦りも高まっているかに思えた。


だがそんな様子はなく、書斎でユダはゆっくりとそうつぶやいた。


 孫助もその言葉を否定はしない。


 彼らが何か複雑な策をろうしたからこそそんな余裕があるのか。


 いや、そうではない。


 彼らは何もしなかったからこそ、白鐘家に対して優位に立っているのだ。


 そのきっかけというのは、言うまでもなく白鐘の警備兵が行った内通者の射殺であった。


 愚者が言った通り、ユダには内通者の判別などついていなかった。


 ただ言葉だけで狼狽えてくれれば楽だ、とそう思っていただけだった。


 脅えて白鐘に一度帰ってくれればもっと良いが……とも考えていたが、事はそううまくいきはしないだろうと思ってはいた。


 だが予想に反し、事はユダに有利なように進んだのだ。


 加えて、ユダが撒いていた種もまたうまい具合に発芽したのである。


 その種というのは魔術器具店より賄賂を持ってきた厚井のことだった。


 護衛をつけて送り返した厚井であったが、ユダはこの男がもしも白鐘と完全に無関係だったならば、黒鐘家の異様な警備兵の集まりと自分につけられた護衛から『白鐘家と何らかのかかわりがあるのではないか』と、そう考えてくれることを望んでいた。


 そうすれば、うまくいけば彼から白鐘についての情報がきけるかもしれないと、そう思っていたのだ。


 その効果は予想以上であった。


 この厚井という男。


 白鐘と全くかかわりがなくユダの望むとおりに白鐘が怪しいのではないか、とわざわざ屋敷まで様子を見に赴いたのである。


 そしてその際に、たまたま『複数人の死体を運ぶ警備兵』を目撃したのである。


 こうなれば黙っておれるわけがない。


 瞬く間にこの情報は村中に知れ渡り、白鐘の悪評が出回ることになる。


 人は悪い情報が出ればそれに加えて噂もまるで本当に起こった出来事かのように吹聴するようになる。


 そうなれば白鐘の悪評はどんどんと高まることになる。


 こうなれば白鐘は自由に動くことも難しい。


 ユダたちは幸運にもほとんど動くことなく白鐘を落とすことに成功した。


 これには孫助も頬が緩む。


 ただ、油断ばかりもしていられなかった。


「まだ巫女も帰ってきてはいない。このまま悪評が長く続けば『誘拐の噂』も村に出回り白鐘も動かざるを得なくなるだろう。その時を……今はじっと待つのみだ」


 ユダはそう孫助に伝え、警戒を怠らないようにと指示する。


 孫助はすぐ感情的になりはするが馬鹿ではない。


 警戒の手を決して緩めることはなかった。




 一方白鐘はどうかと言えば、だんまりを決め込むしかなかったのである。


 今下手に動くことは悪評を高めることにつながりかねない。


 静かに息をひそめることしかできない。


 だが、ここで泣き寝入りをするような敵ではなかった。


 愚者はとうとう動いたのである。


 ユダの手を如何にして覆すか。


 それは至極簡単な事であった。


 ちょっと背中を押すだけで状況は覆る……。



 数日が経つ頃には、白鐘の悪評は完全に覆っていた。


 誰もがそれに懐疑的になり、むしろ何のうわさも出ない黒鐘家のほうに疑惑の目を向けることになる。


 少数ではあるが、先日までの白鐘家の悪評は黒鐘がけしかけたものではないか、という者まで出る始末。


 何が起こったのか。


 簡単な事。


 白鐘家が白鐘家の悪評をさらに流しだしたのだ。


 それは本当のことでも嘘のことでも構わない。


 白鐘家を悪く言いさえすればいいのだ。


 何故そんなことをしたのか。


 三十郎も同じことを愚者に問うた。


 今の悪評だけで白鐘家は悲惨だというのに、加えて自分から悪評を流すとはどういうことだ、と。愚者は笑った。


「人は同じことが起こりすぎると、逆に疑念を抱く生き物なんだ。例えば選択問題が複数あったとして、選んだ解答が連続して同じものだったらだんだん不安になるだろう。ばかげたことでも、大真面目な事でも何でもいい。少しでも多くの悪評さえ流したらあとは村人が適当にやってくれるはずさ」


 その愚者の言う通り、あまりにも多い白鐘の悪評に村人はだんだんと戸惑いを見せるようになり、いくつかの噂の調査を勝手にしだした。


 そうすれば、ある事ないこと流された悪評だ。


 いくつも存在しないことがバレてくる。


 そうすると、あとはその悪評は下がるばかりで、逆に何の悪評もなかった黒鐘家のほうがこの出来事を仕掛けたのではないか、と疑われるようになるわけだ。


 端的に言おう。


 ユダは完膚なきまでに負けた。


 事態を甘く見ていたわけではないが、この状況をこれ以上どうすることもできなかった。


 孫助も荒れに荒れ、ユダにものを投げつけては怒鳴るようになってしまう。


 孫助のことも責めることはできない。


 彼も彼なりに警備の手を緩めずに、白銀家に備えていたのだ。


 だが、直接攻めずに情報戦でじわじわと苦しめてくるとは予想していなかった。


 これはユダも同じだった。


「すまない」


 ユダはただ謝罪の言葉を述べることしかできない。


 孫助は彼女がそう言うことしかできない事はわかっていた。


 だからこそ怒鳴りはするが責めはしなかった。


 孫助は息を荒くしながらユダを睨んだ。


「謝る必要はない。だが、これからどうするべきかを考えろ」


「今は……無理だ。奴らと同じように悪評を流してもある程度まで抑えることはできるかもしれないが、村人全員の疑念をゼロにはできない。おまけに黒鐘家は賄賂云々の件が何時バレるかもわからない」


 ユダのその声色からは、彼女のあきらめが感じられた。


 彼女はこれ以上、どうしようもないといっているに違いなかった。


「手は……」


「彼らが村中の目に見える形でボロを出すような強欲な人間ならばチャンスはある。だが、愚者がいる以上そういう手に普通は走らない。彼らはあとは黙ってさえいればよいだけなのだ」


 きっぱりと。


 それは敗北の宣言であり、孫助も否定することはできなかった。


 彼は泣いた。


 巫女のことも心配である。


 だが、なによりもこのどうしようもない状況に泣いた。


「……少し外に出てくる」


 彼女はそう告げ、ドアノブをひねろうとした。


 だが、孫助の呼び止める声を聴きその手をとめた。


「お前が十分に仕事をしたことはわかっておる。巫女呼びのことも、わしにだまってやってくれたじゃろう。これだけは先に伝えとこうと思うてな」


 孫助は泣きながら、そのしわの濃い瞳をこすりながら言う。


「ありがとう。怒鳴り散らしたのは悪かった」


 ユダは振り返らずドアを開けた。


 錫杖は片手に。


 彼女には、この仕事を終わらせるために次の手を考える必要があった。




 ユダは白鐘家へと向かっていた。


 準備を済ませた今、彼女は進むしかなかった。


 舗装されていない道を踏みしめて進む。


「おい」


 ユダの耳を貫く声があった。


 ふと声の方を向けば、そこに在るのは喫茶店。


 そしてその前には、フードの男が立っていた。


 愚者だ。


「初めまして、とはいわないぜ。黒鐘の禁忌狩りさんよ」


「こちらも初めましてとは言わん。愚者」


 ユダは敵意は向けなくても、そう強く言い切った。


 愚者はすこしだけ笑って、少しだけ茶を飲んでいかないかと誘う。


 彼女はその言葉に、小さく頷いた。




「何が目的だ愚者」


 目の前でコーヒーをすする愚者をユダは睨みつける。


「単刀直入に言うと、手を引いてもらいたい。勝負は決したもんだ。これ以上動きさえしなければ、巫女呼びが終われば両者平穏無事何事もなく終わる。そのためにはあんたには手を引いてほしいんだ」


「ほう」


 ユダはもう彼のことを睨んではいなかった。


 ただ、口元に笑みを浮かべて。


「ならばそのフードをとってもらおうか。私は本当のことを言えば、愚者に会いに来たわけではない。我が相棒に会いに来たんだ」


 その言葉に愚者も笑う。


「何だよ、気づいてやがったのか」


 呟いてフードをとる。


 そこにあったのはサイコウルフの顔。


 ユダとともにいくつもの事件にかかわった……知人だった。


「久しぶりだな。白鐘の庭でアンタの顔見た時は驚いたぜ。まさかここにいるとは思わなかったからな」


「私だって予想していなかった。お前がここまでやるとも思っていなかった。そもそもサイコウルフ以外に偽名を使うとも思ってなかった」


「たまたま、だよ。なんか面倒な予感がする仕事はこの名前でやるって決めてるのさ。その予感はこうして当たったわけだけどな」


 はっはっはと声を上げて笑う。


 ユダもつられて微笑む。


「だが手を引くつもりはない。私かて仕事はきっちりこなす」


「そうか」


 寂し気に口をとがらせてウルフが呟く。


 だが気を取り直してフードをかぶりなおす。


「じゃあ仕方ねぇ。正直言ってあんたと敵対したくはなかったが、やるしかねぇのかね」


 そう言い、ユダを見た。


 ユダを、見た。


 その目は。


 彼女の首が血しぶきを上げて飛んでいくのを。


 見た。


 真っ赤な血が愚者の、ウルフの目をつぶす。


 とっさに抑えたがそれが悪手だったのか。


 彼は首筋に一瞬の痛みを感じた。


 それは麻酔針。


 すぐに眠気が彼を襲う。


 ぐらりと頭が揺れてテーブルに突っ伏し、同じくテーブルの上に転がるユダの生首と目が合った。


 そこで彼の意識は途絶えた。


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